第五十三章 根本的に花に込めた願い⑤
奇跡を乞うだけの幼子であったのは、いつまでだったろうか。
虐げられた日々を知っていたから、文哉は只人から抜け出そうと邁進し続けた。
「だからこそ、舞波昂くんが何故、魔術を使える者として存在しているのか知りたい」
論理感、死生感、善悪。
文哉が抱く感情はある意味、自尊心によるものが強い。
平凡である事が罪だった。
非凡を望まない事が罪だった。
だからこそ、文哉はそんな理不尽な運命に叛逆できる力を願う。
誰かに押し付けられた不条理を撥ね退けるほどの力を求める。
文哉が強くなったのは、玄の父親と比肩する力を求めたため、或いは凌駕しうる執着を玄の父親に抱いているために他ならない。
いずれにせよ、賽は投げられた。
文哉は己の信念を頑なに信じ、黒峯家の者達は会合が始まるその時を静かに待っていた。
昂の暴走が収まった後、拓也は結界に関する疑問点を口にした。
「でも、元樹、阿南家の人達は魔術の影響を受け付けないんだよな? 輝明さん達は、結界の影響を受けないんじゃないのか?」
「もしかして、結界の影響を受ける私達のために別の方法を選んでくれたのかな」
拓也と綾花が抱いた疑問に応えるように、元樹は推測を確信に変える。
「ああ、恐らくな」
確信を込めて静かに告げられた元樹の問いは、ふて腐れている昂へと向けられていた。
「おのれ~、我の巨大化は……我の巨大化は……いつになったら実現できるのだ……」
昂の執念はもはや、怨念に近い。
玄の父親や陽向を始めとした黒峯家の者達に遺恨を晴らそうとする。
奇縁の巡るところ。
運命に抗わんとする自身の駆使した魔術が暴れる瞬間を夢見て、昂は今まさに鉄火場に魔力を燃やして振る舞おうと意気込む。
地面を穿たんとばかりに降り注ぐ魔力の流れが、静閑を裂く。
その様子を見かねた元樹は、深々とため息を零す。
「心配するなよ、舞波。巨大化の見せ場なら、用意しているからさ」
「我の巨大化の見せ場……!」
元樹の思わぬ発言に、昂だけではなく、拓也達も動揺の色を隠せずにいた。
「なるほどな。我の巨大化の見せ場はもう少し後だったということか」
昂は天啓を得たように目を輝かせる。
「こうなったら、先生達や黒峯家の者達の妨害に屈せず、何が何でも我の巨大化作戦を成功させるべきだ!」
昂はあくまでも自身の巨大化作戦を正当化する。
そして、それを妨害してくるであろう黒峯家の者達に対しては徹底抗戦の構えを取る姿勢を見せた。
「おい、元樹。舞波の巨大化の見せ場って……」
喜び勇む昂の有り様に、拓也は確かな不安を覚える。
「あのままじゃ、いずれ舞波は『対象の相手を大きくする』魔術を行使しそうだからな。だったら、始めから作戦に組み込んでいた方がいいと思う」
「作戦に組み込むと言ってもな……」
元樹の示唆に、拓也は明確に表情を曇らせる。
昂が巨大化した場合、即座に屋敷に居る魔術の家系の者達に気付かれ、奇襲作戦が台無しになりそうだ。
しかし、昂は機に乗じて、敵陣をかき乱そうと戦闘準備を整えている。
「まあ、作戦を提示しても、舞波が暴走しそうな雰囲気だけどな」
元樹の懸念ーーそれはこの場にいる者達、誰もが抱く不安要素だった。
だが、その憂慮に気付く事もなく、昂は『対象の相手を大きくする』魔術ーー巨大化作戦への期待に胸躍らせる。
「我の巨大化を実行する時がようやく訪れたのだ」
このまま、黒峯家の屋敷に向かう運びとなった昂は意気揚々と戦意を高めた。
だが、元樹達が抱いた先程の不安はすぐに形になる。
屋敷へと続く道を歩む玄の父親と陽向の姿。
その光景を目の当たりにした昂は、玄の父親達に向かって奇襲を仕掛けようとしたからだ。
「黒峯蓮馬と黒峯陽向。我の先制攻撃を受けるべきだ!」
「おい!」
「奇襲作戦はどうするんだ?」
意気込む昂は脇目も振らずに、拓也と元樹の制止を振り切る。
そうーーこれが間違いだとしても、無為に終わる行為だとしても。
昂が、玄の父親と陽向に対して抱く情念は計り知れない。
自身が築き上げた奇襲作戦を敢えて、反故にするまでに。
因縁の相手に向かっていくという決意を、昂は貫き通す。
「黒峯陽向、今こそ、我の魔術を食らうべきだ!」
昂は間隙を突くように、裂帛の気合いを込めて魔術を放った。
意表をついた昂の魔術。
だが、それは口にした陽向ではなく、玄の父親へと向かっていく。
「昂くん、残念だが同じ手は食わない」
玄の父親は魔術の知識を用いて、昂の魔術から身を護る防壁を生み出すと、即座に陽向に目配せする。
「陽向くん」
「うん。叔父さん、任せて!」
「……むっ!」
陽向は申し合わせたように、昂が放った魔術を容易く相殺したのだった。
「おのれ~」
草木に身を溶け込ませた昂は悔しそうにうめく。
不意討ちがあっさりと避けられてしまった上に、黒峯家の者達にも自身の居場所が発覚してしまった。
図らずとも囮役を買って出た昂は、屋敷周辺に厳重に配置されていた警備員達から逃げ惑う。
当然、玄の父親に雇われている警備員達からも追いかけられてしまい、その度に昂は魔術を使って難を逃れてきたのだ。
昂はそれでも人影がないか確認してから、そのまま玄の父親達が向かった屋敷がある方向へと視線を動かす。
「許せぬ! 許せぬぞ!!」
昂は両拳を突き上げながら、地団駄を踏んでわめき散らしていた。
「我は、黒峯蓮馬と黒峯陽向から綾花ちゃんを護らねばならぬ、ーー護らねばならぬのだ! その我が、何故、黒峯蓮馬と黒峯家の刺客ごときで、こんなにうろたえなくてはならないのだ!」
憤慨に任せて、昂はひとしきり玄の父親と黒峯家の者達の事を罵った。
ひたすら考えつく限りの罵詈雑言を口にし続ける。
「しかし、奴らは不死身のゾンビか? 我を目の敵にしおって! 我は黒峯家の屋敷に行かねばならぬと何度告げても追ってくる!」
忌々しそうにつぶやいた昂は一人、淡々と言葉を連ね続ける。
「このままでは、綾花ちゃんと合流することさえもままならないではないか」
昂は胸に手を当てて深呼吸をする。
改めて、昂はどうすれば追っ手を振り払って、綾花達がいる場所に行く事ができるのかを考え始めた。
だがすぐに思考を止め、昂はお決まりの魔術を使おうと片手を掲げる。
「うむ、とりあえず、ここはーー」
『対象の相手の元に移動できる』魔術を使うべきだな。
昂がそう続けようとしたところで、木陰の奥から鋭い誰何の声がした。




