第十ニ章 根本的に戦域の傍観者④
「井上拓也! 何故、貴様が今回も綾花ちゃんの隣の席なのだ? 貴様、その席は空けておくべきだ! そうすれば、謝罪文を書き終えた後、もれなく我は綾花ちゃんの隣で、綾花ちゃんという小さき天使を存分に見ることができるではないか! 」
「勝手なこと言うな!」
昂が罵るように声を張り上げると、拓也は不愉快そうにそう告げる。
「我は、黒峯蓮馬と黒峯陽向から綾花ちゃんを護らねばならぬ、ーー護らねばならぬのだ! つまり、もう綾花ちゃんの隣の席は、我のものだということだ!」
「なっーー」
あまりにも勝手極まる昂の言い草に、拓也は思わずキレそうになったがかろうじて思い止まった。
昂の母親の静かな声が、駐車場内に響き渡ったからだ。
「…‥…‥ほう、それで」
全身から怒気を放ちながら、昂の母親は昂を睨みすえる。その声はいっそ優しく響いた。
「ひいっ! は、母上、話を聞いてほしいのだ! 我は、その、綾花ちゃんの隣の席に座りたくて仕方なくーー 」
昂は恐怖のあまり、総毛立った。ふるふると恐ろしげに首を振る。
こんな調子じゃ、先が思いやられるなーー。
拓也は気持ちを切り替えるように、顔を曇らせて言った。
「元樹、陽向くんは事情を話してくれそうなのか?」
「こればかりは、実際に陽向くんに会ってみないと分からないな」
拓也の素朴な疑問に、元樹は思案を重ねる。
「恐らく、俺達が訴えても、陽向くんは今回のことを話してはくれないだろう。陽向くんのことは、玄と大輝に任せるしかないな」
「……そうか」
真剣な眼差しでそう告げた元樹から目を逸らすと、拓也は複雑な表情を浮かべた。
「心配するなよ、拓也。舞波の件で、病院に赴く時間は大幅に変更してしまったけどさ。俺達は今、こうして、真相究明のために、陽向くんが入院している病院に向かおうとしているんだからな」
「そうだな」
元樹の決然とした言葉に、拓也は真剣な眼差しで応える。
綾花がまた、綾花としていつでも笑えるように、と拓也達は心から願った。
そして、それは玄と大輝によって、叶えられると信じている。
「今回、陽向達に協力していた関係者って、もしかして陽向が入院している病院に来ていないよな」
ワゴン車へと目を向けた大輝が改めて、不安を口にした。
「すまない。協力者らしい者は見つけることが出来なかった」
そこに報告とともに、協力者の捜査を担っていた1年C組の担任と汐が戻ってくる。
「陽向くんと話したい。私のーーあたしの想いをもう一度、伝えたい」
1年C組の担任達が戦線に加わり、綾花は口振りを変えながら、事の重大さに心を痛めていた。
緊迫した空気はほんの一瞬。
昂は状況を試みない発言を繰り返していた。
「我は納得いかぬ! 何故、我が謝罪文を書かなくてはならないのだ!」
「何だか、いまいち緊張感ないよな」
大輝の視界の先で、昂が総合病院に行くために、目の前の謝罪文と熾烈を争っている。
「こうなったら、魔力が回復次第、通信制高校という場所に乗り込んで、『高校卒業証明書』なるものを奪ってみせるのだ!!」
「ふわわっ、舞波くん、落ち着いて! 一緒に頑張ろう」
意気揚々と目標を掲げる昂の有り様に、綾花は助け船を出した。
陽向が入院している総合病院。
そこには、玄の父親達以外にも、魔術の関係者がいるかもしれない。
渦巻く陰謀と魔術が取り巻く異常性。
大輝達が知らない間にも、それはこの世界の裏側で蠢いている。
「陽向達が使った時を止める魔術は、魔術書を消滅させるような代物だったんだよな。そして、今回の協力者は、それを補う働きをしていたのか」
状況がいまいち呑み込めず、大輝は苦々しい顔で眉を顰める。
時間を止める魔術という神業を起こしてきた玄の父親達。
今回、何故か、時間制限のなかった陽向の謎。
拓也が感じた不可解な視線。
まるで玄の父親達に新たな協力者がいることを示すように、綾花がステージに戻ってきた途端に動き始めた時間。
魔術の関係者である玄とその友人である大輝が周知することができなかった謎の数々。
「陽向がいる病院は、父さん達も関与している……。その人物も来ているかもしれないな」
大輝が発した疑問に、玄は状況を窺知し、加味していった。
父さん達の協力者かーー。
玄は改めて、状況を改善するために思考を走らせる。
あの日ーー綾花達が大会会場周辺の調査を行っていた頃、玄達もまた、玄の父親達の動向を探っていた。
『魔術書の情報を集めれば、何か分かるかもしれない』
情報が錯綜する混迷の状況の中。
玄が大輝に提案したのは、なりふり構わない直接的な手段だった。
黒峯家には、魔術の伝承がある。
加えて、黒峯家の人間は、魔術に関して何かしらの知識を持っている。
それは何故かーー?
玄のその問いは論理を促進し、思考を加速させる。
そうして、導き出された結論は、玄が今の今まで考えもしない形をとった。
『大輝、陽向達の使う魔術は一線を画す強さを誇っている。もしかしたら、黒峯家の者達は、魔術を使う事が出来る素質を持っているのかもしれない』
『なっ!?』
絶句する大輝を尻目に、玄は最悪の予想を確信に変える。
『そう考えれば、黒峯家の者達が、魔術に関して何かしらの知識を持ち合わせているのも理解できる』
『魔術の素質か』
玄の指摘に、大輝は苦渋の表情を浮かべた。
『だけど、それが真実だとすると、玄達も魔術の素質を持っていることになるな』
『ああ』
核心を突く大輝の理念に、玄は幾分、真剣な表情でメッセージを返す。
『魔王も、魔術の素質を持っている。だから、魔術が使えているのだと思う』
『魔王だから、魔術が使えても不思議じゃないよな』
玄の説明に、大輝はそれだけで納得したように苦笑した。
『大輝。俺達は、何をすればいいと思う?』
『今までどおり、麻白を守ればいいだろう』
玄の問いに、大輝は間一髪入れずに即答する。
『俺達は、陽向達のように魔術を使うことはできない。だけど、友樹達と協力関係にある今なら、麻白を守ることが出来るからな』
『……そうだったな』
確信を込めて静かに告げられた大輝の言葉は、この上なく玄の胸を打つ。
『魔術に関わる者は、何も黒峯家の者だけではない。魔術の家系の者達もだ』
玄が告げた懸念材料に、大輝は揺るぎない意思をメッセージに込める。
『なら、その全てから麻白を守ればいいだろう』
『ああ、そうだな』
玄と大輝が交わしたあの日の誓い。
あの日を振り返りながら、玄はその一瞬一瞬を噛み締め、これまでにない充足を感じていた。
「大輝、陽向が入院している病院に行って、真相を突き止めよう」
「ああ、陽向に事情を聞きに行こうな!」
拳を打ち合わせ、玄と大輝は陽向が入院している病院に向かう準備を整える。
夕闇の澄んだ風はどこまでも尊い。
この風を辿れば、今回の件の真相にたどり着くことができるのだろうか。




