第六十七章 根本的に星屑庭園の蕾①
あれはいつの頃だろうか。
儚い想いに咲く、枯れない魔力の花。
「魔術……?」
「そうよ。貴方は魔術の影響を受けない。私達の家系は、魔術の影響を受け付けないのよ」
彼女は幼い息子を連れて、夕暮れと黒雲の境目を遠くに眺めながら呟く。
彼女は玄の父親の旧知の仲で、彼と同じ魔術に関わる家系の人間だった。
魔術に関わる家系の人間にとって、魔術書は特別な意味を持つ。
世界を変革する先触れ。
それに伴う緊張感をもたらすのだ。
「手を出して」
「……ああ」
幼い息子を見る彼女のその表情には時折、暗い影が落ち、複雑な感情が見え隠れしていた。
輝明の掌に温かな魔術の光が注ぎ落ちる。
「これが貴方の力。貴方が持つ魔力の流れ」
「これが僕の力か」
輝明は業腹ながらも、彼女の言い分を認める。
玄の父親が経済界への影響力がかなり強い人物であるように、輝明の父親もまた総務大臣ーー政治界への影響力がかなり強い人物だった。
魔術を使うーーその過程に存在した大きな問題。
それは玄の父親と同様に、総務大臣である輝明の父親の手によって秘匿することが出来た。
そうでなければ、このような平穏に満ちた生活を送れるはずもない。
「分からないな。どうして、魔術は僕達しか使えないんだ?」
輝明が発したその問いの答えも、彼女は持っていた。
「魔術はね、魔術に関わる家系の人間でも、使える人と使えない人がいるの。だからーー」
彼女の呟きに、輝明が弾かれたように首を巡らせる。
「この力のことは、私とお父さん以外には話してはだめなのよ」
彼女に釣られて、輝明は空を仰ぐ。
「これは、明日をこの手で掴み取るための力なの……」
空の海は静かに夢たゆたう。
気の緩みから馬脚を露わにした、彼女の独り言とともにーー。
「まずは、黒峯蓮馬さんの魔術の知識の防壁を崩す方法を探さないとな」
事情はどうあれ、客観的に見て最悪と言えるこの状況を脱するためには、付ける隙を全て付く。
元樹は即座にそう判断した。
「元樹、これからどうするつもりだ?」
「そのことなんだが」
拓也の疑問を受けて、感情を抑えた声で、元樹は淡々と続ける。
「黒峯蓮馬さんの魔術の知識の防壁は、生半可な攻撃ではびくともしない。魔術道具の力とは別に、何か畳み掛けるような攻撃が必要かもしれないな」
「舞波と先生達は、陽向くんの対処に回るんだよな。なら、元樹が攻撃を加えている間、俺と綾花で黒峯蓮馬さんの虚を突くようなことをする必要があるのか」
呆気に取られた拓也にそう言われても、元樹は気にすることもなくあっさりとした表情で言葉を続けた。
「ああ。恐らく、舞波と先生達は、陽向くんと警備員達の対処で精一杯の状態になると思う。また、舞波や麻白の分身体を出しても、陽向くんと黒峯蓮馬さんに操られてしまう可能性があるからな」
元樹は拓也達の方へ視線だけ向けて、世間話でもするような口調で言った。
「だが、恐らく、黒峯蓮馬さんはありとあらゆる手段を用いて、麻白の姿をした綾を自身のもとに留めようとしてくるだろう。まさに、俺達の思いもよらない方法でな」
「うむ、確かにな」
元樹の言葉に、呼吸を整えた昂は納得したように頷いてみせる。
呆気に取られている拓也に目配りしてみせると、元樹はさらに続けた。
「だからこそ、舞波、先生達と協力して、陽向くんの魔術を打ち負かしてほしい。黒峯蓮馬さん達は、今回も俺達が後手に回ると思っているはずだ。それを逆手に取って、思いっきり攻めてきてくれないか」
「なるほどな。ついに我と黒峯陽向、けんーー何とか、否、乾坤一擲の大勝負の時が来たというわけだな」
真剣な眼差しで視線を床に降ろしながら懇願してきた元樹に、昂は持ってきていた四字熟語の辞典を開くと、この上なく不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「よかろう! 我が必ず、綾花ちゃんと我の魔術書を、黒峯陽向と黒峯蓮馬の魔の手から守ってみせるのだ!」
「ありがとうな、舞波。俺達も必ず、綾を護ってみせるな」
昂の自信に満ちた言葉に対して屈託なく笑う元樹に、拓也は訝しげに眉をひそめる。
「おい、元樹。どうする気だ?」
「これから俺達は、時間を動かす方法を突き止めないといけない。だが、陽向くんには今回、時間制限に関係なく、豊富な魔術を使える上に、この場に顕在していられる。舞波には先生達と協力して、陽向の対処をしてもらう必要がある」
「……そういうことか」
苦々しい表情で、拓也は昂の方を見遣る。
目下、一番重要になるのは、綾花を護ることだ。
舞波は誰の手も借りず、自分一人の力で陽向くんの魔術に対処しようと考えているだろう。
だが、それは想像していた以上に難解で、厄介極まりない状況に追い込まれてしまうかもしれない。
そうなれば、綾花を護るどころではなくなるだろう。
昂の周到な段取り、手回しの良さを充分、思い知らされていた拓也だったが、それと同時に間の抜けた昂の行動も理不尽ながら知り得ていた。
「おのれ~、黒峯陽向と黒峯蓮馬め! 貴様らの命運も、ここまでだ!」
「ふわわっ、舞波くん。そんなに強く引っ張ったら、辞典が破れるよ!」
そんな彼らの様子など露知らず、昂はすでに陽向達を出し抜く方法を模索してひたすら頭を抱えて悩み始めていた。
しかし、陽向達を翻弄する方法が思いつかず、昂は持っている辞典に八つ当たりを込めて当たり散らす。
綾花が少し困り顔でたしなめているのを見ながら、拓也と元樹は二者二様で呆れ果てたようにため息をついた。
「阿南輝明さんはこれからどうするんですか?」
元樹は仕切り直すと、戦いの趨勢を見極めようとしている輝明に対して声を掛ける。
「僕は当初の予定どおり、先生達と一緒に魔術と魔術の知識の使い手達の虚を突く。その間、おまえ達は時間を動かすために、徹底的にその原因を突き止めてこい」
「ああ。わ、分かった」
「……うん」
静かな言葉に込められた有無を言わせぬ強い意思。
輝明の凛とした声に、拓也と綾花はたじろぐように退く。
「阿南輝明さんって、頼もしいっていうか……」
「……うん。すごい人だね」
瞠目する拓也の言葉を繋ぐように、綾花は確かな事実を口にした。
だが、綾花は躊躇いながらも、戸惑いの眼差しで言葉を続ける。
「でも、輝明くんは、私にはーーあたしには父さん達を警戒しているように見えるよ」
「そうなのか?」
口振りを変えながら、淡々と告げられる言葉。
そんな綾花の危惧を引き継いで、拓也はただ率直に疑問を口にする。




