第三章 根本的に天然と平凡をプラスマイナスしたカタチ
遅い時間帯ですが、第三章ができましたので更新しました。
ブクマ、評価して下さりありがとうございました。
すごく嬉しいです(*^^*)
綾花の住むマンションは最寄りの駅から少し歩いた先にある。
流行の最新式個人生体認証オートロックを解除し、エレベーターで六階へと行くと綾花は思い詰めたような表情で深くため息をついた。
ーー今日は、本当にいろいろなことがあり過ぎたな~。
「おかえりなさい、綾花」
頭を振ってドアを開けると、母親の出迎えがあって綾花は思わず少し戸惑った表情をみせてしまった。
「うん…‥…‥ただいま」
ぎこちなくそう応じて、母親と差し障りのない会話をした後、綾花は自分の部屋へと入っていた。
部屋を見渡すとピンクに統一したカーテンと布団、枕元には大好きなペンギンのぬいぐるみが置いてある。小型のテレビに、壁には紺に統一されたブレザーに一際深い緑のリボンが目立つ高校の制服がかけられている。
いつもと変わりない自分の部屋。
お母さんとの何気ない普段どおりの会話。
なのに、不思議と綾花はどこか違和感を感じてしまう。
原因はなんとなく、綾花にも察しがついていた。
自分が綾花としての記憶だけではなく、進としての記憶も持っているからだ。
だから、微妙な違和感を消し去れないのだろう。
綾花としての心だけではなくて、進としての心もある。
それは、にわかには信じられない状況だ。
だけど、綾花はその非現実さにくすぐったげに笑ってしまった。
事実、昨日までの綾花なら、自分の中に知らない男の子の心があるという恐怖に怯え、震えていたことだろう。
だが、今日、一日で綾花の心は激変してしまった。
綾花としての心と進としての心ーー、二つの心が自分の中に存在するのが、まるで当たり前のことのようになっているのだ。
笑いの余韻を残した綾花は、両手を胸に当てる。
それに、たっくんは言ってくれた。
『綾花がこれからも進として振る舞ってしまうというなら、また、俺が元の綾花に戻してやる!だから、ずっとそばにいてほしい。ーー綾花のことが好きだから! 』
拓也からの言葉を思い出して嬉しそうに綾花がはにかんでいると、携帯にメールの着信があった。
本文には「大丈夫か?」と一言のみ。
拓也らしいシンプルな内容に、綾花はほのかに頬を赤くし、穏やかに微笑んだ。
そして、「大丈夫だよ」と返信すると、
綾花はもう一度、自分の部屋を見渡し始めた。
進にあって、綾花にはないもの。
それを探り当てようとするかのように、足りない符号を求めて綾花が視線をさ迷わせているとふとテレビの画面が目に入った。
「あっ…‥…‥」
まるで何かに誘われるかのように綾花は思わず、リモコンを手に取ってテレビをつける。
画面の中ではCM中らしく、最新作のゲームのVTRにあわせてゲームの解説がされていた。
「ゲーム…‥…‥」
CMをじっと凝視していた綾花の声が震えた。期待に満ちた表情で、綾花はなりふりかまっていられなくなったように身を乗り出す。
「そうだった。このゲーム、今日、発売だったんだよね~」
ゲームのCMを最後まで見終えた綾花は、言いながらテレビに向けてふにゃっと頬を緩めた。
だがすぐに髪の毛先を落ちつかなげにちょいちょいとすくと、綾花は不満そうな顔でおもむろに口を開く。
「うっ…‥…‥、せっかく予約したのに結局、昂のせいで出来ずじまいだったんだよね」
綾花が進としてのゲームへの熱い思いを馳せつつも機嫌を損ねていたその時、玄関のインターホンが鳴った。
「誰だろう?こんな遅くに」
部屋のドアを開けて、玄関のテレビモニターをこそっと覗き見た綾花は驚きのあまり、ついぽかんと口を開けてしまった。あんぐりと開いた口から言葉が漏れる。
「えっ?昂…‥…‥?」
玄関先にいたのは、何故か昂だった。
慌てて綾花はドアの施錠を解除し、玄関へと向かうとドアを開けて昂を出迎える。その背後には、何故か警察の人がいた。
「ど、どうしたの、こーー…‥…‥」
「すまぬ、進!」
驚きににじむ表情のまま、発せられた綾花の渾身の言葉は、同時に開いた昂に先んじられて掻き消える。
「我は今、警察に事業聴取を受けている。喫茶店で無銭飲食をしようと思ったわけではないが、本当に一銭もお金を持ち合わせておらぬのだ。しかも、我の両親は今日は帰りが遅くなるという。進の両親に頼むわけにもいかぬゆえ、こうして進に頼みに来たというわけだ」
