第六十四章 根本的に光る世界に夢を見た⑥
正邪を越えて、娘の死という運命に抗う玄の父親。
否定することが正義か。
肯定することが正義か。
それでも世界は冷たく、ようやく掴めたと思った娘の手は滑り落ち、温もりは消える。
綾花達との間で生じた亀裂は、玄の父親の危うさを浮き彫りになっていた。
「あなたが娘をーー麻白を生き返そうとしていることは、独りよがいの片思いと一緒よ。そう伝えたのに、私はそんな彼に手を貸してしまった」
そんな彼と相容れず、袂を断った彼女は自身が犯した罪に心を痛めていた。
玄の父親が使える『魔術の知識』。
それは、昂達が使っている魔術とは根本的に異なる。
昂達が使っている魔術は、昂達の魔力、または昂達が産み出した魔術道具を使うことによって事象を変革するものだ。
だが、魔術の知識は、世界の記憶の概念の一部を書き換えて、事象そのものを上書きしたりすることができる。
「今は、私達以外は時間が止まっているのよ」
彼女は大会会場へと赴いている息子の姿を思い浮かべ、窓際へと歩み寄る。
その所作が示す意はどこにあるのだろう。
彼女は、玄の父親が成そうとしていることを全て知っているわけではない。
それでも息子の安否を願い、瞳に不安を滲ませる。
「ねえ、輝明……」
彼女の吐き出された想いが虚空を漂う。
きっと、息子の無事を願う彼女の想いは、娘を想う玄の父親には届かない。
それでも、黄昏は終わらない。
望む人がいる限り、きっとーー永遠に紡がれていく。
「なるほどな」
拓也から事情を聞いた元樹は、状況を改善するために思考を走らせる。
黒峯家には魔術の伝承がある。
加えて、玄や麻白のように、黒峯家の人間は魔術に関して何かしらの知識を持っている。
それは何故なんだろうなーー。
玄がかって思考を重ねた問い。
元樹のその疑問は論理を促進し、思考を加速させる。
そうして、導き出された結論は、玄が導き出した答えとは違うーーしかし、元樹が今の今まで考えもしない形をとった。
「もしかしたら、魔術に関わる家系である阿南輝明さんは、魔術や魔術の知識の影響を受け付けないのかもしれないな」
「なっ!」
「ううっ……」
予想外な真実を突き付けられて、拓也と綾花が目を見開く。
「でも、元樹、玄は今回の魔術の影響を受けているだろう」
「それって、輝明くんの家系の場合は、魔術の影響を受け付けないってことなのかな」
拓也と綾花が抱いた疑問に応えるように、元樹は推測を確信に変える。
「ああ、恐らくな」
確信を込めて静かに告げられた元樹の問いは、驚愕する玄の父親へと向けられていた。
「あの子は、彼女の……!」
想定外な人物を目撃したように、玄の父親の背中を冷たい焦燥が伝う。
その玄の父親の反応が、元樹の言動を裏付ける。
「元樹、これからどうするんだ?」
「黒峯蓮馬さんの魔術の知識の防壁は破ることができない。陽向くんも、今回は時間制限がない。時が止まった現象も、一向に元に戻る気配はない。全てに置いて、八方塞がりの状況だ」
拓也の疑問に、元樹は記憶の糸を辿るように目を閉じる。
「黒峯蓮馬さんの魔術の知識と陽向くんの魔術の対処。そして、先生達と合流した後、俺の持っている魔術道具か、舞波の魔術でこの場から離脱しなくてはならない」
機会を窺う元樹の思考は、さらに加速化する。
「だが、大会はまだ、続いている。この場を離脱しても、俺達は再び、ここに戻ってきて、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第四回公式トーナメント大会のチーム戦の間、綾を護り抜かないといけないな」
僅かに焦燥感を抱えたまま、元樹は遠い目をする。
「先生にこの後、続いていく大会の際にも守ってもらえるように頼んでいるが、恐らく考えられる限り、最悪に近い状況だな」
「……そうか」
真剣な眼差しでそう告げた元樹を見据えて、拓也は複雑な表情を浮かべた。
「心配するなよ、拓也。状況は最悪かもしれないけどさ。俺達は今、こうして、阿南輝明さんという新たな協力者を得て、止まった時間を動かそうとしているんだからな」
「……そうだな」
元樹の意志に、拓也は真剣な眼差しで輝明を見遣ると、どこか照れくさそうな笑みを浮かべる。
綾花がまた、綾花としていつでも笑えるように、と拓也達は心から願った。
そして、それは輝明の協力によって、叶えられると信じている。
拓也達が状況を示唆しているその間、1年C組の担任と汐は周囲を阻む警備員達の包囲網を突き崩していった。
「汐、任せろ!」
「ダーリン、こちらは任せて!」
再び、取り囲もうとしてきた警備員達を、汐は行動を合わせてきた1年C組の担任とともに振り払っていく。
「麻白お嬢様を渡してもらいます!」
綾花達を追いかけて、警備員達とともにいた美里が1年C組の担任達のもとへと駆け込んでくる。
美里達の追手に対して、1年C組の担任がとった行動は早かった。
「汐、後は頼む!」
「うん、ダーリン」
綾花達の護衛を汐に任せると、1年C組の担任は大会会場の床を蹴った。
そして、警備員達の前まで移動する。
その見え透いた挙動に、警備員達の反応が完全に遅れたーーその時だった。
1年C組の担任は警備員達に素早く接敵すると、多彩な技を駆使して次々と警備員達を倒していく。
次の瞬間、美里の目に映ったのは床に倒れ伏す警備員達の姿と、冷然と立つ1年C組の担任の背中だった。
「ここまでだ」
1年C組の担任の断言に、美里の心は動かない。
「そうですね。あなた方はもうここまでです。あなた方は決して、ここから出ることは出来ませんから」
1年C組の担任の問いかけに真剣な口調で答えて、美里はまっすぐ1年C組の担任を見つめた。
大会会場周辺には、魔術による結界が張り巡らされている。
外に出ようとしても再び、この会場内に戻って来てしまうという無限ループの魔術。
それはまさに綾花達にとって、八方塞がりの状態だった。
いかに、1年C組の担任達が警備員達を薙ぎ倒そうと変わることのない不変の事実。
その機械に打ち込んだような美里の言葉の中に、魔術道具を握りしめた元樹は一縷の望みをかける。
「あなた方が麻白だけを求めているというのなら、俺達は今回も必ず、四人とも護ってみせます」
「そんなこと、できるはずがありません。麻白お嬢様から手を引くまで、あなた方はここから出られませんから」
「まあ、そうくるだろうな」
元樹はさらりとそう言って、平然と美里のもとに向かって歩いていく。
そのどうしようもなく普通の所作に、美里は混乱した。
「な、何のつもりですか?」
「自分の目で確かめてみたらどうだ? ここから、俺達が四人とも護れるかを」
「ーーっ」
即座に返された言葉。
確信を持った笑顔。
悠々と広げられた手。
その見え透いた元樹の挙動に、美里は完全に反応が遅れる。
しかし、元樹の問いかけに答えたのは、冷静さを取り戻した玄の父親だった。
「なら、見せてもらおうか、布施元樹くん」
「黒峯蓮馬さん……」
玄の父親の付け加えられた言葉にーー込められた感情に、元樹は戦慄するように拳を強く握りしめたのだった。




