第十七章 根本的に君と空の終わり①
「麻白。僕達は、麻白を取り戻すことを諦めるつもりはないよ」
「陽向くん……」
綾花にーー麻白に対して発せられた、陽向の矜持と決意。
陽向は改めて、意気込んでいる昂に催促した。
「ねえ、昂くん。次こそは君の魔術書は全て、僕がもらうからね。もっとも今、もらえると嬉しいな」
「我の魔術書を、誰にも渡すはずがなかろう!」
陽向の申し出に、昂が拳を突き上げながら地団駄を踏んで喚き散らす。
「でも、いまだに昂くんにも何処にあるのか、分からないんだよね?」
「たとえ、知らぬとも、我は魔術書を自由自在に読み明かし、なおかつ魔術書を守りたいのだ。その上で、黒峯蓮馬達と黒峯陽向を返り討ちにしてくれよう。そして、綾花ちゃんを護ってみせるのだ!!」
「……あのな。無茶苦茶なことを言うなよ」
無謀無策、向こう見ずなことを次々と挙げていく率直極まりない昂の型破りな思考回路に、元樹は抗議の視線を送る。
昂が絶対的な勝利を確信し、断言するーーその姿を視界に収めた陽向は身も蓋も無く切り出した。
「焔くんがここに来たのは、麻白達に会うためなのかな?」
「ああ。陽向が去った後、魔力もない、魔術道具も持たない奴が、俺の存在に気づいたからな。その借りを返しに来たんだよ!」
大会会場で遭遇した拓也の姿を掘り起こして、焔は不満を暴露する。
その発言に、拓也はあの時、感じた不可解な出来事の真相を思い当たった。
「陽向くんが去った後? もしかしてあの時、感じた視線はーー」
「井上拓也だったか。……ったく、おまえごときに気づかれるとは阿南家の面汚しだぜ」
拓也が導き出した答えに、焔が癪に障るように声を上げる。
「俺の名前まで知っているんだな……」
不明瞭な返事をしながらも、拓也の心に焦りが走った。
「……拓也があの時、感じた視線。つまり、黒峯蓮馬さん達の協力者は、阿南焔さんっていうことになるのか?」
先程からの緊張感が別の意味を持つ。
元樹の脳裏に、あらゆる不測の事態が駆け巡る。
そんな緊迫した空気を壊すように、昂は憮然とした態度で陽向に向けて強力な魔術を放とうとした。
「黒峯陽向、この一撃を喰らうべきだ!!」
陽向は人差し指を唇に当てると、人懐っこそうな笑みを浮かべてこう助言する。
「ねえ、昂くん。ここで、大きな魔術は使えないと思うよ」
「使えなくとも、我は使いたいのだ!」
「そうなんだ……」
打てば響くような昂の無茶ぶりに、陽向は呆れたようにため息を吐いた。
昂は先程、担当医師から叱責を受けたばかりだというのに、早くも過ちを繰り返そうとしている。
「おのれ~! 貴様、何故、我に呆れ果てているのだ!」
陽向の返答に、昂が癪に障るように声を上げる。
「黒峯陽向! そもそも、貴様が我との決着の前に逃げたのがいけなかったのだ!」
昂はいまだに、陽向と玄の父親との決着が不完全燃焼で終わったことを根に持っていた。
まるで憂さ晴らしのように、昂は溢れ出る様々な感情を敢えて吐き出す。
「我は黒峯陽向に、今までの戦いの借りを返さなくてならぬというのに!」
「昂くん、そのこと、随分、気にしていたーー」
陽向が指摘を口にする前に、昂は次の一手を講じていた。
「全ての元凶は貴様なのだ! 黒峯蓮馬と黒峯陽向の協力者、喰らうべきだ!!」
その間隙を突いた一撃は、その場にいたほぼ全員が予想していなかった。
昂は迷いなく、焔に向かって魔術を放つ。
企業説明会で玄の父親に放った魔術と同じように焔にだけ攻撃が及ぶように射程を絞っている。
そして、強力な魔術を放てるようにと、威力を一点に集めていた。
