第五十八章 根本的に昨日の君は僕だけの君だった④
「どうして、阿南輝明さんがここにいるんだ?」
拓也がぽつりと呟いた言葉は、確認するような響きを帯びていた。
緊迫した空気は一瞬。
そんな拓也の問い掛けに返ってきたのは、素朴な疑問の数々。
「……おまえ達こそ、ここで何をしているんだ? どうして、みんな、時が止まってしまったかのように動かない?」
「それは……」
輝明の口から出た懸念に、拓也は迷うような間を置いた。
「君は、時が止まっていないのか?」
拓也の躊躇いを汲んで、1年C組の担任は状況を示唆する。
核心に迫る言葉。
しかし、肝心の輝明はほとんど表情を変えずに応えた。
「ああ。周囲を見渡していたら、おまえ達だけが動いていたからな。悪いが、後をつけさせてもらった」
「なっ……」
拓也達が大会会場を出た時から、後をつけられていた。
拓也と綾花、そして、1年C組の担任と汐にも気づかれることもなく、尾行されていたという事実。
綾花は途中で気づいたが、それは目の前にまで迫っていた状況下で察知したことだ。
その不可解な現象に、拓也は寒気を覚える。
「どういうことだ。そもそも、今は魔術を使える舞波と陽向くん、魔術の知識が使える黒峯蓮馬さん、そして、その近くに居た俺達以外は時が止まっているはずだろう」
「ううっ……」
鞄を握りしめていた綾花が、隣に立つ拓也の囁きでさらに縮こまる。
綾花は躊躇うように不安げな顔で言葉を続けた。
「輝明くんも、何らかの魔術に関わっている家系の人なのかな?」
「ーーっ」
「……ダーリン。あの子も、魔術に関わっている子なの」
付け加えられた言葉に込められた感情に、さしもの1年C組の担任と汐も微かに目を見開いた。
「阿南輝明さんは、この状況について、どこまで知っているんだ?」
「何も分からないな。気が付いたら、観客席で僕だけが動いていた」
「……そ、そうなんだな」
静かな言葉に込められた有無を言わせぬ強い意思。
輝明の凛とした声に、拓也はどう応えたらいいのか分からず、たじろぐ。
どうすれば、この状況を説明できるのか。
拓也が考えて思いついたのは、平凡極まりないものだった。
「俺達も、この時間が止まった現象について、よく分かっていないんだ」
「……たっくん」
必死としか言えない眼差しで、輝明から視線を逸らす拓也を見て、綾花はすぐに拓也の嘘を見抜く。
今、綾花は麻白ではなく、観客席にいた少女に姿を変えている。
拓也は麻白のサポート役だが、輝明が知らない可能性がある。
拓也は敢えて詳しい事情を話さず、言葉を一部、濁していた。
「ただ、この現象の原因が、魔術の影響だということは分かっている」
「魔術……?」
その衝撃的な事実を突きつけられ、輝明の表情が僅かに驚きを滲ませる。
「そして、この子を、あの警備員達が狙っているんだ」
「……その子を?」
「……うん」
咄嗟の機転で、綾花は辿々しくも沈痛な面持ちで頷いた。
「私、あの人達から狙われているの」
「狙われている? 時を止めているーーこの現象を引き起こした者とその子が何か、密接に関わっているのか?」
到底、聞き流せない言葉を耳にした輝明は、虚を突かれたように瞬く。
拓也は心中、聡明な輝明に舌を巻きながらも、徹頭徹尾、綾花のために行動を起こす。
「もし、よろしければ、力を貸してくれませんか? 俺達、この子を、あの警備員の人達から守りたいんです」
「……っ」
輝明は訝しそうに、協力を仰いだ綾花達の真偽を確かめる。
「信用に値しないな。おまえ達の発言には、どこか詭弁を感じる。何か知られたら都合の悪いことを伏せているんじゃないのか?」
