第十九章 根本的に君と空の終わり③
玄の父親が掲げた理想という名の妄執。
「あなたが娘をーー麻白を生き返そうとしていることは、独りよがいの片思いと一緒よ。そう伝えたのに、私はそんな彼に手を貸してしまった」
そんな彼と相容れず、袂を断った輝明の母親は自身が犯した罪に心を痛めていた。
玄の父親が使える『魔術の知識』。
それは、昂達が使っている魔術とは根本的に異なる。
昂達が使っている魔術は、昂達の魔力、または昂達が産み出した魔術道具を使うことによって事象を変革するものだ。
だが、魔術の知識は、世界の記憶の概念の一部を書き換えて、事象そのものを上書きしたりすることができる。
「私があの時、手を貸さなかったら、瀬生綾花さん達を魔術の禍根に巻き込むことはなかったのかもしれない」
輝明の母親は部屋にいる息子の姿を思い浮かべ、窓際へと歩み寄る。
その所作が示す意はどこにあるのだろう。
輝明の母親は、玄の父親が成そうとしていることを全て知っているわけではない。
魔術の本家たる黒峯家とは違い、分家である阿南家にはどうすることもできないかもしれない。
それでも息子の安否を願い、瞳に不安を滲ませる。
「ねえ、輝明……」
輝明の母親の吐き出された想いが虚空を漂う。
きっと、息子の無事を願う輝明の母親の想いは、娘を想う玄の父親には届かない。
それでも、空から射し込まれた陽の光は、輝明の母親の心の中にだけひときわ強く焼き付いた。
「あなたを巻き込んでしまってごめんなさい。でも、あなた達だけは絶対に私が守るから」
過ぎ行く過去の過ちとともに、輝明の母親は牢乎たる志を示す。
『魔術争奪戦』という名の戦いが勃発する前に、阿南家を始めとした他の魔術の家系の者達が動き出し始めようとしていたーー。
「では、今後一切、病院内で暴れないように」
「すまぬ。だが、我はどうしても黒峯陽向と阿南焔に我の存在を気づかせたかったのだ……!」
医師の射抜くような声を聞いても、昂はなおも自身の意思を貫いた。
「そして、君は今すぐ、ここから退室しなさい!」
あまり堪えていない揺るぎない昂の態度。
その行為に不安を抱いた医師は、即座に陽向の病室から退室を促す。
「何故だーー!! 言いがかりではないか!!」
「相変わらず、舞波に反省の色はなさそうだな」
「そうだな」
昂の憮然とした態度に、拓也と元樹は呆れたように顔を見合せる。
元樹はそこで、焔が既に陽向の病室から退室している事実に気づく。
「どうやら、阿南焔さんは先に帰ってしまったみたいだな」
元樹は状況を把握すると、陽向が横たわっているベッドへと目を向ける。
陽向は先程、昂が引き起こした騒動で疲弊してしまったのか、憔悴した顔でベッドに寝込んでいた。
「陽向くん、大丈夫かな……」
「かなり無理をさせてしまったみたいだな」
綾花の懸念に同調するように、元樹は憂慮に堪えない。
それでも体力を消耗する覚悟で発した陽向の宣言。
その言は熾火のように、確かに綾花達の心を焼く。
『麻白、魔力が回復したらまた、会いに行くね。僕達は、麻白が麻白として生きることを拒んでも諦めないよ』
「私――ううん、あたし、陽向くんとまた、昔みたいに手を取り合いたい」
慈悲深く、そして偽りなく囁かれた確固たる意思。
陽向の決意が変わらないというその事実に、綾花は口振りを変えながらも声に不安と躊躇いを滲ませる。
拓也はそこで、いつもなら昂に苦言を呈するはずの1年C組の担任と汐の姿が見当たらないことを気づく。
「そういえば、先生達の姿を見かけないな」
「先生達には、別件の捜査をお願いしている。先生の話では、陽向くんの病室に行く前に誰かが後をつけていたらしいからな」
