第一章 根本的に明日の君がきっと泣くから①
「陽向……」
陽向が消え去った場所を見つめて、観客席にいた綾花は寂しそうに顔を俯かせる。
「結局、何だったんだ? あいつらは……?」
その一連の行動をしばらく注視していた輝明は、呆気に取られたようにぽつりとつぶやく。
不可解な空気に侵される中、輝明は驚いた様子で、綾花に疑問を投げかける。
「……時間は、本当に動き出すのか」
「分からないけれど、陽向はそう言っていたな」
「まだ、俺達と輝明さん以外は時間が止まったままみたいだな」
元樹が反射的に視線を向けた先には、困惑の色を示す輝明と綾花の姿があった。
陽向達が立ち去ったことで、時間が本当に動き始めるのかーー。
それは、この場で動いている誰もが抱く疑問だった。
重い沈黙。戦慄にも近い。
だが、すぐに状況を理解し、元樹は手筈どおりに動き始めようとする。
「拓也、このまま、ここにいたら、時間が動き始めた時にみんなから不審がられてしまうと思う。元の位置に戻ろう」
「あ、ああ、そうだな……」
元樹の催促に、拓也は僅かな違和感を抱きながらも駆け出していった。
元樹は改めて、魔術道具を用いて、観客席で戸惑っている綾花達にも指示を出す。
「元樹、まるで俺達が元の位置に戻るまで、誰かが時間を動かすのを待ってくれているみたいだな」
「ああ。今回、陽向くんには時間制限がなかった。黒峯蓮馬さんの強固な意思といい、今回の作戦には恐らく、誰か魔術に関わる協力者がいたんだと思う」
拓也の素朴な疑問に、元樹は状況を照らし合わせながら応える。
「協力者……?」
「阿南輝明さんの家系の人か、もしくは黒峯家の人だろうな」
拓也の躊躇いに応えるように、元樹は今までの謎を紐解いて推論を口にした。
「この大会が終わったら、改めて阿南輝明さんに会う必要があるな。それに、玄達にも事情を説明しないといけない」
「そうだな……っ」
思考を重ねる元樹に対して、拓也は警戒するように周囲を見渡す。
その時、背後に突き刺さるような視線を感じた。
「あれは……?」
拓也が目線を向けた観客席。
そこに居座っていたのは、綾花が先程まで姿を変えていた少女と家族だった。
彼女達は、他の観客達と同様に固まっている。
彼女達の時間が動き始めた気配はない。
「ーーっ」
拓也は不可解な出来事を前にして、明確な違和感が生じた。
少なくとも、拓也達以外に動いている存在はいないはずだ。
杞憂であってほしい。
思い過ごしであってほしい。
しかし、拓也は先程、確かに何者かの視線を感じていた。
「ど、どういうことなんだ……?」
拓也の声音に、不穏な気配を感じたのだろう。
状況を整理していた元樹が疑問を呈してくる。
「拓也、どうした?」
「元樹、今、誰かが俺達を見ていたような気がするんだ……」
不明瞭な返事をしながら、拓也の心に焦りが走った。
「……誰かが、俺達を見ていたのか?」
先程からの緊張感が別の意味を持つ。
元樹の脳裏に、あらゆる、不測の事態が駆け巡る。
その時、観客席から戻ってきた綾花が二人に声を掛けてきた。
「井上、布施ーーううん、たっくん、元樹くん!」
「綾花、大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」
口振りを戻した綾花の姿を認めた拓也が安堵の吐息を漏らす。
綾花の分身体は全て消え、麻白の姿をした本物の綾花だけがこの会場内に存在している。
それは言い換えてみれば、綾花を捕らえる絶好の機会だといえた。
もし、黒峯蓮馬さんの関係者がこの場に留まっているのなら、この好機に綾花を狙ってくるかもしれない。
拓也の懸念とは裏腹に、綾花達の視界が再び、激しく揺れ動く。
大会会場の喧騒が近づき、耳障りなノイズが頭へと流れた。
無理やり、思考の外に放り出されたような感覚を認識した直後、世界は元に戻った。
「何が起きたんだ?」
