第三十七章 根本的に焔の灯し⑤
魔術に関わる家系の者ではないのに、魔術を行使する昂。
黒峯家とは別の魔術に関わる家系、阿南家の家主の息子である輝明。
そして、忠臣として、輝明と主従関係を結んでいる焔。
黒峯家の者達は、予測出来ない昂の魔術を垣間見ることを望んでいる。
だからこそ、刮目している昂を、魔術の家系の中でも選ばれた者達だけが集う黒峯家の会合へ誘った事も当然の帰結だった。
「阿南焔さんの力によって、陽向くんには時間制限がなかった。黒峯蓮馬さんの強固な意思といい、今回の会合に出向くことはかなりの危険が伴うと思う」
「そんなことはどうでもよい。我のテリトリーの中で、我の魔術を暴走させて、綾花ちゃんを困らせたというだけでも万死に値する」
元樹が発した懸念材料に、昂は憤懣やる方ないといった様子で吐き捨てる。
「それに、我は魔術書を取り戻すことを所望しているのだからな。いい加減、黒峯陽向から魔術書を取り戻さなくてはならぬ」
感情の篭った昂の声が確固たる決意を示す。
「せめて、舞波の魔術の暴走の原因が判明出来ればいいんだけどな」
拓也は一拍置いて動揺を抑えると、今朝の電話の主が口にした言葉を改めて、脳内で咀嚼した。
『もうじき黒峯家の会合がある。君にその会合への出席を願い出たい』
昂と接触を試みてきた相手の申し出は、玄の父親達にとっても看過しがたいものだった可能性がある。
それでも美里が取引内容に含めるような立場の存在。
どんな人物なのかは分からない。
どのような立場の者かは判明していない。
だが、手強い相手になるだろうという実感と、今のままでは対処しきれないという力不足を痛感する。
会話が途切れ、重い沈黙だけが1年C組の教室内を揺蕩う。
「拓也、このまま、ここにいても進展はないと思う。舞波の分身体達が暴走した日から今までの舞波の動向を探ろう」
「あ、ああ、そうだな……」
元樹の意向に、拓也は僅かに逡巡しつつも頷いた。
元どおりの生活を、大切な彼女の笑顔とともに帰す。
その為にーー綾花達は残された手掛かりを求めて、魔術の痕跡を辿っていく。
湧いた疑問の中、ただ一つ明らかなことがある。
これから玄の父親達が本腰を入れて、綾花を奪いに来る。
それと同時に、黒峯家の者達、阿南家の者達、そして他の魔術に関わる家系の者達が動き始めていた。
玄の父親達の思惑と一致する箇所もありながら、向かう道筋は似て非なるーー。
許してはいけない。
絶対に防がなくてはならない。
拓也と元樹は強く誓う。
黒峯家の会合で何らかの波乱が起きる。
その事実は飄々と、しかし、的確に拓也達の心を揺さぶっている。
目下、一番重要になるのは、綾花を護ることだ。
綾花はーーそして上岡は、いつだって自分の運命に翻弄されながらも他人のことばかり考えている。
それはどこまでも危うく、とてつもなく優しいーー。
綾花と上岡と雅山、そして麻白。
近くて遠い、背中合わせの四人。
誰よりも近いのに、お互いが自分自身のため、触れ合うこともできなければ、言葉を交わすことも許されない。
だけどーー。
会えなくても、言葉を交わせなくても、四人は繋がっている。
心を通してなら、想いを伝えられるし、悲しみや苦しみも半分こにすることができる。
手を伸ばせなくても、お互いがお互いの涙を拭えると信じているのだろう。
「綾花。俺は元樹達みたいに魔術の関係者達に対抗する術はないかもしれない。それでも、俺は俺が出来ることで綾花を守ってみせるからな」
「……うん」
ただ無暗に心を捧げるのではなくて、相手を切実に思うから、拓也は自分の弱さを晒して彼女を抱きしめた。
「離れたくない。離したくない。これからも、綾花にそばにいてほしい!」
「……うん。私もね、たっくんのそばにいたい」
いつもとは違う弱音のように吐かれた拓也の想いに誘われるように、綾花は幸せそうにはにかんだ。
「おのれ~! 偉大なる我を差し置いて、綾花ちゃんを抱きしめるとは不届き千万な輩だ!」
昂は苛立たしそうに憤慨する。
だが、元樹は真剣な眼差しで綾花達のもとへゆっくりと歩み寄った。
「綾、ちょっといいか?」
呆気に取られている綾花の肩に手を置いた後、元樹はまるでごく当然のことのようにこう言った。
「右手を出してくれないか?」
「右手?」
拓也に抱かれたまま、綾花が不思議そうに右手を差し出す。
すると、柔らかではあっても有無を言わせない手つきで、元樹は綾花の手を取るとその甲に口づけをした。
「ううっ……」
「なっ!?」
「貴様まで我を差し置いて、綾花ちゃんに口付けをしてのけるとは納得いかぬ! 納得いかぬのだ!」
その突拍子のない行動に、綾花が輪をかけて動揺し、拓也と昂は目を見開いて狼狽する。
だが、元樹は平然とした態度で、綾花にこう続けた。
「あのさ、綾。魔術の関係者達の動きが活発化してきて苦しんでいるというのなら、俺は綾達の負担を少しでも減らしたい。だから、これはその証だ」
「おい、元樹!」
「拓也。綾と上岡、麻白と雅山達だけで魔術に対抗していくのは難しいかもしれないが、俺達で綾達の負担を少しでも受け持てば、不可能も可能にできるだろう」
苛立たしそうに叫んだ拓也に、元樹ははっきりとそう告げる。
恥ずかしそうに赤らんだ頬にそっと指先を寄せる綾花の頭を、拓也はため息を吐きながらもいつものように優しく撫でてやった。
「……そうだな。俺達は、綾花達の負担を少しでもなくしてみせる」
「何か困ったことがあったら、すぐに俺達が助けるからさ」
「……うん。ありがとう、たっくん、元樹くん」
拓也と元樹の強い言葉に、綾花は泣きそうに顔を歪める。
そこに昂が当然とばかりに、綾花のもとに飛び付いた。
「綾花ちゃん、我が必ず、黒峯蓮馬達の魔の手から護ってみせるのだ!」
「ふわわっ、舞波くん!」
昂は思いの丈をぶつけると、ついでのように綾花に抱きついた。
「おい、舞波! どさくさに紛れて、綾花に抱きつくな!」
「おまえ、勝手なことばかりするなよな!」
「否、我なりのやり方だ! そして、我は綾花ちゃんから離れぬ!」
ぎこちない態度で四人を見つめる綾花を尻目に、拓也と元樹と大輝は綾花から昂を引き離そうと必死になる。
だが、昂は綾花にぎゅっとしがみついて離れようとしない。
それは賑やかで温かなひとときーー。
非日常な出来事に見舞われながらも、綾花達の周りではいつものやり取りが繰り広げられていった。




