第ニ十九章 根本的に灰の街に青が降る⑤
昂達が警察官達に連行されようとした矢先、綾花は意を決して疾走した。
「あの、待って下さい。舞波くんは、私の大切な友人の一人なんです」
綾花の嘆きの言葉は現実を伴って、警察官の耳朶を震わせる。
「しかし、話を聞く限り、君はこの少年達から度重なる嫌がらせを受けていたのだろう」
「ううっ…‥それはーー」
最もな警察官の指摘に、綾花は言葉に詰まり、顔を俯かせた。
「綾花!」
「綾!」
「たっくん、元樹くん、舞波くんが大変なの!」
そこに拓也と元樹が駆けつけて、事態の収拾にあたろうとする。
「なっ!」
「これは!」
しかし、拓也達の視界の先には、まるで悪夢のような光景が広がっていた。
「「「綾花ちゃんと一緒に、黒峯陽向のもとに行くべきだ!!」」」
昂の分身体達が総出で吶喊してくるという怪奇な現象。
警察官達に取り押さえられながらも、全ての昂の分身体達が綾花のもとに向かおうとしていた。
そこで、はたと一番気にしなくてはいけないはずの重大事に、拓也と元樹は思い当たる。
「こ、これって、まさか」
「……ああ。明らかに、舞波の分身体達が暴走しているんだろうな」
鬼気迫る昂の集団を前にして、事態を把握した拓也と元樹は呆気に取られてしまう。
「おのれ~! いつの間にか、我の影武者達が一致団結しているではないか!」
「……おい。自分で分身体を消すことは出来なかったのか」
「はあ……。舞波の魔術の効果を解かないといけないな」
不愉快そうに顔を歪めて高らかに訴える昂に、拓也と元樹はうんざりとした顔で冷めた視線を向ける。
「ふむ……。何故か、我の影武者達を消すことが出来なかったのだ……」
「魔術を使った帳本人であるはずの舞波が、自身の分身体を消すことが出来なかった。どうして、舞波に自身の分身体を消すことが出来なかったんだろうな」
昂の悲哀を込めた訴え。
元樹は敢えて、昂の意見を重く受け止める。
玄の父親達の動向といい、気がかりが残る案件だ。
「魔術道具なら、もしかしたら効果があるかもしれないな。今すぐ、舞波の分身体を全て消してくれないか!」
元樹は咄嗟に魔術道具をかざすと、決意を込めた声でそう告げた。
魔術道具の放った光が消えると、昂の集団は跡形もなく、消え去っていった。
「助かったのだ……」
「本当に、先行きが不安だな」
拓也は安堵の表情を浮かべた昂を見据えると、忌々しさを隠さずにつぶやいた。
元樹が不満そうな拓也を横目に見ながら、ため息をついて言う。
「舞波の分身体達は全て消えたことだし、とにかく警察に事情を説明しよう」
言うが早いが、元樹は煮え切らない様子の昂へと視線を向ける。
「むっ、仕方ない。我の作戦が裏目に出たことは腹ただしいが、綾花ちゃんのためだ。我の影武者達の失態も気になるからな」
元樹の声に応えるように、昂はその場に留まる決意を固めるのだった。
「少年達が消えた? どうなっているんだ?」
警察官は不思議そうに、今回の件の真偽を確かめた。
「あの、今回の件についてなんですがーー」
元樹は虚実をない交ぜにし、知られたら都合の悪いことを伏せながら話を続ける。
元樹が語った、今回の件の顛末。
それは、真実と詭弁が入り混じった内容だった。
「そのようなことがあり得るのか?」
「とにかく、改めて、この少年には事情を聞く必要がありそうだ」
警察官達は内心、疑問を抱きながらも、互いに示し合わせたように肯定したのだった。
警察官達は改めて、問題を引き起こした昂に対して、警察署に赴くように念押しする。
警察官達が去った後、元樹は改めて、今回の件を振り返った。
「まず、確認しておきたいことなんだが、舞波、魔術は使えるのか?」
「むっ……」
元樹は昂が今回、分身体達を消せなかった事態を主眼に据える。
元樹の懸念材料に、昂は敢えて周囲に被害が及ばない魔術を放った。
「我自ら、小さくなるべきだ!」
「舞波くん……!」
「魔術は問題なく使えるみたいだな……」
『対象の相手を小さくする』魔術。
綾花と拓也が驚愕する中、昂の姿がみるみるうちに小さくなっていく。
「うむ。何の支障も問題もなかろう!」
すぐに同じ魔術を使って、元の大きさに戻った昂は作業じみた笑みを浮かべた。
「なら、何で分身体は消せなかったんだろうな。もしかしたら、誰かが妨害していたかもしれないな」
「ふむ、なるほどな。黒峯陽向を始めとし、偉大なる我を警戒する者達は山ほどいるからな」
先を見据えた元樹の言葉に、昂は苛立しげに答える。
「元樹、これからどうするんだ?」
「舞波が分身体を消せなかったことは、何かが起こる前触れかもしれない。警戒は怠らないようにした方がいいと思う。今回の件については、有力な情報がない八方塞がりの状況だからな」
拓也の疑問に、元樹は記憶の糸を辿るように目を閉じる。
「黒峯蓮馬さんの魔術の知識と陽向くんの魔術。そして、阿南焔さん達を始めとした魔術の関係者達。それらを舞波の魔術か、俺の持っている魔術道具で対処しなくてはならない」
機会を窺う元樹の思考は、さらに加速化する。
「だが、まだ、他の魔術関係者達の情報が足りない。その不利な状況の中で、俺達は綾を護り抜かないといけないな」
僅かに焦燥感を抱えたまま、元樹は遠い目をする。
現在、魔術に関する阻害は、昂の魔術か、魔術道具を持っている元樹しか対処する手立てがない。
それは言い換えてみれば、魔術道具を使える条件であり、様々な魔術を扱う昂を封じれば、綾花を捕らえることは容易いともいえた。
もし、昂の魔術を封じられた場合、魔術で生じる阻害を防ぐ手立てがない。
「先生には、舞波の件で学校に着くのが遅れることを伝えている。だけど、奇襲に備えて、急いで学校に向かった方がいいかもしれないな」
「……そうか」
真剣な眼差しでそう告げた元樹を見据えて、拓也は複雑な表情を浮かべた。
「心配するなよ、拓也。状況は最悪かもしれないけどさ。俺達は今、こうして、問題を起こしていた舞波の分身体達を消失させたんだからな。状況が落ち着き次第、輝明さんに会いに行こう」
「……そうだな」
元樹の意志に、拓也は真剣な眼差しで綾花を見遣ると、どこか照れくさそうな笑みを浮かべる。
綾花がまた、綾花としていつでも笑えるように、と拓也達は心から願った。
そして、それは輝明に会うことによって、叶えられると信じている。
「昨日の件といい、阿南焔さんを始めとした魔術の家系の人達が、これから俺達に接触してきそうだな」
「そうだな」
魔術の家系の者達の魂胆を見抜き、元樹と拓也は事の重さを噛みしめる。
昂の分身体達の予期せぬ暴走。
突如、巻き起こった事態の解決の糸口を求めて、綾花達は湖潤高校へと急いだ。