混乱しそうになる頭を叱咤しながら周囲を見渡すと、拓也は不可思議な異変に気付く。
「では、レギュレーションは一本先取。最後まで残っていたチームが準決勝進出となります」
「おおっ、『ラグナロック』!」
「いよいよ始まるみたいだな!」
実況の声とともに、紛糾する観客達の甲高い声が響き渡ったからだ。
「どうやら、時間が動き始めたみたいだな」
元樹は状況を把握すると、陽向が姿を変えていたはずの次の対戦チームのリーダーへと目を向ける。
そこには、陽向が姿を変えていた人物ーー本物の対戦チームのリーダーがコントローラーを手に取っていた。
「元樹、これって……」
「違和感を感じているのは、どうやら俺達だけみたいだな」
拓也の疑念に対し、元樹は私見を述べる。
周囲の時間が停止したという、現実離れしたことが目の前で起きていたというのに、それに気づいているのは自分達だけという事実。
それは薄気味悪く、鳥肌が立つ現象だ。
ただ、一つ明らかなことがある。
これから玄の父親達が本腰を入れて、綾花を奪いに来る。
それと同時に、魔術に関わる家系の者達が動き始めようとしていた。
恐らく、玄の父親達の思惑とは別の目的でーー。
許してはいけない。
絶対に防がなくてはならない。
拓也と元樹は強く誓う。
魔術の家系の一人である輝明。
かって、玄の父親に協力していた輝明の母親とは別に存在していた魔術の関係者。
その事実は飄々と、しかし、的確に拓也達の心を揺さぶっていた。
「決まった!」
実況の甲高い声を背景に、観戦していた拓也達はまっすぐ前を見据えた。
「本選二回戦Bブロック勝者は『ラグナロック』! 言わずと知れた、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第ニ回、第三回公式トーナメント大会のチーム戦、優勝チームだ!」
「黒峯蓮馬さんと陽向くん達との戦いは長かったけれど、本選二回戦Bブロックのバトルはあっという間だったな……」
「ああ。だけど、玄と大輝はやっぱり、時間が止まっていた事実には気づいていないみたいだな」
実況がそう告げると同時に、拓也と元樹の二人が、それぞれ同時に別の言葉を発する。
観戦していた観客達もその瞬間、ヒートアップし、割れんばかりの歓声が巻き起こった。
『YOU WIN』
拓也はドームのモニター画面上に表示されているポップ文字を見遣り、改めて玄達のチーム、『ラグナロック』の勝利を実感する。
「『ラグナロック』の中で真実を知っているのは、綾花ーーいや、麻白だけなんだな」
拓也は改めて、玄達『ラグナロック』の実力を実感する。
陽向達の干渉が途絶えた今、対戦相手達は個々の実力で圧倒する玄達『ラグナロック』の敵ではなかった。
まさに鎧袖一触。
対戦相手達のキャラはあっという間に蹴散らされ、バトルは終了していた。
警戒するように辺りを見渡した後、拓也は先程から気になっていた事柄を元樹に訊ねた。
「そういえば、舞波がいないけれど、どうしたんだ?」
「ああ。先生達に頼んで、舞波を会場の外に連れ出してもらったんだ。陽向くんとの戦いが、不完全燃焼で終わったことを根に持って暴れていたからな」
「……それで、舞波の姿が見当たらなかったんだな」
相変わらずの昂の行動理念に、拓也は額に手を当てて呆れたように肩をすくめる。
「それにしても、黒峯家以外の魔術に関わる家系か。阿南輝明さんの家系といい、まだ、魔術には俺達の知らないことが隠されているみたいだな」
「ああ。拓也が感じた視線といい、綾を狙ってくる相手は黒峯蓮馬さん達だけではないかもしれない」
拓也の懸念材料に、元樹は憔悴しきった面持ちで言う。
そんな綾花達の心情に拍車をかけるように、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第四回公式トーナメント大会のチーム戦は続いていった。




