第二章 根本的に他愛のないティータイム ☆
サブタイトルどおりの内容です。
相変わらず、のんびりでマイペースな投稿だったりします。
あまりにも想定外なことが起こると人は唖然としてしまうものだが、この計画を目論んだ当の張本人である昂はすぐに立ち直ることができた。
(ーーうむ、憑依融合のようなものか?)
綾花に二度言われて、初めて昂はそのことに気づく。その発見で、すべてが腑に落ちた。
これは喜ぶべきか、悲しむべきなのか。
いや、これは前者であろう。
昂は、自分の考えに自分で頷いた。
魔術書には残念ながら、この場合の対処法は書かれていなかった。
だが、それでも構わない、と昂は思った。
今まで自分のことは恐怖の対象にしか思われていなかった綾花に、親しげに声をかけられて、しかも名前を呼び捨てで呼ばれている。
まあ、失敗も成功のもとというし、何より我が失敗などするはずがないではないか!
これはいわゆる失敗ではなく、実際は成功したということであろう!
「やはり、我に不可能はない!!」
昂が声を荒げると、近くにいた人達が足を止めて不思議そうにこちらを振り返った。
「ーーばっ」
とっさに先ほどの出来事が頭を過ぎり、拓也は目を剥いて、綾花と昂の腕を掴むとその場から強引に連れ出した。
こうして憑依させられた少女とその彼氏、そしてすべての元凶であり、恋敵の少年という世にも奇妙な茶会が幕を開けたのだった。
拓也に連れられて入ったのは、やたらとレトロな喫茶店だった。
木製のテーブルと椅子に、落ち着いた雰囲気を醸し出す音楽。
一目で見渡せるさっぱりとした店内には、祝日とあってか、かなりの人が入っていた。
「いらっしゃいませ。後ほどご注文を伺いに参ります」
落ち着いた口調の店員が水とメニューを置いて立ち去っていった。
四人がけのテーブル席で、拓也は目の前で堂々とした態度でメニューを手に取り、通りがかった店員を呼び止めて早速、注文をし始める昂と、隣で居心地悪そうに座っている綾花をなんともなしに交互に見つめた。
「…‥…‥綾花になにをした?」
拓也の鋭い問いに、綾花ははっとした表情を浮かべ、あからさまに視線を逸らした。
「だから言ったであろう。進を綾花ちゃんにしたと。つまり、もう綾花ちゃんは我のものだ」
「だから、それはどういうことだと聞いている?」
あっけらかんとした笑顔でそう答える昂を、拓也はきつく睨み付けた。
「進を綾花ちゃんに憑依させた 」
拓也の疑問に即答した昂は、そのまま淡々と続ける。
「まあ、もっとも当初の予定とはいささか違って、進は綾花ちゃんの心の一部に過ぎないがな」
昂の言葉に、拓也の顔が強張った。
舞波は何を言っているのだろう?
上岡を綾花に憑依させた?
そんなこと、できるはずがないのに。
「まあ、進と同じでできるはずがないとか思っているだろうな」
昂は、拓也の心をも見透かしたようなことを言った。
「だが、可能だ。我の頭脳にかかればな」
呆れた大胆さに絶句する拓也に、昂はぐっと顎を引く。
拓也は真剣な表情で、昂に訊いた。
「本気で言っているのか?」
「だから、冗談のはずがないだろう」
昂にそう告げられても、拓也はあまりの滑稽無稽さに正気を疑いたくなった。
頭を悩ませ、拓也はテーブルに肘をついて水に口をつける。
「本当のことなのか?」
「すべて事実だ」
間一髪入れずに即答した昂は、真顔で拓也を見つめると腕組みをしてみせる。
「頭が痛くなってくる…‥…‥」
あまりにも突拍子がない話に、拓也が思わず頭を抱えた、その時。
「お待たせ致しました」
店員が注文の品を運んできた。
中断された話とテーブルに並べられる料理。
「ごゆっくりどうぞ」
注文した料理が並べられたのを確認し、一礼した後、店員は定例の対応でその場から立ち去っていった。
「おおっー!きたな!早速、頂くとしよう!」
「あー…‥…‥とりあえず、俺達も何か頼むか?」
