第七十章 根本的に星屑庭園の蕾④
「舞波くん、大丈夫かな?」
慄然する昂の慌てぶりに、綾花は不安そうにつぶやいた。
1年C組の担任に渇を入れられていた昂は、戦闘準備を整える以前に狼狽している。
「心配するなよ、綾。舞波には、先生達が側にいるからな」
「ひいっ! 何を恐ろしいことを言っているのだ!」
元樹の即座の切り返しに反応して、昂は恐怖のあまり、総毛立った。ふるふると恐ろしげに首を振る。
しかし、自身の置かれた立ち位置を思い出して、昂はその恐怖にかき消されてしまいそうな意識を懸命に繋ぎ留めた。
「とにかく、我は黒峯陽向に一死、報いる必要がある」
「うん。昂くん、楽しみにしているよ」
「余裕綽々なのも、今のうちなのだ!」
勇み立つ昂の奮闘に応えるように、陽向は防壁用の魔術の盾を造り出す。
昂の魔術による怒涛の連撃にさらされた陽向は落ち着いていた。
魔術の軌道を見極めて、陽向は身体を反らし、退避する。
「我は納得いかぬ! 何故、我の魔術がこうもあっさりと防がれてしまうのだ!」
「今度は僕から行くよ!」
捲し立てる昂の言葉を遮り、陽向は反撃に転じた。
昂の魔術の合間を縫うようにして、陽向の魔術が昂を捉える。
「ねえ、昂くん。僕がこの勝負に勝ったら、君の持っている魔術書、今度こそ全部、貰い受けるよ!」
「絶対に渡さぬ! 綾花ちゃんと我の魔術書は護り通してみせるのだーー!」
陽向と昂は空中に浮かび、突貫してくる魔術の渦を激突し合わせる。
拮抗し、ぶつかり合う二人の意志。
彼らの放つ魔力の光は重なり合い、時に離れ、会場内に螺旋を描いていった。
「……っ。相変わらず、すげえ威力だな……。少しは周りを見て加減しろよな」
「黒峯陽向相手に、手加減など出来るはずもなかろう」
元樹が魔術道具を掲げて会場内を元に戻すと、昂は臨戦態勢を解くこともなく、陽向との戦闘を踏襲する。
激しい魔術戦が繰り広げられていく大会会場。
その異質な光景を、輝明は成す術もなく見つめていた。
僕はどうすればいい?
どうすれば、時を止めた魔術と魔術の知識の使い手の虚を突くことができる……。
輝明は昂と陽向の戦いを見ている内に自問していた。
自分が今、居る場所は非日常。
異常な場。
昂と陽向の戦いを見て、輝明はそれを改めて実感する。
「僕が生まれ持っている魔力の流れは、あの魔術の使い手達と同質の力か」
輝明はあの日、業腹ながらも、彼女のーー母親の言い分を認めていた。
二人の戦いを見ていると、まるで意識が吸い込まれそうになる。
なのに何故か、この戦いから目を離すことができない。
輝明は次第に、まるで自分がこの戦いに加わっているような錯覚に陥っていった。
「ねえ、輝明くん」
「ーーっ」
気遣うように呼び掛けてきた綾花を見下ろして、輝明はようやく現実に焦点を結ぶ。
そんな輝明の動揺を慮って、綾花は不安そうな眸で深謝した。
「私のーーあたしのせいで、大変なことに巻き込んでしまってごめんなさい」
そう告げる綾花の瞳はどこまでも澄んでおり、真剣な色を宿している。
長々とため息をついてから、拓也は決然とした眼差しで告げた。
「輝明さん。俺達の騒動に巻き込んでしまってーー」
「…‥…‥苦戦しているのなら、全てを覆せばいい」
そう発する前に先んじて言葉が飛んできて、謝罪していた拓也は口にしかけた言葉を呑み込む。
「僕は当初の予定どおり、先生達と一緒に魔術と魔術の知識の使い手達の虚を突く。その間、おまえ達は時間を動かすために、徹底的にその原因を突き止めてこい」
