第十八章 根本的に君と空の終わり②
「陽向、次は協力できるかは分からないぜ。なにせ、輝明を巻き込むような大事は仕出かすなと釘を刺されたからな」
緊迫した空気が漂ったのは一瞬。
そう言い捨てた焔は、まるで用は済んだとばかりに踵を返す。
「焔くんは輝明くんのところに戻るんだよね?」
「ああ」
焔の去り際、横たわっていた陽向は声をかける。
「だったら、輝明くんに伝言を伝えてもらえるかな?」
「はあ? なんだよ、伝言って?」
陽向の意向に、振り返った焔は面倒くさそうに吐き捨てた。
「『アポカリウスの王』。輝明くんはきっと、世界を変革するほどの力を秘めていると思うんだ」
重い身体を起こした陽向は迷いを振り払うように、焔を見上げた。
「だから、次に会った時は今度こそ、君の力を見てみたいな」
陽向は未知数である、輝明の魔術を垣間見ることを望んでいる。
だからこそ、好敵手である昂だけではなく、輝明に興味を示す事も当然の帰結だった。
「もちろん、焔くんの力もね」
「陽向……」
「おい、陽向」
魔術を使う者への憧憬。
淡々とした口調の中に、玄と大輝は魔術の家系の者達が抱えたものの根深さを垣間見る。
その境界線となったのは、魔術の家系の者達によるしがらみ。
それが自身にも大きく関わる内容なら、尚更だ。
「少なくとも僕は、阿南家の人達にーー輝明くん達に興味を持っているから」
「……ああ、そうこなくちゃな」
魔術の本家の一人である陽向の布告に、焔が抱いていたような逡巡や不安の揺れはない。
陽向の振る舞いに、焔は心から安堵し、意思を固めた。
「輝明は、俺が唯一、認めた主君なんだからよ! 俺は輝明が一番、強い奴になればいいんだ! そのためなら、何でもするぜ! たとえ、それが陽向達と相対することになってもな!」
挑戦的な陽向の意思を阻むように、焔は断固たる口調で言い切る。
それは彼の過去が囁く焦燥か。
あるいは未来を求める際の心の枯渇か。
ーーいや、どちらでもあるのだろう。
絶望から解き放たれた焔の望みは、輝明とともに魔術という概念を変容させることなのだからーー。
「おのれ~! 貴様ら、何故、我を無視したまま、ことごとく会話を進めているのだ!」
陽向と焔の対応に、昂が癪に障るように声を上げる。
しかし、自他認める魔王たる昂はもはや蚊帳の外だ。
雪辱戦に挑む昂の意気込みは、虚しく病室内に響き渡る。
「むっ! 我は納得いかぬ!」
二人揃って何の反応も返ってこないのを見かねて、昂は両拳を振り上げて憤慨した。
「何故、誰も、我を見ていないのだ! 貴様ら、何ゆえ、偉大なる我の口上を聞かぬ!」
「ふわわっ、舞波くん、落ち着いて!」
これ見よがしに昂が憮然とした態度で言うのを聞いて、綾花は表情に戸惑いの色を滲ませる。
「黒峯陽向。そして阿南焔。我を無視した罪は重い。よって、貴様らは今日、ここで我が引導を渡してやるのだ! 綾花ちゃんと我の魔術書は必ず、守ってみせるのだ! 悔い改めて謝罪するのなら、今のうちだと考えるべきだ!」
人差し指を突き出し、昂は挑発めいた発言を放ったが、陽向と焔からは何の反応も返ってこない。
「我がこれほど、再戦を望んでいるのだ! 貴様ら、早く反応するべきだ! 何故、いつまでも無視しているのだ!」
不満を爆発させた昂は、両拳を突き上げながら自棄に走ったように絶叫する。
「ーーあのね、昂くん。まだ、調子が戻っていないから、再戦はできないんだけど……」
陽向は困ったようにため息を吐いた。
今の陽向は、魔術書に顕現できないほど憔悴している。
病室で響き渡る昂の絶叫ーー騒音並みの喧騒に、陽向の動悸が再び、激しくなり、ベッドに倒れ込む。
しかし、昂は一向に陽向の話を聞かず、まくし立てた。
「ここから、我の魔術を駆使して、黒峯陽向と阿南焔を退ける筋書きのはずだ。それなのに何故、我の挑戦を一向に受けないのだ。我は早々に、綾花ちゃんと一緒に勝利の一服を満喫したかったというのに」
そこで、昂ははたと自身の目的に気づく。
「とにかく、我は黒峯陽向と阿南焔に、我の意思を示し、再戦を持ちかねなくてはならぬ!」
「ここは病院内だと先程、告げましたが……」
闘志を滾らせる昂の言葉を遮るように、陽向の担当医師が静かな怒りを堪えながら部屋に入ってきた。
その瞬間、昂の怒号がぴたりと止まる。
「ひいっ! 話を聞いてほしいのだ! 我は、その、黒峯陽向と阿南焔が我を散々、無視するから仕方なくーー 」
静けさの漂う医師の凄みに、昂は恐怖のあまり、総毛立った。ふるふると恐ろしげに首を振る。
「君は今すぐ、ここから退室しなさい!」
「先生、それはあんまりではないかーー!!」
それは、昂の全身全霊を込めた叫び。
だが、医師の冷たい視線だけが昂を射抜く。
その瞬間、昂の僅かな希望は絶望へと反転し、淡い期待は水の泡と化した。
「ひいっ! あ、綾花ちゃん、魔術書を取り戻すためにも、今すぐ我を助けてほしいのだ!」
「ふわっ、ちょ、ちょっと、舞波くん」
それだけを言い終えると、ついでのように昂が綾花を抱きついてきた。
「おい、舞波! どさくさに紛れて、綾花に抱きつくな!」
「おまえ、勝手なことばかりするなよな!」
「麻白からーー瀬生さんから離れろよな!」
「否、我なりのやり方だ! そして、我は綾花ちゃんから離れぬ!」
ぎこちない態度で四人を見つめる綾花を尻目に、拓也と元樹と大輝は綾花から昂を引き離そうと必死になる。
だが、昂は綾花にぎゅっとしがみついて離れようとしない。
「ううっ……」
そんな中、激しい剣幕で言い争う拓也と元樹と大輝と昂に、綾花は身動きが全く取れず、窮地に立たされた気分で息を詰めていた。
魔術の話によって張り詰めていた空気に、いつもの日常が流れる。
しかし、少なくとも綾花達にとっては日常茶飯事であるその光景に、焔は然したる興味を示さない。
輝明の力が開花すれば、分家である阿南家の存在を、他の魔術の家系にーー世間に認めさせることが出来るかもしれない。
心が凍りつくような感触のまま、焔はその事実を確かめる。
「今度は僕が焔くんのところに行ってもいいかな?」
「へいへい、肝に免じておくぜ。……一応な」
叱責を受ける昂を蚊帳の外に置いたまま、陽向と焔の会話は進んでいった。