追い打ちをかけるかのように拳を突き上げてそう叫ぶ昂に、拓也は脱力して言う。
「…‥…‥うん」
拓也のその言葉に、顔をうつむかせていた綾花が小さく頷いた。
「うむ、美味いな」
昂は料理を口に運ぶとなんとも幸せそうな表情を浮かべた。そして、いきなりとんでもないことを拓也に告げた。
「ちなみに我は今、一銭もお金を持っていないぞ」
にまにまと意地の悪い笑みを浮かべてくる昂に、拓也は不愉快そうに牽制するように睨んでみせる。
明らかにおごってもらう気満々の昂に、綾花は呆れたようにため息をつくのだった。
「うむ、我は満足だ!」
あっという間に頼んた料理を平らげてしまった昂を、 拓也は唖然とした表情で見やる。
「ご、ごめんね。昂、いつもこうなの」
綾花は拓也と視線を合わせると、顔を真っ赤にしながらおろおろとした態度で謝罪した。
驚きは当然、おごらされたことにもあるが、それ以上にーー
「何故、綾花ちゃんが我のことに関して謝ってきたのか?」
言いたいことを、昂にそっくりそのまま言われた拓也は押し黙った。
すると、昂は当然のことのようにすらすらと語り出す。
「当たり前だ。なにしろ、今の綾花ちゃんは進なのだからな」
そう言ってちゃっかり、すっかりぬるくなってしまった水にまで口をつける昂に、綾花は苦笑して先程、頼んでいたアールグレイの紅茶を口に含む。
「どうすれば、綾花をもとに戻せるんだ?」
綾花と同じように頼んでいたロイヤルミルクティーを飲んで喉を湿すと、拓也は口火を切った。
「そんなことは出来ぬな」
だが、拓也の問いかけに、あっさりと昂はそう吐き捨てた。
「ーーおまえ!!」
「早とちりするな。言っておくが、わざとしないわけではないぞ。ただ、一度、この憑依の儀式をしてしまえば、もう元には戻せぬだけだ」
ドン! とテーブルに右拳を叩いて強い口調で言い放つ拓也に対して、昂は冷めた声でそう告げた。
「なっ!?」
「…‥…‥まあ、そうでなくても、我はもう、もとに戻す気などないがな」
その言葉に拓也が絶句する中、水の入ったコップを置いた昂が誰にも聞こえないような声で付け加えるようにぼそっと呟く。
「じゃあ、私のーー進としての身体はどうなったのよ?」
綾花の疑問に答えるように、昂が人差し指を立てて言った。
「この憑依の儀式を行うと、元の身体は消滅するようになっている」
「ええっーー!?」
想像すらしていなかった非情なる事実に、綾花はショックを受けた顔で絶句した。
だが、綾花以上に動揺したのは拓也だった。
「ちょっと待て!なら、綾花はずっとこのままなのか?」
「だから先程から、そう言っておるではないか」
「そんな…‥…‥」
あまりにも無情な言葉に、傷ついた表情を浮かべて、綾花は悲しげにうつむいた。
呑気な茶会から一転、張りつめたような静寂に空間が支配される。
だが、その重苦しい沈黙を押し返したのは、やはり彼だった。
「…‥…‥しかし、今や本当に綾花ちゃんが進なのだな?まるで綾花ちゃんが進の真似をしているようだぞ」
自分の手柄というようににやつきながら、昂が綾花に訊いてきたのだ。
綾花はそれを聞くと顔を上げて、不満そうに口を尖らせた。
「当たり前でしょう!誰のせいで、こうなったって思っているのよ!」
すると突然、昂が何かに気づいたような表情を浮かべ、「くっくっく」と肩を揺すって笑い出した。
綾花が訝しげに首を傾げて、昂に訊いた。
「何がおかしいのよ?」
「うむ。いやいや、本当に進というのなら、是非ともその証拠を見せてほしいものだなと思っただけだ」
嘲るような笑みを、昂は拓也に向けながら、意味深に綾花に告げた。
「…‥…‥分かったわよ」
答えてはみたものの、綾花には一抹の不安があった。確かに昂の説明には筋が通っていた。綾花が進だということは結局のところ、綾花にしか分からない。だから、進だという確証がほしいというのは、誰もが聞けば納得する。矛盾点は多分、ないことだろう。
