第十三章 根本的に戦域の傍観者⑤
「俺達は、何をすればいい?」
「陽向くんから、今回の件に関する話を聞いてほしい」
玄の問いに、元樹は間一髪入れずに即答する。
「麻白の話だと、陽向くんは家族や親戚以外の人とは面会謝絶だから、直接、会うのは厳しいんだ。魔王のーー舞波の魔術を使えば、会いに行くこともできるかもしれないが、何かしらの罠が仕掛けられている可能性も否めないからな」
「魔王の魔術でもーーって舞波の魔術でもか。なんていうか、俺としては魔王の方がしっくりくるけれどな」
大輝がさらに不可解そうに疑問を口にするが、元樹は気にすることもなく言葉を続ける。
「恐らく、俺達が訴えても、陽向くんは綾にかけた魔術を解いてはくれないだろう。だけど、玄と大輝の言葉なら、話を聞いてくれるかもしれない」
元樹の訴えに、玄はため息とともにこう切り出してきた。
「それでも、陽向が話してくれなかった場合はどうするんだ?」
「その場合は後日、輝明さんに会いに行くつもりだ」
何のひねりもてらいもない。
ごく当たり前の事実を口にしただけの言葉。
驚きに染まった玄と大輝をよそに、元樹のその明眸には確かな決意が宿っていた。
陽向が入院している病院に向かうことから、魔術の家系の一人である輝明のもとに行くという極大まで広がった問題に、拓也は絶句してしまう。
「頭が痛くなってくる……」
あまりにも突拍子がない作戦に、拓也が思わず頭を抱えた、その時ーー。
「ついに出来たのだーー!!」
昂が欣喜雀躍のように喜んでいた。
謝罪文を修正し続けて数時間。
昂の努力は実を結び、ようやく昂の母親から了承の言葉が出たのだ。
謝罪文に煮詰まった昂はさりげなく、綾花の助力を得ている。
「綾花ちゃん、ありがとうなのだーー!!」
「あのな……」
愚痴る言葉に反して、拓也の表情が綻ぶ。
「舞波くん、良かった……」
綾花が花咲くように微笑んでいたからだ。
口を突いて出ようとした苦言は、綾花の嬉しそうな笑顔と言葉によって途切れる。
しかしーー。
綾花を完全に麻白にするーー。
玄の父親の固い意思。
拓也は改めて、綾花を失うかもしれない恐怖に鼓動が乱れた。
「綾花を絶対に守ってみせる!」
「ああ。綾を守ろうな」
綾花達を護る意志と確かな願い。
拓也と元樹は信頼するように言葉を交わし、それぞれの持ち場を決める。
「……陽向に真相を聞けば、何か分かるかもしれない」
最早、玄も寸毫として迷わなかった。
陽向と改めて、向き合う覚悟を決める。
こうして、思考錯誤ありながらも、陽向が入院している病院に向かう面子がようやく揃ったのだった。
浮かんだ魔力の塊は、果たして幾つか。
徐々にその明るさを落としていく曇天の中で、また一つ、想いが込められた魔術が宙に細かく放たれた。
何時からだろう。
雨が嫌いになったのは。
何時からだろう。
雨を見て、娘の死を思い出すようになったのは。
今日は、雨など降っていない。
それなのに、そのことを思い出してしまうのは、先程の娘との邂逅が切っ掛けだろうか。
玄の父親は社長室で仕事をこなしながらも、緑陽の雫が射し込む窓へと目を向ける。
その瞬間、沼底から泡立つように浮かんだ娘のーー麻白の言の葉。
『……え、えへへ。こういう時って、あたしのキャラのとっておきの固有スキル、使えるかな『
娘が世界から消えるその瞬間、玄の父親は玄とともに最後に娘がそう口にしたのを感じ取った。
それは、麻白が玄の父親達に残した遺言。
いつしか玄の父親にとって、その望みを叶えることが生き甲斐となっていた。
麻白が操作するキャラの固有スキル、『リィンカーネーション』。
それは、一度だけ自身、またはチームメイトのキャラを蘇生させることができる固有スキルだった。
だけど、娘のゲームのキャラの固有スキルが、実際に現実で使われることは決してあり得なかったーー。
だが、玄の父親はそれを可能にする方法を見つけ出した。
魔術の家系の一人である輝明の母親の助力を得ることで、不可能を可能にしたのだ。
「君達がいくら拒んでも、私の考えは変わらない」
綾花を完全に麻白にするーー。
それを拒み、抗ってきた拓也達に対して、玄の父親は冷たい激情を迸らせる。
それはどこまでも重い沈黙で、戦慄にも近かった。
喪われし者が還ることはない。
それは誰もが知り得ている、自然の摂理だった。
時の流れは不可逆である。
だが、それでも星辰の巡りを得て、玄の父親は後に旧知の仲で、彼と同じ魔術に関わる家系の人間ーー輝明の母親に助けを求め、事を成した。
娘を生き返させる。
その信念のもとにーー。
玄とともに目の前で麻白を失った玄の父親は、文字どおり我を忘れ、なりふり構わず、様々な手段を試みていた。
科学的方法、蘇生、反魂。
しかし、それらを用いても娘を甦らせることは叶わなかった。
絶望の渦の中にいた玄の父親に差した光とは、自身にとってもっとも身近な存在の魔術だった。
家族の関係を崩壊させた忌まわしき事故が、まるで昨日のことのように追憶される。
『玄、父さん。今日は歩いて帰ろう。あたし、新しい傘を使いたい』
『ああ』
『そうだな』
玄と玄の父親がそう答えると、麻白は花咲くようににっこりと笑ってみせた。そして、嬉しさを噛みしめるように、玄の父親に買ってもらった傘をぎゅっと握りしめる。
それからしばらくの間、傘を差してみんなで話しながら歩道を歩いていた時だった。
ーーその事故が起こったのは。
流れ出る血は止まらない。
その日、息子をかばって娘は死んだ。
雨に打たれ、灰色に濡れた体はついに動くことを諦める。
『車に跳ねられそうになった兄をかばった少女の事故死』。
それは、世界の端っこで起きた小さな悲劇。
だけど、玄の父親達にとっては何よりも堪えがたい事実だった。
降り続ける雨は、残酷な事実を突きつけるようにさらに激しさを増し、しばらくは止みそうにはなかった。
人通りのない歩道で、引き寄せられるのは、被害者である玄達、そして、加害者である運転手とその家族だけだった。
あの時、麻白が望んだとおり、歩いて帰らなかったら、麻白は死ななくて済んだのかもしれない。
麻白を失わなくて済んだのかもしれない。
麻白は、私達の前からいなくならなかったかもしれない。
そしてーーどうしてあの日、私は息子と娘を庇うことが出来なかったのだろうか。
私は何故、あの日、あんなにも無力だったのだろうか。
『麻白! 麻白!』
『あああああああああああああああっ!! 誰か、誰か、麻白を助けてくれ!!』
あの日、玄と玄の父親の慟哭にも似た叫び声が轟いた。
悲痛な声は、雨幕に吸い込まれて消える。
麻白を失う。
それがどれだけ残酷なことなのかを、玄の父親は麻白を一度、失ったことで思い知らされていた。




