第五十三章 根本的に不遇の出会い⑤
しかし、あの時の綾花は、四人分生きているという自覚より、麻白として生きているという自覚の方が強くなっていた。
麻白に戻ってきてほしいーー。
綾花が再び、あの状況に追い込まれたら、黒峯蓮馬さん達の要求に応えてしまうかもしれない。
そうなれば、綾花を護るどころではなくなるだろう。
だからこそ、輝明さんと焔さんの協力が必要不可欠になる。
魔術によって現実離れしたことが目の前で起きても、それに気づいているのは自分達だけという事実。
それは薄気味悪く、鳥肌が立つ現象だ。
だが、ただ一つ明らかなことがある。
これからも玄の父親達が本腰を入れて綾花を奪いに来る。
それと同時に、特異点ともいえる昂を中心にして、魔術に関わる家系の者達の動きが活発化しようとしていた。
恐らく、今回も玄の父親達の思惑とは別の目的でーー。
「『エキシビションマッチ戦』、由良文月さんと神無月夕薙さん以外にも魔術の本家の人達がいるんだろうか?」
「そうかもしれないな。でも、たとえ、魔術の本家の人達がいたとしても、俺達は綾を護っていくだけだ」
拓也が抱いた不安を吹き飛ばすように、元樹は決意とともに宣言した。
「心配するなよ、拓也。状況は複雑かもしれないけどさ。俺達は今、こうして新たな仲間を得たんだからな」
「ああ、そうだな……」
元樹の宣誓に、拓也の表情から自然と緊張の糸が緩む。
拓也と元樹は拳を打ち合わせ、固く誓い合う。
綾花を麻白にするという玄の父親の強固な意思。
綾花の存在をーー進の存在を消してしまう魔術。
許してはいけない。
絶対に防がなくてはならない。
それに黒峯家の屋敷から意図的に昂に連絡を取ってきた文哉の思惑はいまだ計り知れない。
なおかつ、昂の分身体達が突如、現れて暴走した現象といい、気がかりが残る案件は多数ある。
その事実の数々は飄々と、しかし、的確に拓也達の心を揺さぶっていた。
それでも拓也達は確かに前に進んでいることを実感していた。
「陽向くんも『エキシビションマッチ戦』の会場に来るのかな……」
陽向が入院している病院を思い浮かべて、綾花は寂しそうに顔を俯かせる。
そんな綾花の頭を、拓也は穏やかな表情で優しく撫でてやった。
「綾花が、上岡が、雅山が、そして麻白が無事で良かった」
「えっ?」
拓也のぽつりとつぶやいた言葉に、顔を上げた綾花は不思議そうに小首を傾げる。
「……正直、不安だったんだ。阿南家にいる間、俺は陽向くんの魔術から、黒峯蓮馬さんの魔術の知識から、魔術の本家の人達からどうやって綾花達を護っていったらいいんだろうってずっと考えていたから」
「たっくん……」
いつものほんわかとした綾花とのやり取りに、拓也は嬉しそうにひそかに口元を緩める。
いつもと変わらない他愛ない会話が、拓也には妙に心地よく感じられた。
「綾花、陽向くんに想いを伝えるためにも『エキシビションマッチ戦』を楽しもうな」
「……うん。たっくん、ありがとう」
拓也の目の前で、綾花が髪を揺らして花咲くようににっこりと笑う。
いつもの綾花の笑顔の波紋がじわじわ広がり、拓也の胸の奥がほのかに暖かくなる。
「なあ、綾花。俺にもう一度、希望をくれないか?」
「希望?」
拓也が咄嗟に口にした疑問に、綾花はきょとんとする。
「辛くても悲しくても怖くても、俺がしがみつきたくなる希望がほしいんだ! ーーたとえ、どんなことがあっても、綾花を絶対に守りたいから!」
「ーーっ」
綾花がその言葉の意味を理解する前に、拓也はそっと、綾花の頬に口付けをした。
「離れたくない。離したくないんだ。これからも、綾花にそばにいてほしい!」
「……うん。私もね、たっくんのそばにいたい。ずっとそばにいたいの」
いつもとは違う弱音のように吐かれた拓也の想いに誘われるように、綾花は幸せそうにはにかんだ。
そして拓也はそのまま、綾花を愛しそうに抱きしめる。
「そういえば、舞波の姿が……?」
元樹は思わず不満を口にしようとしてーーふとあることに気づいた。
真っ先に反応するはずの昂がどこにも見当たらないのだ。
「はあはあ……」
元樹が視線を巡らせた歩道の先では疲弊している昂の姿があった。
ペンギンの着ぐるみを被った昂が大の字で倒れている。
その姿は既に行き来する通行人の注目の的になっていた。
「あ、綾花ちゃん、我はもうダメだ……。今すぐ我を抱きしめてほしい」
「ふわわっ、舞波くん」
昂は阿南家で強力な魔力を誇示し続けていたため、すっかりバテていたのだ。
今までは気力だけで耐えていたのだが、どうやらここにきて限界を迎えたようだ。
その時、やや冷めた声が昂の背後から聞こえてきた。
「……おまえは一体、何がしたいんだ?」
「……はあはあ、貴様ら、何の用だ。……こ、断っておくが、我は決して、魔力を使い過ぎてバテていたわけではないぞ」
「……おい」
「おまえ、本当に緊張感がないよな」
素知らぬ顔で自ら自白してきた昂の有り様に、拓也と元樹は辟易する。