綾花が態度で疑問を表明していると、昂が手を合わせて謝罪した。
「えっ?ええっ!?」
綾花はその言葉に愕然としたまま、床にぺたりと膝をついた。
「綾花、誰か来たの?」
遅れて玄関先へとやってきた母親の声を聞いた瞬間、綾花は戸惑うように揺れていた瞳を大きく見開いた。
そんな綾花を放置したまま、昂は容赦なく話を進めていった。
「綾花ちゃんのお母上!どうか、我にお金を貸して頂きたいのだが!」
刹那、場の空気がシンと静まり返る。
土下座をして請うように頼む昂に、母親は言葉を失って唖然とした。
かくして、これから事情説明が始まるとはとても思えない平和過ぎる昂の台詞の中、綾花は進としての気苦労が倍になった気がして少し憂鬱な気分になったのだった。
「な、なんだ、それは?」
いつもと同じように駅で待ち合わせて一緒に登校している途中、拓也は綾花から昨日の話を聞くと頭を抱えてうめいた。
「舞波のやつ、わざわざ綾花の家まで行ったのか?いや、それよりもなんで綾花の家をあいつが知っているんだ?」
「なんでも、私に告白する前から、私の家の場所はあらかた調べていたらしいの」
「はあ?」
あまりにもストーカーまがいな行動と勝手極まる昂の言い草に、拓也は思わずキレそうになったがかろうじて思い止まった。
車内アナウンスが流れ、学校近くの駅に到着したからだ。
「綾花ちゃん~!」
学校近くの駅で降り、ホームを通って改札口を出た途端、突如、聞こえてきたその声に、拓也は苦虫を噛み潰したような顔をして声がした方向を振り向く。案の定、綾花めがけて走ってくる昂の姿があった。
躊躇なく思いきり綾花に抱きつこうとしていた昂に、拓也は綾花を守るようにして昂の前に立ち塞がった。
抱きつくのを阻止されて、昂は一瞬、顔を歪ませる。
だがすぐに、昂はそれらのことを全く気にせずに話をひたすら捲し立てまくった。
「綾花ちゃん、昨日は本当に助かったのだ!まさに、綾花ちゃんのお母上には我から感謝状を届けたいくらいだ!」
「もう、昂!お母さん、あの後、びっくりしていたんだよ!」
両手をぱんと合わせて感謝の言葉を述べる昂に、綾花が少し困り顔で昂をたしなめた。
唖然とした顔をした拓也と目が合うと、綾花は少し気弱な笑みを浮かべて言った。
「いつも昂はこうなのよね…‥…‥」
言いながら昔のことを思い出したのか、綾花は眉を寄せて苦い顔をする。
さらに表情を曇らせると、綾花は不安そうに昂に訊ねた。
「ねえ、昂。ちゃんと、父さんと母さんに説明してきてくれたの?」
「無論だ!…‥…‥まあ、いささか、我の仕業ではないかと疑惑の視線を向けられはしたがな」
綾花と昂のやり取りにやれやれと首を振った後、気を取り直したように拓也は鋭い眼差しで昂を見た。
「舞波。綾花は俺の彼女だ。以前も告げたが、今後一切、手を出さないでもらおう」
「ーーなっ!?」
瞬間、昂はそれまでの余裕綽々な態度を一変させて表情を凍らせた。
「何故だ!?」
昂が非難の眼差しを向けると、拓也はきっぱりと言い放った。
「決まっているだろう!綾花に上岡を憑依させて綾花を混乱させた上に、綾花の家にまで押しかけていったのは誰だ!これ以上、綾花に付きまとうな!綾花に何もするな!」
「おのれ~、何を言う。綾花ちゃんの家に行ったのは、そもそも、貴様が我の分もおごってくれなかったのが原因ではないか!」
「俺はおごるとは言っていない!」
最強の彼氏と無敵の傍若無人が壮絶な戦いを繰り広げる中、綾花が躊躇うように不安げな顔で言った。
「ねえ、たっくん、昂。そろそろ行かないと遅刻するよ」
拓也は状況の苛烈さに参ってきた神経を奮い立たせるようにして口を開いた。
「…‥…‥行くぞ、綾花」
「えっ?」
「あっーー!!待て!!」
後から追ってきた昂を振り払うかのようにして、拓也は綾花の手を取って足早に駅を後にした。
学校に着くと正門から校舎まで歩き、昇降口から教室へと向かう。
教室に向かうまで、もう一悶着あった。綾花が別のクラスーー恐らく進のクラスだろうーーに入ろうとしていたのだ。
「おい、綾花!そこは、違うクラスだろう!」
「あっ…‥…‥」
慌てて、拓也が綾花を呼び止めて事なきを得る。
「…‥…‥うっ、ごめっ」
