第二十七章 根本的に彼女は一人芝居を演じられるか
昼休みになる早々、クラスメイトの少女が明るい笑顔で、昨日、学校を休んでいた銀色の髪の少女に声をかけてきた。
「宮迫さん、お昼、どうするの?もしよかったら、学食、行かない?」
「お、俺はいいよ」
神妙に首を横に振って話をそらした銀色の髪の少女に、クラスメイトの少女はうーん、と考え込むようにして言う。
「俺…‥…‥って言うの、宮迫さんの口癖?」
「ああ」
「そうなんだね」
さして気にした様子もなく、クラスメイトの少女はこめかみに指を当てて悩ましげに目を閉じる。
「宮迫さん、放課後、あいている?駅前に新しくできたスイーツショップに行かない?」
「いや、俺は用事があるから」
ぽん、と手を打ったクラスメイトの少女が嬉々とした表情で興奮気味に話すのを見て、銀色の髪の少女は苦笑する。
そんなやり取りの中、銀色の髪の少女は顎に手を当てて深く大きなため息をつくと、こうなってしまった原因の出来事をふと頭の片隅に思い浮かべていた。
「綾花ちゃん、昨日の追試の結果なのだが、見事に我は英語以外全て赤点だった。しかし、不正はしていなかったということを考慮されて、留年だけは何とか免れたのだ。これは、留年回避祝いのプレゼントだ」
「ありがとう、舞波くん」
昂の追試の翌日、拓也と綾花が登校後、自分の教室に入ろうとしていると、先程、別れたばかりの昂がご機嫌な様子で戻って来て、持っていたプレゼントが入った紙袋を綾花に手渡してきた。
自分の留年が回避されたというのに綾花にプレゼントを手渡してくるという、何かにつけて綾花に絡んでくる昂の様子を見て、拓也がむっと顔を曇らせる。
しかし、昂は何食わぬ顔で立て続けにこう言ってのけた。
「交換ノートに書き込まれていた綾花ちゃんからのメッセージが、留年回避へと大きく貢献したことに感謝の意を込めてーー、そして、我が進にと厳選に厳選を重ねて考え抜いたプレゼントだ。間違いなく、進にとって満足の域に達する一品だろう」
「そうなんだ」
傲岸不遜な昂の言葉に、綾花は口元に手を当ててにっこりと花咲くような笑みを浮かべた。
そんな綾花と昂のやり取りを見遣ると、拓也は警戒心をあらわにして訊いた。
「また、ペンギンが出てくるゲームじゃないだろうな?」
「むっ、否!今回はゲームではない!」
昂が力強くそう力説すると、拓也は訝しげに眉根を寄せる。
「ゲームではない?」
「うむ。しかし、ゲームではないが、まさに進のーー否、琴音ちゃんのためにあるようなものだ」
琴音のためにあるというフレーズに、拓也は明確に表情を波立たせた。
綾花ではなく、上岡でもなく、何故かゲームの大会や旅行の際に綾花が使っていた偽名を、あえて昂は念押しする。
その、どうしようもなく不安を煽る昂の態度に、拓也は焦りと焦燥感を抑えることができずにいた。
拓也は迷いを振り払うように首を横に振ると、再度、昂にプレゼントのことを尋ねようとして、
「おっ? 瀬生、また、舞波からゲームをもらったのか?」
と、聞き覚えのある意外な声に遮られた。
その声に意表を突かれて、拓也は思わず綾花が持っているプレゼントが入った紙袋を興味深そうに見つめていた元樹へと視線を向けた。
頭を悩ませながらも、拓也はとっさに浮かんだ言葉を口にする。
「いや、今回はゲームではないみたいだ」
「そうなのか?」
「ああ。何でも、綾花が以前、使った『宮迫琴音』の偽名に関連したものらしい」
やや驚いたように振り向いた元樹に、どうにも腑に落ちない拓也がさらに口を開こうとしたところで、綾花がおずおずと声をかけてきた。
「ねえ、たっくん。…‥…‥開けてみてもいい?」
先程までの緊迫した空気などどこ吹く風で、今か今かと了承の言葉を待っている綾花に、拓也は思わず顔をゆるめていつものように優しく頭を撫でる。
「ああ」
「ありがとう、たっくん」
綾花はほんの少しくすぐったそうな顔をしてから、幸せそうにはにかんだ。
そして、持っている赤い紙袋から、手帳のようなものを取り出す。
「…‥…‥手帳?」
綾花が不思議そうに小首を傾げていると、元樹が付け加えるようにぼそりとつぶやく。
「…‥…‥普通の生徒手帳だな」
「…‥…‥うん」
そう言っておそるおそる生徒手帳を開いてみた途端、綾花は目を見開き、みるみるうちに驚きの表情を浮かべた。
ツーサイドアップに結わえてある、銀色の髪の少女。
