第五十五章 根本的に花に込めた願い⑦
「舞波くん、大丈夫かな?」
慄然する昂の慌てぶりに、綾花は不安そうにつぶやいた。
警備員達に拘束された昂は、屋敷に連行される以前に狼狽している。
こんな調子じゃ、先が思いやられるなーー。
拓也は気持ちを切り替えるように、顔を曇らせて言った。
「元樹、屋敷への厳戒態勢が敷かれたけれど、屋敷に侵入に出来そうそうなのか?」
「こればかりは、屋敷に向かわないと分からないな」
拓也の素朴な疑問に、元樹は思案を重ねる。
「恐らく、俺達がこのまま行っても、屋敷に入る事は出来ないだろう。舞波の事は、先生達に頼んでいる。屋敷への侵入経路は、先生達に任せるしかないな」
「……そうか」
真剣な眼差しでそう告げた元樹から目を逸らすと、拓也は複雑な表情を浮かべた。
「心配するなよ、拓也。舞波の騒動で、黒峯家の会合に赴く時間は大幅に変更してしまったけどさ。俺達は今、こうして、屋敷へと侵入しようとしているんだからな」
「そうだな」
元樹の決然とした意思に、拓也は真剣な眼差しで応える。
綾花達がまた、綾花達としていつでも笑えるように、と拓也と元樹は心から願った。
そして、それは先行した昂達によって叶えられると信じている。
警備員達の目から逃れるため、綾花達は木々を駆け抜け、屋敷へと歩み寄る。
綾花達は木々を潜り抜けた後、通路を進んでいき、目的地である屋敷へと急いだ。
しかし、長い通路を駆け抜け、いくつもの角を曲がった先に、魔術の施錠が施された扉が綾花達の前に立ち塞がる。
「屋敷に入るためには、ここを通る必要があるのか」
「…‥舞波くんと先生達、大丈夫かな」
思わず、身構えてしまった拓也の張り詰めた心持ちに呼応するように、それまで誘導に従っていた綾花が不安を滲ませる。
拓也は出来るだけ適当さを感じさせない声で応えた。
「先生達の事だから、屋敷の侵入経路の確保に関して何かしらの対策を練っているはずだ。ただ、問題はまた、舞波が暴走していないかだな」
「……そうだね」
拓也の説明を聞きながら、綾花は不安そうにぽつりとつぶやいた。
「まあ、あいつのことだから、例え、暴走しても、うまいこと立ち回ってくるだろう」
「……うん、そうだよね。どんな時も、舞波くんは無類の力を発揮するもの」
拓也の苦笑に、綾花は思い出したように柔らかな笑みを綻ぶ。
「綾花、大丈夫だからな。今回は輝明さん達もついて来てくれている。舞波とすぐに合流を果たせるはずだ」
拓也はそっと、綾花と視線を合わせるように語り掛ける。
それは、綾花の頭を撫でるように優しい声音だった。
「綾花、先生達が屋敷に侵入するまでの間、ここでやり過ごす形になるけれど大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」
拓也の戦意に、綾花は戦う意思を固めるように持っている鞄に視線を向ける。
「先生達が屋敷に侵入するまで、か。どのくらいの目安で侵入出来そうなんだ?」
「それは分からないけれど……」
「なら、屋敷に侵入する前に、会合が始まってしまうんじゃないのか?」
戸惑いながらもそう返す拓也だったが、輝明は身も蓋も無く切って捨てた。
「僕達なら、まずはこの扉を開けて、先に会合の場へと侵入する」
「それってもしかして、輝明さん達はこの扉を開ける事が出来るのか? でも、先生達が侵入してから立ち回った方が動き易いんじゃないのか?」
拓也の当然の疑念に、輝明は率直な意見を口にした。
「その思い込みを利用すればいい」
「なっ!」
挑発的な言葉なのに、少しも笑っていない。
拓也達の隠しようのない驚愕に、輝明は短く息を吐いた。
「向こうも、僕達がここでやり過ごすと考えているはずだ。なら、それに興じて攻めればいい」
その声は、静かに場を支配した。
綾花達を取り巻く周囲の空気が変わる。
「扉を開けた後、僕は焔と一緒に、屋敷の者達の虚を突く。その間、おまえ達は仲間と合流を果たしてこい」
「わ、分かった」
「……うん」
静かな言葉に込められた有無を言わせぬ強い意思。
輝明の凛とした声に、拓也と綾花はたじろぐように退く。
後方に下がった綾花達をよそに、焔が愉しそうに笑みを浮かべる。
「……ああ、そうこなくちゃな」
そう告げる輝明の口調に、綾花達が抱いているような逡巡や不安の揺れはない。
輝明の振る舞いに、焔は心から安堵し、意思を固めた。
「輝明、おまえは俺が唯一、認めた主君なんだからよ! 全てを覆せるだろう!」
いつもの強気な輝明の言葉に、焔は断固たる口調で言い切る。
「魔術の本家ーー屋敷の者達の虚を突くのは、俺達の役目だ! あらゆる隔たりも関係ねえ! 俺は阿南家の存在を、魔術の本家の者ども、他の魔術の家系の者どもにーー世間に認めさせたいんだ……!」
理想を心に、けれど歩む道には犠牲が十分に伴ってきた。
全てを拾うには、己の掌は余りにも小さ過ぎるのだと知っている。
(これは俺の意地だ)
だからこそ、焔は期待を込めた眼差しで主君である輝明を見つめた。
「阿南輝明さんと阿南焔さんって、なんていうか、互いに……」
「……うん。信頼し合っているね」
瞠目する拓也の言葉を繋ぐように、綾花は確かな事実を口にする。
「当初の予定とはかなり変わったけれど、作戦を立て直す必要はなさそうだな」
先を見据えた元樹は案ずるような気配を昇らせた。
昂が持ちかけた奇襲作戦。
それは型破りな作戦でもあり、限られた戦力の綾花達が取れる最善の策だった。
「後のことは、おまえ達に任せた。そしてーー」
輝明の真剣な表情が、一瞬で漲る闘志に変わる。
「黒峯家、由良家、神無月家。魔術の本家であっても関係ない。僕達は、僕達のーー阿南家の役目を果たす。それだけだ」
「……ああ、そうこなくちゃな」
焔は抑えようとしても抑えることのできない情動を抱く。
魔術の家系の家主の息子とそれに仕える者の孫。
だが、輝明と焔の関係は、不平等という虚飾を取り払った友誼に基づく。
焔にとって互いの肩書きなど、何の意味も成さない。
それは何よりも美しい美学だと思えた。
輝明に仕える忠臣ーー。
この場所なら、焔はいつまでも自分らしくいられると思った。
「焔、解錠するのは扉だけだ」
「へいへい、肝に免じておくぜ。……一応な」
輝明と焔は申し合わせたように、魔術の施錠が施された扉を見据える。
恐らく、ここに裂ける戦力は限られている筈……
。
機を窺う輝明は戦略で勝機を掴もうとする。
そこにいるのは、魔術の分家の家主の息子ではない。
どんな状況からでも決して負けない最強のチームのリーダー。
綾花達が羨望の眼差しで見た『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステム内で二位のプレイヤーだった。