拓也の疑問に応えるように、元樹は揺るぎない眼差しを病室のドアに向けた。
「なっ!」
「……もしかしたら、阿南焔さんが俺達のことをつけてきていたかもしれないな」
無意識に表情を険しくした拓也に、 元樹は幾分、真剣な表情で告げる。
緊迫した空気に包まれる中、口振りを戻した綾花は悲しみを募らせた。
「ごめんね、たっくん、元樹くん、玄、大輝」
「何がだ?」
「綾?」
陽向の病室で鞄を握りしめていた綾花が、隣に立つ拓也と元樹の言葉でさらに縮こまる。
綾花はそれでも躊躇うように言葉を紡いだ。
「…‥…‥私のーーあたしのせいで、みんなを大変なことに巻き込んじゃってごめんね」
「……綾花」
聞いた瞬間、思わず心臓が跳ねるのを拓也は感じた。
知らず知らずのうちに、拳を強く握りしめてしまう。
綾花は沈痛な表情を浮かべて、何かを我慢するように俯いている。
そんな綾花の様子を見た拓也は、表情を緩めるとふっと息を抜くように笑う。
「気にするな。前に言っただろう。綾花が、綾花と上岡と雅山と麻白の四人分生きると決めたのなら、俺達は綾花の負担を少しでもなくしてみせる」
「……たっくん、ありがとう」
拓也の揺るぎない意思に、綾花はほんわかと微笑む。
そんな二人の様子を見ていた玄は想到する。
「拓……いや、拓也だったな。拓也は瀬生綾花さんと上岡進くん、あかり、そして麻白のことを大切に想ってくれているんだな」
「玄?」
玄の確かめるような物言いに、拓也は目を瞬かせた。
「穏やかな眼差しをしている」
玄にそう告げられた拓也は思わず、口元を覆う。
「麻白、大丈夫だ。みんな、麻白達のことを大切に想っている。だからーー」
心配するな、玄がそこまで言う前に。
突然、綾花は今にも泣き出してしまいそうな表情で、玄に勢いよく抱きついてきた。
反射的に抱きとめた玄は、思わず目を白黒させる。
「……麻白?」
いつもどおりの花咲くようなーーだけど、少し泣き出してしまいそうな麻白の姿をした綾花の柔らかな微笑み。
戸惑いとほんの少しの安堵感を感じながら、玄は優しく語りかける。
いろんな意味で混乱する玄の耳元で、綾花は躊躇うようにそっとささやいた。
「ううっ……、玄、ありがとう」
ぽつりぽつりと紡がれる綾花の言葉に、玄の顔が目に見えて強ばった。
綾花の瞳からは、涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「あ、あたし、これからも陽向くんに想いを伝えたい」
「……ああ、一緒に伝えていこう」
泣きじゃくる綾花の頭を、玄は穏やかな表情で優しく撫でてやった。
玄は、綾花が泣きやむまで頭を撫で続ける。
そんな二人を見守っていた拓也は、不意に綾花達から視線を外して、自分に言い聞かせるように確固たる意思を示す。
「絶対に黒峯蓮馬さん達から、綾花をーー麻白を護ってみせるからな」
「えっ?」
拓也の言葉に、綾花は顔を上げるときょとんとした顔で首を傾げた。
「なんでもない」
そう言い捨てると、いつの間にか握りしめていた両拳に、拓也は想いという名の力を込める。
「元樹」
「ああ、分かっている」
拓也の決然とした眼差しに、元樹は拓也の懸念を察した。
これから玄の父親達が本腰を入れて、綾花を奪いに来る。
それと同時に、阿南家を始めとした魔術に関わる家系の者達が動き始めようとしていた。
恐らく、黒峯家である玄の父親達の思惑とは別の目的でーー。
許してはいけない。
絶対に防がなくてはならない。
拳を打ち合わせた拓也と元樹は強く誓う。
魔術の家系の一人である輝明。
玄の父親達に協力していた阿南家に――輝明に仕える者である焔。
その事実は飄々と、しかし、的確に拓也達の心を揺さぶっていた。




