第七十ニ章 根本的に星屑庭園の蕾⑥ ☆
偶然なのだろうか。
それとも必然だったのか。
愛しくも懐かしい記憶を掘り起こし、元樹はどことなく寂しくなる。
いつしか、一緒にいることが当たり前になってしまった友人の彼女。
だけど、麻白の姿をした綾花の分身体ーー麻白の彼氏としては付き合えるようになった大好きな彼女。
あの時の彼女の思いを汲み、元樹は静かに続けた。
「麻白に帰ってきてほしい……と望むのなら、まずは今の麻白と向き合って下さい。もし、それが叶わないというのでしたら、俺達の挑戦を受けて下さい。綾をーー麻白を賭けた勝負を」
その瞬間、拓也達、そして玄の父親は凍りついたように動きを止める。
元樹が放った衝撃的な提案は、緊迫したその場の空気ごと全てをさらっていった。
瀬生綾花さんをーー麻白を賭けた勝負。
その意図を察した瞬間、玄の父親の纏う空気が一変する。
「私達が圧倒的優位に立っているというのに何故、そのような勝負を受ける必要がある」
即座に冷たく切り捨てた玄の父親の反応を予測していたように、元樹はある確信を胸に秘めていた。
「いえ、圧倒的優位に立っているのは、俺達の方です。俺達は、輝明さんの力を借りれば、綾と上岡を入れ替わらせることができますから」
一笑に付すべき言葉。
強がりにすぎない台詞。
そのとおりに笑みを浮かべた玄の父親は、次の瞬間、表情を凍りつかせた。
「ーーところがびっくり」
「ーーっ」
不意に、全く予想だにしないーーだけど、誰よりも待ち望んでいた声が聞こえてきて、玄の父親は思わず、目を見開いてしまう。
「父さん、元樹が言っていることは正しいんだよ」
いつからいたのか、元樹の後ろには、幼い少女ーー彼女に姿を変えた綾花が、後ろ手を組んだまま、興味津々の様子で玄の父親を見つめている。
「だって今、あたしはこうしてーー俺にも変われるしーー私にも戻れるから」
「上岡進くんは、輝明くんの力で時間の概念という戒めから解き放たれたのか?」
口振りを変えながら、淡々と告げられる事実。
綾花の明らかな異変を目にして、玄の父親は先程の元樹の言葉が偽りではないことを実感した。
この大会が行われている間、玄の父親達から綾花達を護り通す。
そのための駆け引きを、この場で行う。
それを成し得るために、元樹は前に告げた疑問を問い直す。
「黒峯蓮馬さん、もう一度、教えて下さい。どうして、この状況で時間を止めたんですか? 綾と上岡の心を弱くする魔術を用いるためだったんじゃないのですか?」
静かに尋ねる元樹のニュアンスは、既に玄の父親達が綾花と進の心を弱める魔術をこの段階で使うことを確定事項としていた。
その揺らぎない自信に呆気に取られつつも、玄の父親は確信に満ちた顔で笑みを深める。
「ああ、その通りだ。瀬生綾花さんには、この大会の後からは麻白として生きてほしい。前は、上岡進くんの心の影響で成功に至らなかったからな。なら、瀬生綾花さんと上岡進くん、どちらの心も弱めてしまえばいい。時を止めたのは、それを行うための一環に過ぎない」
「時が止まれば、綾と上岡の意思に邪魔されずに心を弱めることができる。だから、この現象を引き起こし、俺達をこの時間の空間に閉じ込めた」
周囲に視線を巡らせる玄の父親を前にして、元樹は推測を確信に変える。
「ああ。邪魔をしてくる君達と彼女達の意思さえなければ、何の障害もなく、心を弱めることができるからな。ただ、彼女の息子である輝明くんが、君達と合流し、協力することは予想外だった」
「おのれ~、黒峯蓮馬! 綾花ちゃんと進の心は絶対に弱めさせないのだ!」
玄の父親の静かな決意を込めた声。
そこに付け加えられた言葉に込められたーー強い感情と切望。
昂は陽向と対峙しながら、拳をぎりぎりと握りしめ、不愉快そうに顔を歪めながら訴える。
その昂の喚き声が合図だったように、元樹は意を決したように玄の父親の方を振り向くと、神妙な面持ちで本題に入った。
「黒峯蓮馬さん。今の綾はあの時のように、上岡の心が護っている。今の状況は、あなたが望んでいた結果とは程遠いんじゃないんですか?」
「……そのことは認めようか。確かに、今の状況は私が望んだ結果とは異なっている。同じ『魔術に関わる家系の人間』とはいえ、彼女といい、輝明くんといい、私の考えを受け入れてはくれなかったからな」
核心を突く元樹の疑問に、玄の父親は残念そうに輝明を見据える。
「それに、いくら作戦を練っても、君達の動きで計画が狂ってしまった。だが、布施元樹くん、君達が圧倒的優位に立っているというのは訂正を求めよう」
玄の父親はどうしようもなく期待に満ちた表情で、ただ事実だけを口にした。
「訂正?」
「この大会会場周辺には、魔術による結界を張り巡らせている。外に出ようとしても再び、この会場内に戻って来てしまうという無限ループの魔術を施しているからな」
元樹の発した疑問に、玄の父親は目を伏せる。
「大会会場内だと隠れられる場所も限られてくるだろう。上岡進くんと入れ替われるとはいえ、この会場内から出られないのでは意味もない。ここから逃げ出しても、すぐに捕らえることができるはずだ」
「俺達をこの会場から出さないようにした上で、警備を張り巡らせて逃げ場を封じる。シンプルですが、辛辣な作戦ですね」
元樹の嫌悪の眼差しに、玄の父親は大仰に肩をすくめてみせる。
思考を重ねた後、元樹は幾分、真剣な表情で続けた。
「例えば、もし、みんなの時間が動き始めたら、どうするんですか?」
「私達の介入も無しに、時間が動き始めるなど、あり得ないことだ」
その吐き捨てるような元樹の言葉に、玄の父親は淡々と返す。
「そのあり得ないことが、実際に起こったらどうしますか?」
「起こりうるはずがない」
「ーーっ」
輝明は元樹のその気概に促されて、自分のするべき事を理解する。
輝明は目を伏せて、目の前の相手に神経を集中する。
もう一度、戦いへと意識を向ける。
だが、これは逃げる為の戦いではない。
自分の過去に向き合う為の戦いだ。
「何故、起こらないと思った? 一番、変わるべきは、その思考だな……」
「輝明くん。君も、彼女と同じことを言うのだな」
輝明を一瞥した玄の父親は、ゆっくりと笑みを作り上げてからーー表情を消した。
魔術の使い手と魔術の知識の使い手に、何を成せばいいのかーー。
その答えは未だ、見出だせてはいない。
だが、輝明は答えなど不要とばかりに、心中で唾棄して玄の父親と対峙する。
身体を打つ魔力の流れが熱を引かせ、周囲を包む乱戦の音は彼の心を鎮めていく。
隠されていた真相を聞かされた時、輝明の心に迷いが生じた。
それでも輝明の胸には、戦意がゆっくりと沁み出してくる。
「僕達、『クライン・ラビリンス』が、最強のチームだと言われている所以はなんだ?」
「それはーー」
「絶対的な強さと、それを補えるだけの個々の役目」
拓也が答えを発する前に、断定する形で結んだ輝明の意味深な決意。
時間を止めている魔術の綻びを突き止めたのかーー。
その可能性が、僅かに生じた疑念が、玄の父親の判断を鈍らせる。
そこを突くように、輝明の真剣な表情が、一瞬で漲る闘志に変わった。