制服に身を包んだ彼女は、今にも語りかけてきそうな顔をして嬉しそうに笑っている。
えんじ色の生徒手帳。
そこには、『宮迫琴音』としての綾花の写真と名前、そして1年C組というクラス名が記されていた。写真は魔術を使っての合成写真だろうか。何故か、学校の制服を着ている。
宮迫琴音。
上岡として振る舞っている時の綾花であり、本当はどこにもいない少女の名前。
仮想現実の中の存在のような、ふわついた空想上の少女。
少し困ったような表情を浮かべ、顔を伏せた綾花の様子を見かねた拓也が、抑揚のない口調で言った。
「なんだ、これは?」
「琴音ちゃんの生徒手帳だ」
あっさりと昂にそう言い捨てられ、拓也は鋭く目を細めた。
「だから、何故、綾花のーー宮迫琴音の生徒手帳があるんだ?」
昂の涼しげな表情が腹立たしくて、拓也はもう一度、同じ疑問を口にした。
「たまたま、我のクラスに琴音ちゃんが在籍しているだけだ。気にするな」
「はあっ?」
その思いもよらない言葉は、昂から当たり前のように発せられた。
まるで本当に綾花がーー琴音が自分のクラスに在籍しているような昂の言い種に、拓也は思わず不審そうに眉をひそめる。
すると、何故か不本意そうに頷き、わざとらしく咳払いして、昂は苦悶の表情を浮かべながら決まり悪そうに叫んだ。
「なんだ、その目はっ!!誤解するな!我は、綾花ちゃんと同じクラスになりたいと前々から思っておったのだ!下種の勘ぐりはよせ!」
「…‥…‥いや、何も言っていないだろう」
不愉快そうに言うと、それから拓也はちらりと昂を見て、そして綾花に視線を移した。
「…‥…‥そろそろ教室に入るぞ、綾花」
「えっ?」
「ーーなっ!?」
きょとんとする綾花を尻目に、昂はそれまでの余裕綽々な態度を一変させて表情を凍らせた。
「何故だ!?」
昂が非難の眼差しを向けると、拓也はきっぱりと言い放った。
「決まっているだろう!もうすぐ、授業が始まるからに決まっている!」
「まだ良いではーー」
ないか。そう続くのだと予想して、拓也は昂の台詞を先回りするように言う。
「行くぞ、綾花」
「…‥…‥あっ、うん」
「はあっ…‥…‥。舞波って、ホントに変なことばかり考えるよな」
「あっーー!!待て!!」
後から追ってきた昂を振り払うかのようにして、拓也は呆気に取られている元樹と一緒に、戸惑う綾花の手を取って足早に教室に入ったのだった。
「おはよう、綾花」
「ふわっ、…‥…‥お、おはよう、茉莉」
綾花達が教室に入った瞬間、茉莉がいつもどおり、綾花に抱きついてきた。
「ちょっと聞いてよー!あっ、井上くんと布施くんもおはよう」
言いながら、茉莉は軽い調子で右手を軽く上げて拓也と元樹に挨拶する。
「…‥…‥ああ、おはよう」
「星原も、相変わらずだな」
顔をうつむかせて不服そうに言う拓也とやれやれと呆れたようにぼやく元樹の言葉にもさして気にした様子もなく、茉莉は興奮気味に話し始めた。
「ねえねえ、綾花。この間、布施先輩が参加したゲームの大会に出ていた、すごくゲームが上手い女の子の話、覚えている?」
「…‥…‥う、うん」
ゲームが上手い女の子、その単語が出た瞬間、綾花の表情があからさまに強ばった。
オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会の決勝に出場していた銀髪の少女ーー宮迫琴音の噂は、何故か茉莉だけではなく他の生徒達の注目をも集めていた。
「実は、その女の子、隣のクラスにいるみたいなの!まさに、灯台下暗しよね!」
「なっーー」
綾花と茉莉のやり取りを傍観していた拓也は、そこで到底聞き流せない言葉を耳にした気がして困惑した。
綾花がーー宮迫琴音が、隣のクラスに在籍している…‥…‥?
先程のあの言葉は、舞波による虚言、事実無根のまことしやかな絵空事ではなかったのか?
そんな拓也の疑心を尻目に、茉莉は得意げに人差し指を立てると、さらに言葉を続ける。
「確か名前は、えっと…‥…‥、宮迫琴音…‥…‥だったかな」
少し戸惑いながらも当然のように告げられた茉莉の言葉に、緊張した空気がさらに張り詰める。
拓也と元樹ーーそして、当の本人である綾花でさえ、茉莉に言葉を返すことができなかった。
綾花達は始業のホームルーム開始のチャイムが鳴るまで、その場に立ち尽くすことしかできずにいた。