第四十七章 根本的に落涙の後の明日⑦
沈黙が場を支配した。
余韻というにはあまりに長く、それほどまでに阿南家の者達は昂の突飛な行動に全てを奪われていた。
「……お嬢様、黒峯家の者達は阿南家の者達の出方を窺っております。少なくとも先程の電話の主は舞波昂だけではなく、阿南家の者を意識していたかと」
それが破られたのは焔の祖父が決断を促した瞬間だった。
「改めて申し上げます。瀬生綾花、井上拓也、布施元樹。そして舞波昂。魔術の本家の者達が興味を注いでいるこの者達に貸しを作っておくことは悪くない選択肢だと儂は思います。彼らに関わっていけば、自ずと見えてくるものがあるかと」
焔の祖父は断腸の思いで座する。
事変を知っているのと直接、目の当たりにするのとでは訳が違う。
「……あなたが娘をーー麻白を生き返そうとしていることは、独りよがいの片思いと一緒よ」
正邪を越えて、娘の死という運命に抗い続ける玄の父親。
否定することが正義か。
肯定することが正義か。
それでも世界は冷たく、ようやく掴めたと思った娘の手は滑り落ち、温もりは消える。
綾花達との間で生じた亀裂は、玄の父親の危うさを浮き彫りにしていった。
「そう伝えたのに、私はそんな彼に手を貸してしまった」
そんな彼と相容れず、袂を断った彼女は自身が犯した罪に今も心を痛める。
過去は変えることはできない。
そう遠からぬ未来、きっと輝明達は輝明の母親が犯した罪を知るだろう。
いや、そうなるに至った経緯をこの場にいる阿南家の者達の内、誰が否定できようものか。
既に事態は紛糾しているのだから。
「私に足りないのは彼とーー黒峯蓮馬と向き合う覚悟ではなく、黒峯蓮馬に力を貸した真実を告白すること」
輝明の母親は玄の父親が成そうとしていることを全て知っているわけではない。
今回の騒動の火種となった昂の行動理念を、魔術の分家である阿南家は認知することさえもできないかもしれない。
それでも息子とその従者の決断を尊重し、輝明の母親は眸に決意を滲ませる。
「お嬢様、どうかご決断を」
「……分かりました。同行を認めましょう」
焔の祖父の直言に応えるように、輝明の母親は前を見据えた。
玄と父親と向き合うための宣誓をした時、真実は現実になる。
告解を告げるだけでは何も変わらないと気づいたから。
魔術の深遠の果てで、焔の祖父は何を見据えるのだろうか。
玄の父親の旧知の仲で、彼と同じ魔術に関わる家系の人間である輝明の母親は今宵、何を感じるのだろうか。
阿南家に仕える者達はただ、その光景を黙して見守っていた。
この場で何が起ころうとしているのか。
誰しもが、這い寄る魔術の気配に耳をそばだてていた。
その時、緊迫した静謐を壊すような鋭い声が響き渡る。
「……そうこなくちゃな。少なくとも今回の一件で、魔術の本家の奴らは俺達をーー阿南家を明らかに意識していることが分かったんだからな」
焔の胸中は大いに歓喜に満たされる。
自身が掲げた理想を成すその日は必ず訪れると実感できたから。
焔の無愛想な嘆きはいつだって祖父には届かなかった。
停滞を維持している阿南家の者達にも伝わらなかった。
何も成せないまま、銘々の時間が経過するばかり。
だからこそ、焔の内側で長年、燻り続けた想いがあった。
苛立ちを隠せない彼の心に、その感情がゆっくりと沁み出してくる。
魔術書を管理していた名高い黒峯家の魔術の家系の者達に悪意はなく、他の魔術の家系の者達にも悪意はなく、全てはただの符合に過ぎない。
それでも、嗚呼ーー。
「……それにしても、ようやく前進かよ。……ったく、阿南家の奴らは煩わしいこと、この上ねぇな。俺はただ、阿南家の存在を、他の魔術の家系の者どもにーー世間に認めさせたかっただけなんだよ……!」
他の魔術の家系の分家ーー付属品で在りたくなくて、阿南家という魔術の分家を本家本元を識ってもらいたくて。
けれど、それは叶わない。
魔術の才に秀でるものは弛まぬ努力だけで、たとえ今からそれを阿南家の家系の者達が積み重ねたとしても、結実するまでには多くの時を必要とする。
人々の視線は魔術の本元へと向けられ続けて、阿南家はこのまま停滞していく。
それを誰かに気づかれることもないままーー。
「なら、これからもそれを覆せばいい」
誰ともない独り言を、しかし、聞き遂げた者がいた。
そう発したのは、焔が主君として認めている輝明だった。
「母さんは僕達の同行を認めてくれた。僕達は確実に前に進んでいる。なら、おまえはおまえの役目を果たせ。僕は僕の役目を果たす。それだけのことだ」
焔の考えを認める人が、阿南家を識る人が、阿南家の家主の息子がこの上なく、不敵に告げる。
輝明の直言は焔の心を高揚させた。
「……確かにな。少なくとも今回の件で、魔術の本家の奴らは俺達の力をーー阿南家の力を知ったんだからな」
焔の胸中は大いに歓喜に満たされる。
自身が掲げた理想を成すその日は必ず訪れると実感できたから。




