第五十一章 根本的に花に込めた願い③
世界はやがて魔力に地を覆われる日々を迎え、魔術とともに過ごす事が増えていく。
窓から集いつつある魔術の本家の者達を眺めながら、男は一息つくように息を吐いた。
一瞬で曇る窓辺。
屋敷の奥を見つめる彼の視線の先には、まだ踏み荒らされていない畳が煌めくばかりだった。
「舞波昂くん。君に宿る魔力の根源、今日の会合で全貌を明らかにしてもらおうか」
男は忌々しそうに眉をひそめる。
そんな中、彼は外に強い悪意に似た不穏な気配を感じ取る。
同時に、複数の影が屋敷の門の向こうで揺らめく。
「魔術の本家の者達以外も動き始めたようだ。会合の準備を急ぐ必要があるな」
男は今まで起きた魔術の騒動を想起する。
これから始まる黒峯家の会合の論議をより激しくするかのように。
魔術の本家の者達は良い。
何者にも汚されない純粋な色だから。
魔術の分家の者達もまあ良い。
彼らのことを快く思っていない者達もいるが、それでも自身が求める純粋な色に近い。
敢えて、彼らを招待しなかったことで、恐らく今回の会合に飛び入り参加をしてくる者達もいるだろう。
それこそ、願ったり叶ったりだ。
だが、魔術の家系と関わりのない者が魔術を行使するのは最早、自身が求める純粋な色から程遠い。
故に、それを踏み荒らす輩には嫌悪感を覚える。
何も知らぬ汚れなき魔術の本流。
あの汚れなき色を手折ろうとするなど以ての外だ。
男はもう一度、窓に息を吹きかけ、範囲を広げる。
そして、曇った窓に指先を滑らせて文字を綴る。
嫌悪感を覚えつつも、その存在意義に興味を惹かれる者の名を。
今回の会合に奇襲を仕掛けてくるはずの舞波昂の名をーー。
嫌悪感を覚える相手に、興味を示している。
一見すると脈絡が見えない。
誰かにそれを問われたら、男が返答に窮する存在ーーそれが昂だ。
だが、それでも男は昂の魔力の源を知りたかった。
彼の魔術の根元を解明したいと願う、彼が想いを寄せし者達は次第に屋敷へと集まってきていた。
「こんな方法で屋敷に入れるんだな」
輝明達の手により、屋敷にあっさりと侵入することが出来た拓也は感嘆の吐息を零す。
屋敷内に張られている魔術の結界と同量の魔力を放出して通り抜ける。
魔術に行使する者達であれば周知の事実であるが、魔術を使えない綾花達には馴染みがない。
屋敷への侵入が成功する確率は高く、実際、有効であった。
だがーー。
「我は納得いかぬ!」
魔術の家系とは無関係な人物ーー昂は想定外の方法で侵入したことに難癖をつけていた。
意表を突くような侵入方法に、俄然として異議を申し立てる。
「我が悩み悩んで打ち出した作戦が全く反映されておらんではないか! 我の作戦ではまず、我が巨大化して屋敷に奇襲を仕掛けるはずだ!」
悲憤の熱に侵されながらも、昂は憤りをあらわにした。
昂が自身の作戦に組み込んでいた『対象の相手を大きくする』魔術。
対象の相手を際限なく大きくするという魔術は、近辺に被害が及ぶ可能性があるため、今まで行使出来ずにいた。
しかし、黒峯家の会合という魔術に関わる者達だけの集いでは話が変わってくる。
昂にとって、絶好の機会の到来。
それは制止されていた魔術をお披露する、またとないチャンスだった。
だからこそ、輝明達が手を加えた作戦は決して歓迎出来る類のそれではなかった。
「我の魔術の才能を駆使すれば、黒峯家の屋敷への奇襲など容易いのだ!」
「魔術の才能か。どうして、舞波に魔術の才能があるんだろうな」
元樹は敢えて、昂の意見を重く受け止めた。
いまだ姿を見せない玄の父達の思惑といい、気がかりが残る。
「さあ、綾花ちゃん、今度こそ刮目してほしいのだ! これが、改良に改良を重ねて、我が産み出した偉大なる魔術ーー」
疑惑を消化できずに顔をしかめる拓也と元樹をよそに、昂はビシッと綾花を指差して言い放った。
「『対象の相手を大きくする』、つまり『対象の相手を小さくする』魔術の逆バージョンだ! その名のとおり、対象の相手を際限なく、大きくすることができるのだ!」
「……おい」
「……その魔術を使わなくても、侵入出来ただろう」
あまりにも突拍子のない昂の物言いに、拓也と元樹は呆然としてうまく言葉が返せなかった。
しかし、昂は何食わぬ顔で、立て続けにこう言ってのけた。
「さあ、綾花ちゃん。この魔術の力を立証するためにも、今から我が大きくなってみせるのだ!!」
「……ふわわっ、舞波くん、落ち着いて!」
得意げにぐっと拳を握り、天に突き出して高らかにそう言い放つ昂に、綾花は口元に手を当てて困ったようにおろおろと呟く。
「綾花ちゃん、見るのだ! これが大きくなった我ーー」
「おい!」
「あのな……。こんな場所で巨大化しようとするなよな!!」
居丈高な態度で今、まさに実行に移そうとしていた昂を、拓也と元樹が必死に引き留めた。
「貴様ら、離すべきだ! 我は意地でも巨大化を成し遂げてみせる! なにしろ、せっかくこの魔術を産み出したのに、大会会場でも、黒峯陽向の病室でも使うことを止められたのだからな」
それでもなお、昂は魔術を実行しようとする。
「舞波。おまえはまた、警察に捕まりたいのか?」
1年C組の担任から発せられた鶴の一言。
綾花達が阿南家の屋敷を出た後、1年C組の担任と汐は今回の作戦に同行していた。
魔術を使うために、片手を掲げた昂の動きがぴたりと止まる。
「ひいっ! あ、綾花ちゃん、今すぐ我を助けてほしいのだ!」
「ふわっ、ちょ、ちょっと、舞波くん」
それだけを言い終えると、昂が戦慄したように綾花を抱きついてきた。
こうして、昂の型破りな奇襲作戦は実行される前に水泡に帰していく。
「魔術を産み出すか……」
騒ぎの原因になった昂を、輝明は油断なく見つめる。
昂が使える魔術。
それは、他の魔術に関わる者達が行使する力とは一線を画す。
昂が使っている魔術は、昂の魔力、または昂が産み出した魔術道具を使うことによって事象を変革するものだ。
魔術の家系の者達にとっても、未知の類いだった。
黒峯家には、魔術の伝承がある。
そして、他の魔術の家系にも様々な言い伝えが残されている。
それなのに、魔術の家系とは無縁のはずの昂が魔術の素質を持っている。
そして、玄の父親は何故、魔術書という貴重なものを昂に渡したのかーー。
輝明のその問いは論理を促進し、思考を加速させる。
そうして、導き出された結論は、玄が以前、行き着いた形と同じものを取った。
「新たな魔術を産み出せる存在だったから、魔術書を渡したのかもしれないな」
「……へえー、面白いじゃねぇか」
核心を突く輝明の理念に、焔はそれだけで納得したように表情に笑みを刻む。
魔術の家系でもない。
魔術に携わる家系の血筋でもない。
それでも昂が魔術を行使できているのは、彼の執念が生んだ努力の賜物なのだろう。
しかし、その努力の蓄積が、魔術以外の別の方面で生かされることはなかった。




