第三十五章 根本的にパーソナリティーになる
「瀬生、井上、布施、ちょっといいか?」
教室に戻った綾花が茉莉と亜夢の三人で机を囲み、遅めの昼食を食べ終えていつものように談笑していると、1年C組の担任が綾花達に声をかけてきた。
「先生、どうかしたの?」
慌てて席を立った綾花が拓也と元樹とともに1年C組の担任のもとへと駆けていくと、1年C組の担任は周囲を窺うようにしてから小声で言った。
「話がある。今から、視聴覚室に来てほしい」
そのまま、踵を返し、足早に視聴覚室へと向かう1年C組の担任に連れられて廊下を歩きながら、綾花は不思議そうにつぶやいた。
「先生の話って、なにかな?」
「さあな。まあ、行ってみれば分かることだ」
拓也は咄嗟にそう言ってため息を吐くと、元気づけるように綾花に視線を向けた。
視聴覚室にたどり着くと、1年C組の担任は一度、警戒するように辺りを見渡した後、綾花達の方へと向き直る。そして、率直にこう告げた。
「実は以前、宮迫が出場した、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会の宮迫の『偽名登録による失格』は、運営側の誤りだという謝罪の電話が先程、学校の方にあった」
ぽつりぽつりと紡がれる1年C組の担任の言葉に、綾花はぱちくりと瞬きをした。
「えっ、誤り?」
「なるほどな。つまり、あの生徒手帳の影響で、宮迫が偽名ではなく実在するようになったから、あの大会での違反もすべて誤報という解釈になるんだな」
「だけど、何で学校に連絡があるんだ?」
拓也が意味を計りかねて元樹を見ると、元樹は眉を寄せて腕を頭の後ろに組んで言った。
「おそらく、宮迫はこの高校に実在することになったけど、家の連絡先などはあの時と同じく誤りのままっていうのが妥当だろうな」
元樹がふてぶてしい態度でそう答えると、1年C組の担任は意味ありげな表情で綾花を見た。
「それで謝罪の意味も込めて、宮迫をゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』に出演させたいという連絡がきたのだが、瀬生、どうする?」
「えっ?本当!」
てらいなく告げられた1年C組の担任の言葉に、綾花は嬉しそうにぱあっと顔を輝かせた。
「おい、綾花。ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』って…‥…‥?」
「有名ゲームプレイヤーが、パーソナリティーを務めるゲーム情報ラジオ番組なの」
状況説明を欲する拓也の言葉を受けて、綾花は人差し指を立てるとにこりと笑ってそう答えた。
綾花が進としてのゲームへの熱き思いを馳せていると、元樹がざっくりと付け加えるように言う。
「まあ、簡単に言うと、ゲーム音楽をBGMに、毎回違う、有名ゲームプレイヤーによる雑談やリスナーからの質問に対する回答、さらに最新ゲーム情報などをお届けしているラジオ番組だな」
元樹自身はあくまでもそれで説明責任を果たしたと言わんばかりの顔をしていたが、拓也は不服そうに顔をしかめてみせる。
「はあ…‥…‥」
呆れたようにため息をついた拓也に、元樹はこともなげに言う。
「まあ、いいじゃんか!兄貴も一度、出演したことがあるラジオ番組だ。心配なら、宮迫のゲーム仲間として、俺と拓也も一緒にラジオ番組に出演すればいいしさ!」
「うん!私、たっくんと布施くん…‥…‥じゃなくて元樹くんと一緒に対談してみたい!」
元樹が大した問題ではないように至って真面目にそう言ってのけると、綾花は両拳を前に出して話に飛びついた。
わくわくと間一髪入れずに答える綾花に、拓也は困惑した表情でおもむろに口を開く。
「俺も、綾花と一緒にラジオ番組に出演することができるのか?」
「うん」
「ああ。確か、本人を含めて、三人までなら出演することができたはずだ」
綾花と元樹がほぼ同時にそう答えると、拓也はもはや諦めたようにこう言った。
「…‥…‥分かった」
「えっ?」
その言葉に、綾花は驚いたように目を見開いた。
拓也は綾花の両手を取ると、淡々としかし、はっきりと言葉を続ける。
「だけど、あくまでも『宮迫琴音』としてだ。絶対に、綾花だとバレないようにすること。いいな?」
「…‥…‥うん、ありがとう、たっくん」
綾花がぱあっと顔を輝かせるのを見て、拓也は思わず苦笑してしまう。
「まあ、俺もラジオ番組のスタジオってどんな感じなのか気になるし、綾花と一緒にラジオ番組に出演するっていう貴重体験ができるからな」
「あっ、もしかして、たっくんも私と一緒にパーソナリティーがしたいの?」
「…‥…‥そんなわけないだろう」
ここに至ってさえピントのズレたことを言う綾花に、拓也はうんざりとした顔で深いため息を吐いた。
「ふむふむ」
そんな中、視聴覚室のドアに耳を当てながら、昂は綾花達の様子を探るため、こそこそと聞き耳を立てていた。
あまりにも怪しすぎて、近くにいた他の生徒達から思いっきり冷めた眼差しを向けられ、視聴覚室自体が必然的に避けられていたことにも気づかずに、昂は先を続ける。
「つまり、綾花ちゃんーー否、琴音ちゃんがラジオ番組のパーソナリティーになるということか」
こみ上げてくる喜びを抑えきれず、昂はにんまりとほくそ笑む。