言葉に詰まった綾花は顔を真っ赤に染め、もういっそ泣き出しそうだった。
そんな綾花の手を取ると、拓也は淡々としかし、はっきりと告げた。
「ほら、綾花が小さい頃みたいに迷子にならないように俺が連れていってやるから」
「…‥…‥も、もう子供じゃないもの」
その綾花の硬い声に、微妙に拗ねたような色が混じっている気がして拓也は苦笑した。
そうして教室のドアを開けた瞬間、クラスメイトのツインテールの女子が突然、綾花にだきついてきた。同じクラスで、綾花の友達の星原茉莉だ。
「おはよう、綾花。聞いてよー」
「ふわっ、ちょ、ちょっと茉莉」
「事件よ事件!あっ、井上くんもおはよう」
言いながら、茉莉は軽い調子で右手を軽く上げて拓也に挨拶する。
「俺は綾花のついでか?」
不服そうな拓也の言葉にもさして気にした様子もなく、茉莉は興奮気味に話し始めた。
「なんでも、1年C組の上岡進くんが行方不明になってしまったらしいのよ!ずばり、失踪事件!」
失踪事件、その単語が出た瞬間、綾花の表情があからさまに強ばった。
失踪。公的な進の扱いはそうなっているらしい。
進の失踪の噂は、茉莉だけではなく他の生徒達の注目をも集めていた。
「私が思うに、上岡くんの失踪には、あの学校一変わり者の舞波くんが関わっているんじゃないかなって思うのよね!」
核心をついてくる鋭い茉莉に、綾花は背後の拓也と顔を見合わせた。
茉莉は得意げに人差し指を立てると、さらに言葉を続ける。
「なにしろ、上岡くんは舞波くんの唯一無二の友人だからね」
「…‥…‥うん」
「ねえ、綾花はどう思う?」
「えっと…‥…‥」
気圧される綾花を尻目に、興奮冷めやらぬ茉莉を押しのけるようにして拓也は言った。
「おい、星原、もうすぐ授業が始まるみたいだぞ」
「…‥…‥むっ、はいはい」
綾花をかばうようにして立った拓也を見て、茉莉はしぶしぶ自分の席へと引き上げていった。
綾花と拓也も自然と自分の席に座る。
先生が来て始業のホームルームが始まると、綾花は先生によってホワイトボードに書き込まれる学校側からの知らせなどをぼんやりと眺めながら先程の茉莉の言葉を思い出していた。
失踪ーー。
昂が告げたとおり、私は行方不明っていうことになっているんだね。
私はーー俺は本当はここにいるのにな。
不意に、綾花の脳内に奇妙な記憶のようなものが流れてくる。
騒然とする住宅街。困惑する警察。泣き叫ぶ家族。
警察から事情を聞かれ、進の母親が取り乱し、普段寡黙な進の父親が母親を慰める姿。
不可解で不自然な、だけど現実に起こり得ているはずの現象。
本当はーー、本当は、俺はここにいるって伝えたい。
だけど、両親はきっと今の俺に会っても混乱するだけだろうし、それに何よりも今度は私の両親が悲しみに暮れることになる。
思考は堂々巡りで、一向に一つの意見にまとまってくれなかった。
どうして、こんなことになっちゃったんだろう。
綾花は顔を曇らせて俯くと、ぽつりとそう思った。
綾花…‥…‥?
拓也は綾花のその姿を見て、かっての進の振る舞いをしてみせた綾花を重ね合わせていた。
目を見開いて右正面の席に座る綾花を見つめる拓也に対して、綾花は表情を一切変えなかった。
そのまま、拓也の視線なんか気づかなかったように、一限目の数学の教科書とノートを鞄から取り出し始める。
「おい、綾花」
「あっ…‥…‥」
拓也が声をかけたことによってようやく気づいたのか、綾花ははっとして拓也の方を振り返った。
そして、まるで誤魔化すかのように、綾花は拓也に微笑してみせる。
「…‥…‥た、たっくん。どうしたの?」
「…‥…‥おまえ、今、上岡のーー進のことを考えていただろう?」
「あっ…‥…‥」
その言葉に、綾花は口に手を当てて思わず動揺した。
指先をごにょごにょと重ね合わせ、たまらず視線をそらした綾花に、拓也は真剣な眼差しで叱咤激励するかのように、そして叩きつけるように言った。
「気にするな。綾花は綾花だろう」
「…‥…‥う、うん」
「上岡の両親には、いつか二人でちゃんと話そう」
「…‥…‥うん。ありがとう、たっくん」
文字どおり一日で生活が一変した拓也は疲れたようにため息をつく。
しかし、穏やかな表情で胸を撫で下ろすいつもどおりの綾花を見て、拓也は胸に滲みるように温かな表情を浮かべていたのだった。