第七十五章 根本的に君との終わりは見えなくてもいい③
「あかりが気にかけていることは、黒峯麻白に関わることだ」
「黒峯麻白……」
花菜は以前、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第四回公式トーナメント大会のチーム戦準決勝の前に、玄達が輝明達に語った内容を思い起こす。
『麻白は一度、死んでいる。そして、生き返った。それだけだ』
確信を持ってその結末を受け入れている玄の静かな声が、受け入れがたい事実を突きつけてくる。
そこでようやく、輝明達は麻白が一度、死んだという現実を目の当たりにしたのかもしれない。
「黒峯麻白さんに関わること……?」
その言葉に反応して、『クライン・ラビリンス』のチームメンバーの一人である三崎カケルも不思議そうに問いかける。
「それって黒峯麻白さんが生き返ったことに関わっていることなのか?」
カケルが思い出すのはあの日の出来事。
流れ出る血は止まらない。
あの日、カケルの父親が運転していた車に轢かれて、麻白は路上に倒れていた。
雨に打たれ、灰色に濡れた体はついに動くことを諦める。
救急車が来て、騒然とする路上。
困惑するカケルの両親。
泣き叫ぶ玄と玄の父親。
一転して混沌と化す現実に、カケルは呆然と立ち尽くす。
その日は久しぶりに家族全員で外食をした日だった。
しかし、喜びは悲しみに包まれ、楽しかったはずの家族の団欒は深い絶望感に襲われていた。
麻白が死んだ日、カケルのありふれた日常は呆気なく終わりを迎えた。
この残酷な世界を、大切な人を奪われた世界を、ありふれた日常を奪われた世界を身を持って知っているからーー。
だからこそ、カケルは輝明の言葉から麻白が何らかの危機に直面していることを感じ取っていた。
「ああ」
輝明自身はそれで説明責任を果たしたと言わんばかりの表情をしていたが、カケルも花菜も視線をそらしていなかった。
二人のリアクションに、輝明はため息をついて付け加える。
「黒峯麻白を蘇らせた者が今、危機に陥っている。ある者達に罠に嵌められてな」
「黒峯麻白さんを蘇らせた人……」
断定する形で結んだ輝明の言葉に、カケルは目を見開いた。
輝明が何を考えて、そう告げたのかまでは分からない。
麻白が生き返った背景にどんな出来事があったのかも知らない。
しかし、カケルもまた、明確にオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第四回公式トーナメント大会のチーム戦準決勝の前に、玄達が語った内容を脳裏によぎらせていた。
『詳しい事情は話せないけれど、玄が言ったとおり、あたしは一度、死んで、生き返ったんだよ』
あの日、麻白はーー麻白の姿をした綾花は力なく、けれど淀みなく言葉を紡いだ。
『一度、死んでしまったことは辛いけれど、それ以上にあかり達、あたしのサポート役のたっくん達、そして、カケルくん達に会えたことが嬉しいの』
それはまるで、祈りを捧げるような想いだった。
綾花のその言葉は、今までのどの言葉よりもカケルの心に突き刺さった。
カケルの表情が硬く強ばったことに気づいた綾花は少し困ったようにはにかんでみせる。
『だから、カケルくんも、カケルくんの父さんと母さんも、これ以外、苦しまないで』
泣き出しそうに歪んだカケルの表情を見て、綾花は言葉を探しながら続ける。
『あたしは生きている。ちゃんと生きているから』
「ーーっ」
その言葉を思い出した瞬間、涙の気配がカケルの瞳の奥に生まれる。
それでも涙が零れなかったのは何物にも代えがたい綾花のーー麻白の温かい言葉があったから――。
俺は黒峯麻白さんのためにできることをしたいーー。
たとえ僅かな助力だとしても、カケルは麻白のために足掻きたい。
立ち止まって、後ろを向いて、『これまで』を積み重ねて。
でも、それは全部『これから』のためだから。停滞することとは絶対に違うからーー。
「輝明」
輝明を見つめるカケルの瞳には複雑な感情が渦巻いていた。
「頼む。俺達も協力させてほしい。黒峯麻白さんの力になりたいんだ」
「ああ、分かった」
カケルがそう告げた理由を慎重に見定めて、輝明は敢えて軽く言葉を返す。
「……まずは、あかりとともに罠を打ち破るとっておきをやる。下がっていろ」
瞬間的な輝明の言葉に、花菜は一瞬、表情を緩ませたように見えた。
無表情に走った、わずかな揺らぎ。
その揺らぎが、輝明の戦意を感じ取って。
そして、無言の時間をたゆたわせた後で、花菜はゆっくりと頷いた。
「……分かった。詳しい事情は飲み込めないけれど、罠を打ち破ることは輝明達に任せる」
それとなく、視線をそらした花菜はまるで照れているかのようにうつむいてみせる。
「由良文月、神無月夕薙。僕達の虚を突いたことを後悔させてやる」
意思を固めた輝明は、その顔に確かな決意の色を乗せた。
「魔術の知識の使い手と魔術の使い手。母さんと黒峯玄達の身内であっても関係ない。そしてーー」
輝明の真剣な表情が一瞬で漲る闘志に変わる。
「黒峯文哉。僕達を罠に嵌めたこと、今すぐ後悔させてやる」
「ああ、そうだな。絶対に昂の透明化を元に戻す方法を見つけてみせる」
そう告げる輝明の口調に、進が抱いていたような逡巡や不安の揺れはない。
輝明の振る舞いに、進は心から安堵し、意思を固めた。
『エキシビションマッチ戦』の只中に、敵味方に分かれた綾花達が互いの信念を貫いて対峙する。
今、ここに文哉達が仕掛けた罠を突き崩す綾花達の総力戦が始まろうとしていた。