でも、これまでーーそう進が昂に出会ってから一度だって、昂がこのような笑みを浮かべた時はろくなことがなかったのだ。綾花は進として体験してきたことで、そのことを身を持って知っていたのだ。
「どうしたのだ?進」
心外だというように昂が再度聞いてきた途端、綾花の表情が一変した。
「だから、俺は絶対に、そんな無茶苦茶なことに協力なんてしないから、って言ったんだ!」
「綾花…‥…‥?」
突然、話し方が変わった綾花のあまりの豹変ぶりに、隣にいた拓也は思わずうろたえた。
「ああっ!…‥…‥もう、父さんと母さんになんて言えばいいんだよ!」
「うむ。とりあえず、行方不明にでもなったと言えばよかろう」
矢継ぎ早にそう答える昂に、綾花はサイドテールを柔らかに撫でながら不服そうにつぶやいた。
「ホント、昂は勝手なことばかり言うよな」
「おい、綾花!!」
拓也は、隣で立ち上がっていた綾花を強引に座らせて自分の方に振り向かせると、両肩をつかんで何度も揺すった。
綾花だろうーーその言葉を飲み込んで、拓也は綾花を見た。
「たっくん、どうしたの?」
一転して、綾花の話し方が元に戻る。
きょとんとした顔でこちらを見つめてくる綾花に、拓也は拳を握りしめて言った。
「行くぞ!」
「えっ?」
拓也は席を立つと、そのまま綾花の手をつかんで昂の返事も聞かずに、自分と綾花が頼んだものの代金だけ支払うと、店の外へと出て行ってしまった。
帰りの道沿いの中、拓也は先程のことを考え続けていた。
「くそっ!」
あまりに理解不明な現象に、感情に任せて、拓也は近くの電柱を叩いてしまう。
「たっくん?」
人差し指を立てて子供のように首を傾げる綾花に、拓也は気が抜けそうになるのを耐える。
今、目の前にいるのは、今まで拓也が知っていた綾花ではないのだ。
今、目の前に立っているのはーー綾花の姿をした綾花と、そして上岡だ。
導かれる結論に、拓也は凍りついた。
拓也の脳裏で、昂の声が反芻される。
ーー進を綾花ちゃんに憑依させた 。
その言葉に、拓也は喉が締め付けられたように吐く息が震え、脳を揺さぶるような目眩がした。ぞっとするような吐き気が胃から上ってくる。
混じり気のない怒りが、拓也の脳裏を染め上げた。
あまりにも残酷な現実に、拓也は胸を締めつけられそうになった。
「もう二度と、上岡の真似なんかするな」
拓也は綾花の方を振り向き、そう告げた後、がしっと綾花の両肩をつかんだ。
「えっ?真似じゃないよ。だって、私、進だもの」
綾花がぽつりとつぶやいた。
昂が告げたとおり、今や進は、綾花自身の心の中の一部なのだろう。進として振る舞った自覚があるような言い方だった。
拓也は噛み締めるように言った。
「綾花がいなくなったら、どうしようかと思った」
「たっくん?」
「もし、今日のことのように、綾花が上岡になってしまったり、俺以外のやつをーー舞波を好きになったりしたら、そしたら綾花はもう、俺のそばからいなくなる」
拓也は綾花から顔を背けて、沈痛な面持ちで続けた。
「…‥…‥嫌なんだ。綾花に…‥…‥そばにいてほしい」
「でも、私は…‥…‥」
拓也の嘆き悲しむ姿に、綾花はどうしようもない気持ちになって言葉を吐き出した。
そんな綾花に、拓也が綾花の手をつかんで言った。
「綾花がこれからも進として振る舞ってしまうというなら、また、俺が元の綾花に戻してやる!だから、ずっとそばにいてほしい。ーー綾花のことが好きだから! 」
拓也がそう告げるや否や、綾花は拓也にしがみついてこう言ってくれた。
「うん、私もたっくん、大好きだよ!」
「我は無銭飲食をしようとしたわけではないぞ!ただ、今は一銭もお金を持っていないだけだ!」
「それを無銭飲食だと言うのだが!」
一方、その頃、綾花に進として振る舞わせて、拓也を出し抜こうとしていた昂はいまだ、喫茶店の中にいた。
お金を一銭も持たないまま、拓也と綾花に置き去りにされてしまった昂は、無銭飲食ゆえ喫茶店の店長達に尋問され、立ち往生していたという。