第十一章 根本的に戦域の傍観者③
拓也の表情から自然と緊張の糸が緩む。
綾花を麻白にするという玄の父親の強固な意思。
綾花の存在をーー進の存在を消してしまう魔術。
許してはいけない。
絶対に防がなくてはならない。
拓也と元樹は拳を打ち合わせ、固く誓い合う。
魔術の家系の一人である輝明。
かって、玄の父親に協力していた輝明の母親とは別に存在していた魔術の関係者。
その事実は飄々と、しかし、的確に拓也達の心を揺さぶっていた。
「陽向くんと話せるかな……」
陽向が入院している病院を思い浮かべて、綾花は寂しそうに顔を俯かせる。
そんな綾花の頭を、拓也は穏やかな表情で優しく撫でてやった。
「綾花が、上岡が、雅山が、そして麻白が無事で良かった」
「えっ?」
拓也のぽつりとつぶやいた言葉に、顔を上げた綾花は不思議そうに小首を傾げる。
「……正直、不安だったんだ。時間が止まっている間、俺は陽向くんの魔術から、黒峯蓮馬さんの魔術の知識の防壁から、どうやって綾花達を護っていったらいいんだろうってずっと考えていたから」
「たっくん……」
いつものほんわかとした綾花とのやり取りに、拓也は嬉しそうにひそかに口元を緩める。
いつもと変わらない他愛ない会話が、拓也には妙に心地よく感じられた。
「綾花、陽向くんに会ったら、綾花の両親と上岡の両親のもとに帰ろう」
「……うん。たっくん、ありがとう」
拓也の目の前で、綾花がそわそわとアホ毛を揺らして花咲くようににっこりと笑う。
いつもの綾花の笑顔の波紋がじわじわ広がり、拓也の胸の奥がほのかに暖かくなる。
「なあ、綾花。俺にもう一度、希望をくれないか?」
「希望?」
拓也が咄嗟に口にした疑問に、綾花はきょとんとする。
「辛くても悲しくても怖くても、俺がしがみつきたくなる希望がほしいんだ! ーー今回のようなことがあっても、綾花を絶対に守りたいから!」
「ーーっ」
綾花がその言葉の意味を理解する前に、拓也はそっと、綾花の頬に口付けをした。
「離れたくない。離したくないんだ。これからも、綾花にそばにいてほしい!」
「……うん。あたしーーううん、私もね、たっくんのそばにいたい。ずっとそばにいたいの」
いつもとは違う弱音のように吐かれた拓也の想いに誘われるように、口振りを戻した綾花は幸せそうにはにかんだ。
「おい、拓!」
「たとえ、拓が瀬生綾花さんと付き合っていて、友樹が麻白と付き合っていても、俺は麻白が好きだからな!」
苛立たしそうに叫んだ元樹と大輝をよそに、拓也はそのまま、綾花を愛しそうに抱きしめたのだった。
綾花達は、今回の騒動の調査を線引きするために、陽向が入院している総合病院に赴くことにした。
しかし、その事実を知らされても、何もすることが出来ない。
正確には、乗り越えなくてはならない課題にぶつかっている者がいた。
「謝罪文とは一体、どのように書けばいいのだーー!!」
謝罪とは無縁。
自他ともに認める昂は、未だにひたすら頭を抱えている。
昂の謝罪文の修正は思わぬ方向へと発展し、更なる泥沼と化していた。
当初、予定されていた玄の父親達の協力者の調査は、1年C組の担任と汐が補っている。
昂が大会会場で暴れた際の不手際に対して、大会スタッフ達に謝罪をし終えた後、1年C組の担任と汐は昂達のもとに戻ってきていたのだ。
「綾花ちゃん、今すぐ我を助けてほしいのだーー!!」
「ふわわっ、舞波くん!」
陽向の病院に赴くために、まずは移動手段を確保する。
そのために昂の母親が待つワゴン車へと向かった綾花達は、思わぬ出来事と遭遇していた。
「頼む! 我は、我は謝罪文というものが上手く書けないのだ!」
昂は颯爽と謝罪文の紙を差し出し、全幅の信頼を寄せて涙を潤ませる。
怒涛の勢いの昂の振る舞いに、綾花は戸惑いを隠せない。
「おい……!」
「あのな……」
まるで全てを代筆するように懇願する昂に対して、拓也と元樹は呆れた様子でため息を吐いた。
「我は総合病院という場所に行って、黒峯陽向に借りを返さなくてならないのだ。今すぐ、借りを返さなくてはならないのだ。…‥…‥むっ、まてよ」
そこで、昂ははたとあることに気づく。
「我は、黒峯蓮馬と黒峯陽向の協力者を探さなくてはならないではないか! 母上、このようなことをしている場合ではないのだ! 我は今すぐ、黒峯蓮馬と黒峯陽向の協力者を調査しに行かねばならぬ!」
「……ほう、それで」
昂が尊大な態度で言ってのけると、昂の母親の冷淡無情な声が響いた。
あくまでも淡々としたその声に、昂はおそるおそる声がした方を振り返った。
「……は、母上」
「調査のことは、先生達に任せているから、昂は謝罪文を書き終わるまでは、ここにいるんだよ!」
「母上、あんまりではないか~!」
昂の母親が確定事項として淡々と告げると、昂が悲愴な表情で訴えかける。
昂の嘆きは、昂の母親には届かない。
しかも、昂が願い出ている間にも、綾花達の陽向が入院している病院に向かう手筈が進んでいった。
「こ、このままではまずいのだ……!」
昂は意を決して座すると、改めて真っ白な謝罪文と格闘する。
せめて、綾花達が陽向の入院している病院に向かう時間までには間に合うように、と昂は不退転の覚悟で挑んだ。
そうーー挑んだのだが相変わらず、シャーペンを持つ手が止まったまま、一向に先へと進まない。
しかし、このままでは、自分だけがここに取り残される可能性があった。
時間だけが一刻と迫る。
それでも、必死に謝罪文を書き上げた昂は堂々とのたまった。
「母上、今度こそ、謝罪文を書き終えたのだ!」
「なら、もう一度、その謝罪文を確認してから、病院に向かおうかね」
意気込む昂の心中などお構いなしに、昂の母親は所感を述べる。
今までの昂が書き上げた謝罪文の内容を見越して、昂の母親はそう結論付けたのだ。
「うおおおおおおっ! ……ふ、再び、恐ろしい言葉が飛び出してきたのだーー!!」
予想外の言動に、昂は拒絶するように両手を前に突き出しながらひたすら絶叫する。
昂の母親が目を走らせると、案の定、謝罪文には昂の願望そのものが記載されていた。
「……昂、この謝罪文は書き直すんだよ!」
「母上、何度も何度もあんまりではないか~!」
にべもなく名言する昂の母親の姿に、昂は疲れ果てたように躊躇いを加速させる。
雪辱戦に挑む昂の意気込みは、叶うこともないまま、地に伏して灰塵へと帰す。
「我は納得いかぬ!」
綾花達は昂の母親の手引きによって、先にワゴン車へと乗り込む。
その光景を目の当たりにした昂は、勢いを取り戻したかのように地団駄を踏んでわめき散らした。




