第十八章 根本的に灰塵に帰す②
「麻白、私達のもとに戻ってきてほしい」
しかし、律儀に答えた昂の回答など、玄の父親は歯牙にもかけない。
ただ純粋に綾花に本来の麻白として戻ってきてほしいと願っている。
綾花達に拒まれても尚、変わらなかった愛娘への一途な百年の計。
玄の父親は正邪を越えて、娘の死という運命に抗う。
否定することが正義か。
肯定することが正義か。
それでも世界は冷たく、ようやく掴めたと思った娘の手は滑り落ち、温もりは消える。
綾花達との間で生じた亀裂は、玄の父親の危うさを浮き彫りにしていった。
「麻白。私達には麻白が必要だ……」
玄の父親が見せる真摯な瞳。
その中に隠された不安と戸惑いを、焔は軽い笑いで受け流す。
「おいおい。同じ言葉で呼びかけるだけかよ! それじゃいつまで経っても何も変わらないよな!」
「そんなことはないよ。叔父さんは変わろうとしている。ただ変わるのを恐れているだけだよ」
焔の発した戯言に、陽向は抑えようとしても抑えることのできない情動を抱く。
「むしろ変われていないのは僕の方だから」
陽向は寂寞の想いで空を仰いだ。
確証はない。
だが、陽向はある確信を胸に秘めていた。
魔術の本家である黒峯家と同じ、魔術に関わる家系。
阿南家の人達が持つ力は、叔父さんが協力を希求するほどの未知数で強大な力だ。
陽向は改めて、その言葉の意味を問い直す。
輝明と焔を始めとした阿南家の者達の介入によって、文哉が催した黒峯家の会合は明確な転機を迎える事となったのだから。
そしてそれは玄の父親と陽向も同じくーー。
「焔くんには感謝している。輝明くんに会わせてくれたんだから」
大会会場で目にした輝明の力の淵源。
綾花は輝明の激励により、あかりに憑依しており、なおかつ、時間が止まっているはずの進を呼び起こすという奇跡を発現させた。
あの未知の力は、玄の父親が使う魔術の知識とは根源から異なる力かもしれない。
「輝明くん。次に会った時は昂くんの力だけではなく、輝明くんの力を見てみたかったんだよね」
陽向は未知数である、輝明の魔術を垣間見ることを望んでいる。
だからこそ、好敵手である昂だけではなく、輝明に興味を示す事も当然の帰結だった。
「もちろん、焔くんの力もね」
「陽向……」
魔術を使う者への憧憬。
淡々とした口調の中に、綾花は陽向の抱えたものの根深さを垣間見る。
魔術に関わる家系の者ではないのに、魔術を行使する昂。
黒峯家とは別の魔術に関わる家系の人間である輝明。
陽向は異なる経緯の二人に興味を示す。
魔術の素質がなかった僕も、昂くん達のような魔術を使える存在になりたい。
それは陽向が昂と輝明の存在を知る前も、知った後も変わることのなかった不変の事実。
媒介した魔術書に記載されているものだけだが、陽向は魔術を行使することができた。
それは一時的とはいえ、陽向は昂達と同じように魔術を使えるようになったといえるのかもしれない。
だからこそ、それを叶えてくれた玄の父親の力になりたいと願った。
「麻白。僕達は、麻白を取り戻すことを諦めるつもりはないよ」
「陽向……」
綾花にーー麻白に対して発せられた、陽向の矜持と決意。
その強い意思は綾花達を後方へと下がらせた。
「僕は今の麻白に戻ってきてほしいから」
「……っ」
陽向がそう発した瞬間、涙の気配が綾花の瞳の奥に生まれる。
それでも涙が零れなかったのは何物にも代えがたい拓也の温もりがあったから――。
僕は変われなかったーー。
幼い頃の玄と麻白と大輝の姿が子守唄のように陽向の心を揺り動かす。
ずっとその手を掴めないのが麻白達だった。
そう、陽向は思っていた。
そして、それは正しくて、同時に間違いでもあった。
陽向が今掴んだものは過去ではなかった。
明日という光だ。
何時か来る明日を信じて待つために、陽向は今の麻白ーー綾花達と向き合った。
「もうあの頃には戻れない。麻白は、もう『麻白』としてしか生きられないから」
陽向はただ、弱音を吐いたように顔を俯かせて悲痛な声を漏らす。
あの頃に戻りたい、和解したい。
でも、魔導書の力をーー魔術の力を手放したくない。
叶うはずもないと、諦めた方が楽なことを知りながら。
それでも、或いはという、砂粒にも満たぬ可能性を胸に抱きしめて。
「あの頃……か」
輝明は陽向のその気概に促されて、自分のするべき事を理解する。
輝明は目を伏せて、声を掛けるべきの相手に神経を集中する。
もう一度、戦いへと意識を向ける。
だが、これは逃げる為の戦いではない。
自分の過去に向き合う為の戦いだ。
「何故、変われてないと思った? 今一番、変わるべきはその思考だな……」
「輝明くん。僕も変わっているのかな……」
輝明を一瞥した陽向はゆっくりと笑みを作り上げてからーー表情を消した。
哀切を込めた疑問に対して、陽向はその答えを持っていた。
求めていたからこそ、輝明の解は眩しく思える。
陽向と同じく、輝明もまた常に抱いている疑問があった。
魔術の本家の者達に何を成せばいいのかーー。
その答えは未だ、見出だせてはいない。
だが、輝明は答えなど不要とばかりに、心中で唾棄して文月達と対峙する。
身体を打つ魔力の流れが熱を引かせ、周囲を包む乱戦の音は彼の心を鎮めていく。
隠されていた真相を聞かされた時、輝明の心に迷いが生じた。
それでも輝明の胸には戦意がゆっくりと沁み出してくる。
「僕達、『クライン・ラビリンス』が、最強のチームだと言われている所以はなんだ?」
「それはーー」
「絶対的な強さと、それを補えるだけの個々の役目」
拓也が答えを発する前に、断定する形で結んだ輝明の決意。
やがて来るであろう、今後の生き方との直面。
自分の未来への選択。
魔術の分家、阿南家の家主の息子は大切な仲間とともに紡いだ絆の証を道標としていた。