「ああ。わ、分かった」
「……うん」
静かな言葉に込められた有無を言わせぬ強い意思。
輝明の凛とした声に、拓也と綾花は戸惑いながらも応えた。
「汐、私達のサポートを頼む!」
「ダーリン、任せて!」
「我はあの者のサポートなど、入らぬのだ……」
1年C組の担任と汐が前衛で攻撃態勢に入り、昂は陽向に魔術を放つために後方を陣取る。
「拓也、綾。俺達も先生達に合わせる形で、黒峯蓮馬さんの魔術の知識の防壁へと攻撃を仕掛けよう」
「ああ」
「うん」
先行する元樹が前衛に立ち、拓也は綾花を護るために周りの警備員達を牽制した。
二手に分かれた戦い。
そのどちらの情勢も鑑みることができるように、輝明は集中力を高める。
何かしらの動きがあれば、即座に対処できるようにーー。
周囲に視線を張り巡らした輝明は、自身が描く想いを幻視した。
「時を止めた原因の追求は任せた。そしてーー」
輝明の真剣な表情が、一瞬で漲る闘志に変わる。
「魔術と魔術の知識の使い手達。母さんと黒峯玄達の身内であっても関係ない。みんなの時を止めたこと、今すぐ後悔させてやる」
そう告げる輝明の口調に、先程までのような逡巡や不安の揺れはない。
いつもの調子を取り戻したような輝明の振る舞いに、綾花は心から安堵した。
「私も輝明くんのように、みんなの力になりたい」
そうつぶやいた瞬間、いつものように麻白の想いが、綾花の脳内にぽつりと流れ込んでくる。
『あたし、玄と大輝にーー、父さんと母さんに会いたい』
「うん、会いたい」
麻白の想いに誘われるように、綾花は嬉しそうに笑ってみせる。
『だけど、あたし、これからもみんなの側にいたいよ』
「……これからもみんなの側にいたいの」
麻白の想いに誘われるように、綾花は悲しそうに顔を歪めて力なく項垂れる。
それは綾花に麻白の心が宿ってから現在に至るまで、何度となく繰り返されてきた行為。
綾花が綾花であり、進であり、そして麻白であることの証明。
それは今も変わることのない不変の事実だった。
麻白の望みは、みんなの側にいることだから、私はーー私達はそれを叶えたいの。
麻白が、私達を救いたいと願っているようにーー。
綾花達が麻白のことを想っているように、麻白もまた、綾花達のことを想っていた。
「そうだね」
吹っ切れたような言葉とともに、綾花はまっすぐに玄の父親と陽向を見つめる。
「私はーーううん、私達は魔術に負けない」
綾花は麻白の想いの真実を見たような気がして、穏やかな表情を浮かべた。
「これからも、私がーーあたしがみんなと共に居るために。あの時のように、あたし達に力を貸してほしいの。ーーお願い、目覚めて、進!」
綾花は口振りを変えながら、意を決したように声高に叫ぶ。
時を止められた、もう一人の自分。
魔術に苛まれている自分自身。
『瀬生綾花』と『黒峯麻白』は想いを強く馳せらせる。
もう一人の自分である『上岡進』に届くようにーー。
だが、どんなに願っても、綾花が時を止められ、なおかつ、あかりに憑依している進に変わることはない。
口振りを戻した綾花の表情が悲壮感に包まれる。
「お願い、進。力を貸して…‥…‥」
自分で口にした言葉なのに、切実な響きを伴ったように綾花の心は息詰まりそうだった。
流れ出る涙は止まらない。
透きとおった涙をぽろぽろとこぼす綾花の姿に、輝明の顔が目に見えて強張る。
「見るのはそちらか?」
「えっ……?」
輝明が発した瞬間的な言葉に、綾花は弾かれたように顔を上げたのだった。




