第三十七章 根本的に彼は決意する
綾花達が屋上で話し合っていたーーその日のお昼休み、綾花達が知らないところで突如、事件が降りかかった。
綾花にゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』に自分を出演させてもらって、拓也と元樹を出し抜こうとしていた昂が校長室に呼び出されたのである。
「我は悪くない!ただ、『交換ノート』が未完成だったゆえに、仕方なくやったまでだ!」
「それを不正入試だと言うのだが!」
「井上達が告げたことは、やはり本当だったようだな!」
昂のたどたどしい言い訳に、この学校の校長と1年C組の担任は全身から怒気を放ちながら、昂を睨みすえる。その声はいっそ優しく響いた。
「ひいっ!せ、先生、話を聞いてほしいのだ!」
昂は恐怖のあまり、総毛立った。ふるふると恐ろしげに首を横に振る。
お昼休みになり、いざ、綾花に話しかけようとした矢先、昂は1年C組の担任に呼び出され、突如、高校受験の魔術の不正の件を執拗に問いただされていたのである。
そしてその際、自分の生徒手帳は効力を失い、この高校に合格した事実も全て白紙へと戻されたというあまりにも無情な現実を、昂は突きつけられていたのだ。
だが、綾花達がそのことを知るのは、ようやく昂が退学の危機を回避して綾花達にそのことを話すために校長室から一時的に解放された、その日の放課後である。
先生の話が終わり、日直の号令に合わせて挨拶を済ませると、クラスの生徒達は次々と帰宅して行く。
そんな中、倉持ほのかは鞄とサイドバックを握りしめて綾花の机の前まで行くと、明るい笑顔で綾花に声をかけてきた。
「宮迫さん、駅前に新しくできたスイーツショップに一緒に行こう!」
「ああ」
綾花が席から立ち上がって帰ろうとした矢先、いまだ教壇に立っていた1年C組の担任が声をかけてきた。
「…‥…‥宮迫、重要な話がある。ちょっといいか?」
「あ、ああ」
あくまでも神妙な表情で告げられた1年C組の担任の言葉に、席を立った綾花は小首を傾げながらも慌てて鞄とサイドバックを掴み、1年C組の担任のもとへと駆けていく。
教室のドアに手をかけたところで、ふと思い出したように綾花は振り返った。そして、片手を上げてすまなそうに謝罪する。
「ごめん、倉持。少し時間がかかるかもしれないけどーー」
「じゃあ、宮迫さん、私はここで待っているから」
「悪い」
どこか残念そうなほのかに軽く手を振り、綾花は1年C組の担任に連れられて教室を後にした。
教室を出て、1年C組の担任が向かった先は校長室だった。
途中で合流した拓也と元樹とともに綾花が校長室に入ってくると、唯一、室内にいた昂は言うが早いか、両手をぱんと合わせると謝罪の言葉を述べた。
「すまぬ、琴音ちゃん!実は我の生徒手帳が効力を失い、我は先程まで、退学の危機を迎えていたのだ!」
「なっ!?」
その衝撃的な台詞は、何の前触れもなく告げられた。
綾花は目を見開くと、みるみるうちに表情を曇らせていく。
お昼休みに屋上でみんなと話し合ってから、綾花自身も内心、いつかは自分のーー宮迫琴音の生徒手帳の効果が切れてしまうかもしれないと薄々は気づいていた。
だが、それでも、まだしばらくはこの生活が続けられることを心のどこかで期待していた。
しかし、現実はどこまでも無情だった。
傷ついた表情を浮かべ、顔を伏せた綾花の様子を見かねた拓也が、抑揚のない口調で訊いた。
「舞波、おまえの生徒手帳は高校受験の際に魔術で産み出したものだったな?」
「うむ」
あっけらかんとした口調でそう答えてみせた昂に、拓也は立て続けに言葉を連ねる。
「なら、綾花のーー宮迫の生徒手帳も、おまえの生徒手帳と同じ期間だけ効果が続くのか?」
「否、琴音ちゃんは我とは違い、架空の人物ゆえに我にも計り知れぬ」
「ーーっ」
昂の即座の切り返しに、拓也はぐっと不満そうに言葉を詰まらせる。
しかし、拓也は昂の言い分に引っかかるものを感じた。
架空の人物ということは、実在する舞波とは根本的に生徒手帳の影響力が違うということだ。
そこまで考えて、拓也ははたとあることに思い出す。
そういえば、綾花のーー宮迫の生徒手帳は、舞波の生徒手帳とは違い、いずれも本来、あり得ないはずの矛盾した出来事を事実として塗り替えられていた。
つまり、綾花のーー宮迫の生徒手帳が効力を失ってしまえば、『宮迫琴音』がこの高校に在籍していたということも、宮迫に関するあらゆる記憶や認識も、以前のように元に戻ってしまうのだろう。