「……ったく、不意討ちのつもりかよ。言いがかりはやめてほしいぜ」
誰が見ても完璧な不意討ちを前にして、焔には動揺の色は見受けられなかった。
むしろ、初めから昂が攻撃をする瞬間を見切っていたように、焔は後方に移動して魔術をかわす。
「……後で、病院の先生から怒られそうだね」
陽向が悲しげに目を向けた病室の床には、魔術で生じた罅が入っていた。
陽向は壊れた病室の床を見て、改めてため息を零す。
「昂くん、今のは焔くんへの不意討ちのつもりだったのかな」
「そのとおりだ、黒峯陽向。この間の借り、そして我の魔術書を取り戻す時が来たのだ!」
「そうなんだ。昂くん、期待しているよ!」
一拍だけ間を置いて、射貫くように鋭い視線を向けた昂に対して、月下に咲く大輪の花のように、陽向は不敵に微笑んでみせた。
「……でも、昂くん。今日は調子が悪いし、体力もかなり消耗しているから、別の機会にしてもいいかな?」
「我は納得いかぬ! 我の挑戦を受けないのなら、今すぐ魔術書を返すのだーー!!」
ベッドに横たわり、ぐったりと疲弊している陽向を前にしても、昂は臨戦態勢を展開すると言わんばかりに両手を広げた。
陽向はそれを無視すると、綾花に対して宣告する。
「麻白、魔力が回復したらまた、会いに行くね。僕達は、麻白が麻白として生きることを拒んでも諦めないよ」
「陽向くん……」
慈悲深く、そして偽りなく囁かれる確固たる意思。
陽向の意味深な発言に、綾花は声に不安と躊躇いを滲ませる。
「俺は黒峯麻白についてはどうでもいいんだよ」
焔が冗談めかした口調で言った。
「俺は輝明が一番、強い奴になればいいんだ! そのためなら、何でもするぜ!」
「阿南輝明さんを……?」
「俺が主君と認めた輝明は、全てを覆せる存在だからな」
明らかな思考の飛躍があるのに、不自然な確信。
口元には笑みすら浮かべる焔を見て、拓也は不安を交じらせる。
だが、そのことに意識を割いている余裕はなかった。
「あらゆる隔たりも関係ねえ! 輝明はなんせ、俺が唯一、認めた主君、『アポカリウスの王』なんだからよ!」
それは何の前触れもなく、唐突に焔によって布告される。
焔が発した意味深な発言は、少なくとも綾花達を震撼させるものだった。
「『アポカリウスの王』……?」
拓也は、焔の話が飛躍しずきてついていけていない。
焔が口にした宣言に、陽向は静かに息を飲む。
「『アポカリウスの王』。未知の力を持っている輝明くんのことを、焔くんはそう呼んでいるんだね」
陽向はその名を胸に刻む。
魔術に関わる家系の者ではないのに、魔術を行使する、謎めいた存在である昂。
黒峯家とは別の魔術に関わる家系の人間であり、未知の力を宿している輝明。
陽向は、異なる経緯の二人に憧憬と共感を抱く。
魔術の素質がなかった僕も、昂くん達のような魔術を使える存在になりたい。
それは陽向が昂と輝明の存在を知る前も、知った後も、変わることのなかった不変の事実。
媒介した魔術書に記載されているものだけだが、陽向は魔術を行使することができた。
それは一時的とはいえ、陽向は昂達と同じように魔術を使えるようになったといえるのかもしれない。
かつての傷跡は、気付けば随分と保全されたものだ。
天井で見上げれば、玄の父親と交わしたあの日の光景が浮かぶように感じられる。
麻白の心を宿した綾花も、彼女とともに生きる進も、彼女の側に立つ拓也達も、玄と大輝も。
一面に広がる情景は、茜色を写し取ったかのように幻想的だった。
憑依の儀式。
そして、分魂の儀式。
今日を生きる者達は、あの日を越えてここに居る――。




