第五十八章 根本的に虚構戦役の革新②
綾花達は様々な過程を経て今に至る。
綾花の話を聞いていた輝明は過去を思い起こす。
魔術か……。
あれはいつの頃だっただろうか。
輝明の母親が幼い輝明に語ってくれた魔術の話。
儚い想いに咲く、枯れない魔力の花を模したような真偽が定かではない話。
『魔術……?』
『そうよ。貴方は魔術の影響を受けない。私達の家系は、魔術の影響を受け付けないのよ』
輝明の母親は幼い輝明を連れて、夕暮れと黒雲の境目を遠くに眺めながら呟く。
魔術に関わる家系の人間にとって、黒峯家が管理している魔術書は特別な意味を持つ。
世界を変革する先触れ。
それに伴う緊張感をもたらすのだ。
『手を出して』
『……ああ』
幼い息子を慈愛する輝明の母親のその表情には時折、暗い影が落ち、複雑な感情が見え隠れしていた。
輝明の掌に温かな魔術の光が注ぎ落ちる。
『これが貴方の力。貴方が持つ魔力の流れ』
『これが僕の力か』
輝明は業腹ながらも、輝明の母親の言い分を認める。
玄の父親が経済界への影響力がかなり強い人物であるように、輝明の父親もまた総務大臣ーー政治界への影響力がかなり強い人物だった。
魔術を使うーーその過程に存在した大きな問題。
それは玄の父親と同様に、総務大臣である輝明の父親の手によって秘匿することが出来た。
そうでなければ、彼女達がこのような平穏に満ちた生活を送れるはずもない。
『分からないな。どうして、魔術は僕達しか使えないんだ?』
幼い息子が抱いた純粋な疑問。
輝明が発したその問いの答えも、輝明の母親は持っていた。
『魔術はね、魔術に関わる家系の人間でも、使える人と使えない人がいるの。だからーー』
輝明の母親の呟きに、輝明が弾かれたように首を巡らせる。
『この力のことは、私とお父さん以外には話してはだめなのよ』
輝明の母親に釣られて、輝明は空を仰ぐ。
『これは、明日をこの手で掴み取るための力なの……』
空の海は静かに夢たゆたう。
気の緩みから馬脚を露わにした、輝明の母親の独り言とともにーー。
思考に滑り込んだ過去。
しかし、それを振り払うように、輝明は真剣な面持ちで頭を振った。
「なるほどな。だが、それだけでは信用に値しないな」
「はあっ? 詭弁じゃねえのか。それが事実だというなら証明してみせろよ!」
真偽を確かめる言葉とは裏腹に、焔は既にそれが事実だと認知している。
魔術の力によって四人分生きる事になった瀬生綾花。
玄の父親と陽向に協力する際に、その辺の事情も聞き及んでいた。
だが、焔はそれでも人格が変わるという特異な体質になった綾花の話に興味を注ぐ。
焔が何より好むのは、その話の中で垣間見える魔術の苛烈な情動なのだから。
綾花は輝明達の想いに応えるために意識を高めた。
「私も輝明くん達のように、みんなの力になりたい」
そうつぶやいた瞬間、いつものように麻白の想いが、綾花の脳内にぽつりと流れ込んでくる。
『あたしも、みんなの力になりたい』
「うん、力になりたい」
麻白の想いに誘われるように、綾花は嬉しそうに笑ってみせる。
『だけど、あたし、これからもみんなの側にいたいよ』
「……これからもみんなの側にいたいの」
麻白の想いに誘われるように、綾花は悲しそうに顔を歪めて力なく項垂れる。
それは綾花に麻白の心が宿ってから現在に至るまで、何度となく繰り返されてきた行為。
綾花が綾花であり、進であり、そして麻白であることの証明。
それは今も変わることのない不変の事実だった。
麻白の望みは、みんなの側にいることだから、私はーー私達はそれを叶えたいの。
麻白が、私達を救いたいと願っているようにーー。
綾花達が麻白のことを想っているように、麻白もまた、綾花達のことを想っていた。
「そうだね」
吹っ切れたような言葉とともに、綾花はまっすぐに魔術の施錠が施された扉を見つめる。
玄の父親は魔術を用いて、綾花を麻白にするつもりだ。
だが、麻白は今のまま、みんなの側にいる事を望んでいる。
だからこそ、綾花達と玄の父親達の意見はいつまでも平行線を辿っていた。
「私はーーううん、私達は魔術に負けない」
綾花は改めて麻白の想いの真実を見たような気がして、穏やかな表情を浮かべる。
「これからも、私がーーあたしがみんなと共に居るために。あの時のように、あたし達に力を貸してほしいの。ーーお願い、目覚めて、進!」
綾花は口振りを変えながら、意を決したように声高に叫ぶ。
『瀬生綾花』と『黒峯麻白』は想いを強く馳せらせる。
もう一人の自分である『上岡進』に届くようにーー。
そしてーー。
「ああ。さっさと目覚めろ!」
咄嗟に発した輝明の激励に同調するかのように、綾花は途方もなく心が沸き立つのを感じていた。
輝明くんの声は、あの時と同じように私に力をくれるの。
みんなが教え、結んでくれた繋がりは、今も私のーー私達の心の中にあるのだからーー。
その思った瞬間、綾花の表情はいつもの柔らかな綾花の表情とはうって変わって、進のそれへと変わっていく。
「ーー井上、布施、そして、阿南。俺も力になるからな」
「綾花……いや、上岡か?」
「そうみたいだな」
綾花の快活な明るい声。
拓也と元樹は状況を把握し、表情を綻ばせた。
「話し方が変わった……。事情を聞いていたとはいえ、不思議な感じがするな」
「……へえー、面白い現象じゃねぇか」
輝明と焔が思考を重ねている間際にも、元樹もまた、今までの情報を照らし合わせて状況を掴もうとする。
「輝明さんがあの時と同じように、綾と一緒に上岡に呼び掛けたことで何か変わるかもしれないな」
確証はない。
だが、元樹はある確信を胸に秘めていた。
魔術の本家である黒峯家と同じ、魔術に関わる家系。
阿南家の人達が持つ力は、黒峯蓮馬さん達が協力を希求するほどの未知数で強大な力だ。
元樹は改めて、その言葉の意味を問い直す。
輝明と焔を始めとした阿南家の者達の介入によって、文哉が催した黒峯家の会合は明確な転機を迎える事となった。