「こうしてはおれん!早速、ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』に、琴音ちゃん宛の手紙を書かなければ!」
こうして一抹の不安を残しつつも、綾花達はゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』に出演することになったのだった。
「はあ…‥…‥」
放課後、進の家の二階にある進の部屋で、拓也はテーブルの上に重ねられていくゲーム雑誌などを見つめながら、綾花を待っていた。
床には、長方形のおぼんの上に拓也と綾花の分のポットとティーカップが置かれてある。
いそいそと本棚に歩み寄り、ゲーム雑誌を探しながら綾花が嬉しそうに言う。
「井上、今日、付き合ってくれてありがとうな」
「いや…‥…‥まあ、その、俺も綾花とーー宮迫と対談するからには、上岡としてーー宮迫として振る舞っている綾花と少しは意気を合わせられるようになった方がいいと思ったまでだ」
ゲーム雑誌を手にして、拓也はたじろぎながらも滔々とそう語る。
あの宮迫琴音の生徒手帳がある限り、これからも綾花は上岡としてーー宮迫として振る舞っていくことになるだろう。
昨日のように、いつまでも宮迫に対して気まずい態度のままでは、いずれ、ショッピングモールの時のように綾花を傷つけてしまうことになりかねない。
それに、上岡と一度、面と向かって話してみれば、自分の中で上岡に対する態度が少しは変わるのかもしれない。
ゲーム雑誌を取る際、背伸びをしたことによって乱れてしまったサイドテールを柔らかに撫でつけながら、綾花が拓也の方を振り返り、てらいもなく言った。
「井上、絶対、成功させような」
「ああ、対談の時はよろしく頼むな」
吹っ切れたような言葉とともに、拓也はまっすぐに綾花を見つめる。
表情を切り替えるように、拓也は軽く肩をすくめると、お昼休みの時から疑問に思っていたことを口にした。
「そういえば、綾花。対談って、何を話せばいいんだ?」
「うーん、そうだな。今回だと、まあ、俺が参加したオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会での出来事などを話せばいいか」
制服姿の綾花はそう言うと、鞄からペンを取り出し、くるくると回して拓也の方へと向ける。
「ーーほら、井上はどうして『チェイン・リンケージ』を始めたんだ?」
マイクのように差し出されたペンの先端をじっと見つめて、拓也は少し照れくさそうにこう言った。
「綾花がーーいや、隣のクラスの宮迫が、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会に出場したという噂を聞いて、少し興味を持ったからだ」
拓也の答えに、綾花は目を丸くし、驚きの表情を浮かべた。
戸惑う綾花をよそに、拓也は先を続ける。
「最初は全くの初心者で何をどうしたらいいのか分からなかったが、今では俺も少しずつできるようになってきて、ゲームそのものを楽しんでいる…‥…‥って、こんな感じでいいのか?」
「ああ、井上らしいな」
屈託のない笑顔でやる気を全身にみなぎらせた綾花を見て、拓也は胸に滲みるように安堵の表情を浮かべる。
その時、綾花が思いついたというようにぽろりとこう言った。
「なあ、井上。もう一つ、質問してもいいか?」
「ああ」
「いつも、協力してくれてありがとうな」
質問だと言ったのに意味深な台詞をさらりと口にする綾花に、拓也は一瞬、対談の練習のことを忘れて思わず、ふっと息を抜くように笑う。
「気にするな。先程も言ったが、俺も綾花と同じく、ゲームそのものを楽しんでいる。それになにより、大好きな綾花のーー」
ためだ、そこまで言う前に。
突然、綾花は今にも泣き出してしまいそうな表情で、拓也に勢いよく抱きついてきた。
反射的に抱きとめた拓也は、思わず目を白黒させる。
「…‥…‥綾花?」
先程までの楽しげな進の表情はどこへやら、いつもどおりの花咲くようなーーだけど、少し泣き出してしまいそうな笑みを浮かべる綾花に戸惑いとほんの少しの安堵感を感じながら、拓也は訊いた。
いろんな意味で混乱する拓也の耳元で、綾花は躊躇うようにそっとささやいた。
「ううっ…‥…‥、たっくん、ありがとう」
ぽつりぽつりと紡がれる綾花の言葉に、拓也の顔が目に見えて強ばった。綾花の瞳からは、涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「わ、私もね、たっくん、大好きだよ」
「…‥…‥ああ」
泣きじゃくる綾花の頭を、拓也は穏やかな表情で優しく撫でてやった。
綾花が泣きやむまで頭を撫で続けていた拓也は、不意に綾花から視線を外して自分に言い聞かせるような声で言う。
「今も昔も、綾花は綾花だな」
「えっ?」
拓也の言葉に、綾花は顔を上げるときょとんとした顔で首を傾げた。
「なんでもない」
そう言い捨てると、震える小さな背中に回した手に、拓也はそっと力を込める。
「こんな調子じゃ、俺、綾花のラジオ番組のパーソナリティーのフォローなんて、うまく努められそうもないな」
そう言うと、拓也は愛しそうに綾花を抱きしめたまま、自嘲するように笑ったのだった。




