第七十三章 根本的に星屑庭園の蕾⑦
「味方らしい魔術の使い手。そちらは、おまえ達に任せた」
「むっ、何なのだ! 偉大なる我に対して、その偉そうな発言は!」
輝明の率直な意見に、陽向に対して魔術を放っていた昂が不本意とばかりに足を止める。
「そしてーー黒峯玄の父親、魔術の知識の使い手。おまえ達によって止められた時間、僕がーー僕達が動かしてみせる!」
「ああ、必ず動かそうな」
「うん」
輝明の強い気概に、拓也と綾花は笑みを綻ばせる。
相手の隙を見出した訳でもなく、仲間と呼吸を図るのでもない。
どう戦えばいいのかという思考ではなく、戦わなければならないという感情によって、輝明は前へと進んでいく。
そこにいるのは、ただのゲームのプレイヤーではない。
『魔術に関わる家系の人間』の一人としてでもない。
どんな状況からでも決して負けない最強のチームのリーダー。
拓也達が羨望の眼差しで見た『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステム内で二位のプレイヤー、阿南輝明の姿だった。
「君達がいくら拒んでも、私の考えは変わらない」
玄の父親は冷たい激情を迸らせる。
重い沈黙。戦慄にも近かった。
喪われし者が還ることはない。
それは誰もが知り得ている、自然の摂理だった。
時の流れは不可逆である。
だが、それでも星辰の巡りを得て、玄の父親は後に旧知の仲で、彼と同じ魔術に関わる家系の人間ーー輝明の母親に助けを求めた。
娘を生き返させる。
その信念のもとにーー。
玄とともに目の前で麻白を失った玄の父親は、文字どおり我を忘れ、なりふり構わず、様々な手段を試みていた。
科学的方法、蘇生、反魂。
しかし、それらを用いても娘を甦らせることは叶わなかった。
絶望の渦の中にいた玄の父親に差した光とは、自身にとってもっとも身近な存在の魔術だった。
不意に、あの時の麻白の言葉が、あの日の光景が、玄の父親の心に重くのしかかる。
『玄、父さん。今日は歩いて帰ろう。あたし、新しい傘を使いたい』
『ああ』
『そうだな』
玄と玄の父親がそう答えると、麻白は花咲くようににっこりと笑ってみせた。そして、嬉しさを噛みしめるように、玄の父親に買ってもらった傘をぎゅっと握りしめる。
それからしばらくの間、傘を差してみんなで話しながら歩道を歩いていた時だった。
ーーその事故が起こったのは。
流れ出る血は止まらない。
その日、息子をかばって娘は死んだ。
雨に打たれ、灰色に濡れた体はついに動くことを諦める。
『車に跳ねられそうになった兄をかばった少女の事故死』。
それは、世界の端っこで起きた小さな悲劇。
だけど、玄の父親達にとっては何よりも堪えがたい事実だった。
降り続ける雨は、残酷な事実を突きつけるようにさらに激しさを増し、しばらくは止みそうにはなかった。
人通りのない歩道で、引き寄せられるのは、被害者である玄達、そして、加害者である運転手とその家族だけだった。
あの時、麻白が望んだとおり、歩いて帰らなかったら、麻白は死ななくて済んだのかもしれない。
麻白を失わなくて済んだのかもしれない。
麻白は、私達の前からいなくならなかったかもしれない。
そしてーーどうしてあの日、息子と娘を庇うことが出来なかったのだろうか。
麻白を失う。
それがどれだけ残酷なことなのかを、玄の父親は麻白を一度、失ったことで思い知らされていた。
「父さん……」
綾花の目には、玄の父親の横顔が言いようのない影りを帯びているように見えた。
「あたし、死んじゃってごめんなさい。ごめんなさい」
「麻白」
流れ出る涙は止まらない。
透きとおった涙をぽろぽろとこぼす綾花の姿に、玄の父親の顔が目に見えて強張る。
「でも、それでもーー私は瀬生綾花でーー俺は上岡進でーーそして、あたしは黒峯麻白。それ以外には、絶対になり得ない」
「ああ。綾花が、綾花と上岡と雅山と麻白の四人分生きているという事実は、確かに存在するんだ」
口振りを変えながら、淡々と告げられる言葉。
そんな綾花の言葉を引き継いで、拓也はただ事実を口にする。
「存在か……」
拓也の発言に、輝明は虚を突かれたように唇を噛みしめた。
「黒峯蓮馬さん。麻白の心が宿っているとはいえ、綾花は綾花であり、上岡なんだ」
「黒峯蓮馬さん、お願いします。麻白達が自由に生きることを許して下さい!」
「麻白は麻白だ!」
拓也と元樹の訴えを、玄の父親は頑なに拒む。
「君達がいくら拒んでも、麻白が否定したとしても……」
玄の父親はただ、弱音を吐いたように心を病み、顔を俯かせて悲痛な声を漏らす。
まるで、自分自身に言い聞かせるように、玄の父親は自身の理想を体現しようとする。
叶わぬ願いを実現させるためにーー。
昂達と陽向達の戦いは、熾烈を極めていった。
だが、先程の輝明の意味深な発言が、魔術を捌いた陽向の興味を誘う。
「もしかして、輝明くんの真価を見られるのかな?」
「うむ、その通りだ。我の真価を見せる時がついに訪れたのだ!」
雪辱戦に挑む昂の意気込みは、陽向に届くこともないまま、虚しく会場内に響き渡る。
「むっ! 我は納得いかぬ!」
輝明に興味を注いだ陽向を見据えて、昂は両拳を振り上げて憤慨した。
「何故、我を見ていないのだ! 貴様、何ゆえ、偉大なる我の方を選らばぬ!」
「僕は、昂くんも輝明くんも興味があるからだよ」
昂の抗議に、楽しげに眺めていた陽向は向き直る。
「さあ、続けようか。麻白をーーそして、魔術書を賭けた勝負を!!」
陽向が魔術を放つために、魔力を上げる。
その瞬間、陽向から放たれた魔力の大きさに、昂は目を見開いた。
「むむむむむっ……!! 減らず口を叩いていられるのも、今のうちなのだ!!」
昂は対抗するだけではなく、圧倒するための力を放とうとした。
ことごとく無視された昂は反発するように、戦意と気迫に火を点ける。
自身の闘志に逢魔ヶ刻を迎えたような、戦乱の奮起を促していく。
「舞波、汐、任せろ!」
「ダーリン、こちらは任せて!」
意気がる昂が足元をすくわれないように、1年C組の担任と汐はサポートに回る。
互いの虚を突くような一撃はないものの、1年C組の担任と汐が前衛に立つことで、昂は魔術の直撃という危険を回避していた。
「汐、舞波の魔術が放たれたと同時に動こう」
「ええ」
1年C組の担任の提案に、汐は勇ましく点頭する。
「黒峯陽向、今こそ、我の魔術を食らうべきだ!」
1年C組の担任達の対話に応えるように、昂は裂帛の気合いを込めて魔術を放った。
意表をついた昂の魔術。
だが、それは口にした陽向ではなく、玄の父親へと向かっていく。
「……ダーリン?」
「汐、作戦変更だ。私達はこのまま、ここを動かずに、舞波のサポートをする!」
「ダーリンの頼みなら、仕方ないっていうか」
予想外の状況を前にしても、1年C組の担任と汐は臨機応変に昂のサポートに回る。
「昂くん、残念だが同じ手は食わない」
玄の父親は魔術の知識を用いて、昂の魔術から身を護る防壁を生み出すと、即座に陽向に目配せした。