だが、すぐに表情を引き締めると、拓也は昂にきっぱりと告げた。
「なら、ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』に出演するまでは、綾花のーー宮迫の生徒手帳の効果は続きそうか?」
「ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』だと?」
探りを入れるような拓也の言葉に、口に出しながら昂の思考は急速展開する。
そこで昂は何故、拓也がそんなことを言い出したのか事情を察知した。
思い至ると同時に、昂はまるで自嘲するようにせせら笑った。
「なるほど、綾花ちゃんをーー否、琴音ちゃんを、せめてゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』に出演させられるようにしたいのだな?」
「ああ」
拓也は、昂の言葉に力強く頷いてみせた。
「うむ。それはまず、問題なかろう。ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』の出演日は今から一ヶ月後だ。少なくとも、そこまで早くは効果が切れることはないだろう」
「…‥…‥そ、そうなんだな」
きっぱりと告げられた昂の言葉に、綾花はようやく、ほっとしたように安堵の表情を浮かべる。
「あのな、昂」
しばらく考えた後、綾花は俯いていた顔を上げると昂に言った。
「どうかしたのか?琴音ちゃん」
「お昼休みに井上と布施と話し合ってから、俺なりに考えたんだ。ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』が終わったら、俺は『宮迫琴音』として登校するのは止めようと思う」
「な、何故だ!?」
予想もしていなかった衝撃的な言葉に、昂は絶句する。
綾花がーー進が発したその言葉は、昂にとって到底受け入れがたきものであった。
「…‥…‥俺だって、できることなら、このままずっと『宮迫琴音』としてクラスのみんなと一緒にいたい。だけど、昂のように、ふとしたきっかけで俺の生徒手帳が効果を失い、クラスのみんなが俺のことを忘れてしまったら、俺ーーううっ、私、耐えられない…‥…‥」
口振りを替えた途端、言葉に詰まった綾花は顔を真っ赤に染め、もういっそ泣き出しそうだった。
綾花のーーそして進の決意の固さに、一瞬、昂がたじろいた。
それでも必死に、昂は理由をひねり出そうとする。
「わ、我の時のように、すぐに効果が切れるとは、限らないではないか。綾花ちゃん、そんなこと、気にせず堂々としていれば…‥…‥」
説得を試みようとして、だが、その声は昂の喉の奥で尻すぼみに消えてしまった。それは綾花の表情を見たからだ。綾花が涙を潤ませているのを、確かに昂は目撃したのだ。
昂は焦ったように言った。
「…‥…‥むむっ、わ、分かったのだ、綾花ちゃん。ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』が終わり次第、生徒手帳の効果をなくす方法について教えるのだ。ただし、条件がある」
「条件?」
戸惑った顔で、綾花は昂の顔を見た。
昂は頷くと、綾花にこう告げる。
「う、うむ。その、綾花ちゃん、ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』の出演前に我と二人きりでだな」
「えっ?」
綾花が意味を計りかねて昂を見ると、何故か焦れたように昂は顔を赤らめて腕を組んだ。
一体、何を企んでいる。
どこか昂らしくない歯切れの悪い言葉に、嫌な予感が拓也の胸をよぎる。
意を決したように両拳を突き出して身を乗り出すと、すべての勇気を増員して昂は絶叫した。
「綾花ちゃん!我と二人きりでデートしてほしいのだーー!!」
「…‥…‥えっ?ええっ!?」
思わぬ昂の言葉に、綾花は戸惑うように揺れていた瞳を大きく見開いた。
「はあっ!?」
「デ、デート?」
遅れて、拓也と元樹も唖然とした表情でまじまじと昂を見た。
だが、次の思いもよらない昂の行動に、拓也と元樹はさらに不意を打たれ、驚きで目を瞬くことになる。
昂は綾花の顔を覗き込むと彼女の唇に人差し指を触れさせ、ささやくようにこう告げたのだ。
「進、久しぶりにあの場所で、共に語り合おうではないか」
「…‥…‥あの場所?」
その意味深な言葉が、昂の謎の行動とともに妙に綾花のーー進の記憶を刺激する。
そんな中、昂の意図がつかめず、拓也と元樹はただただ目を細めるしかなかった。