「ーーっ!」
輝明の鋭い指摘に、拓也は思わず、息を呑んだ。
「綾花、大丈夫だ」
「……うん」
拓也は顔を曇らせながらも、心細そうにしている綾花の手を取る。
柔らかな彼女の温もりを感じながら、拓也は乱れていた呼吸を何とか落ち着かせた。
「魔術の影響だと言っていたな。この現象を引き起こした者は何者なんだ? 何か、僕には言えない事情でもあるのか?」
そこで、輝明が核心に迫る疑問を口にする。
まるで拓也の心を読み、その先を推測するような受け答えに、拓也は血の気が引いていた。
「話せないことなら、話せることだけは全て明示してほしい」
「ーーっ」
輝明の重ねての問い掛けに、拓也は観念したように息を吐いた。
1年C組の担任と汐に周辺の警戒を頼むと、拓也は重い口を開く。
「少し長い話になりますが、大丈夫ですか?」
「ああ」
輝明に促されて、拓也はこれまであった出来事を如実に示す。
綾花と進とあかりと麻白、四人の関係に関わる重要な内容。
あかりと麻白が、魔術で生き返ったという出来事。
そのことは伏せながら、拓也は魔術で引き起こされた全貌の記憶を綾花とともに辿る。
全容が明らかになるにつれ、輝明の表情が次第に強張っていった。
「……なるほどな」
拓也が語り終えた内容を、輝明は改めて咀嚼する。
「いいだろう」
挑発的な言葉なのに、少しも笑っていない。
拓也の隠しようのない余裕の無さに、輝明は短く息を吐いた。
「魔術と魔術の知識の使い手か。どのくらいの実力者なのか、確かめてやる」
「ーーっ」
その捉えどころのない意味深な言葉を聞いて、拓也は身構えるように拳を震わせる。
「輝明くん、ありがとう」
しかし、綾花は嬉しそうに輝くような笑顔を浮かべた。
「ううっ……。でも、この扉、簡単には開きそうになさそうだよ」
そのいかにも硬そうなセキュリティの施された扉を見上げて、綾花はすぐ近くの1年C組の担任を窺い見る。
「心配するな、瀬生。今回の作戦の前に、布施が舞波に頼んで創り出してもらった魔術道具がある」
「魔術道具?」
綾花の言葉に、1年C組の担任は険しい表情のまま、人差し指を立てて言った。
「前に使った、どんな扉や壁でも破壊するという魔術道具だ。本来、布施は舞波に、扉などに施された『セキュリティシステム』を解除する魔術道具を頼んでいたようだが、やはり舞波が『セキュリティシステム』というものが分からなかったため、前回と同じ魔術道具になってしまったらしい」
「そうなんだね」
驚きの表情を浮かべる綾花の様子に、1年C組の担任は額に手を当ててため息をつくと朗らかにこう続ける。
「もっとも、私達が救出した後、舞波は壁を破壊するために、この魔術道具を何度も使用していたがな」
「……舞波くんらしいね」
綾花が困り果てたようにため息をつこうとしたところで、通路の奥から誰かの声がした。
「いたぞ、あの少女だ!」
その時、警備員のかけ声に合わせて、さらに数名の警備員達が、綾花達の後ろから駆け込んでくる。
警備員達の追手に対して、1年C組の担任がとった行動は早かった。
「せんーーふわわっ!」
動きの鈍い綾花を抱きかかえ、1年C組の担任は通路の床を蹴った。
そして一度、前に出て、魔術道具で強固な扉を破壊した後、後ろに引いて加速。
その見え透いた挙動に、警備員達は完全に反応が遅れた。
「ーーま、待て!」
それでも、綾花に手を伸ばそうとした警備員の一人は、次の瞬間、綾花を片手で抱きかかえ直した1年C組の担任に、その場で縦に一回転させられた。
「……なっ」
あまりに自然すぎて回転させられた警備員も、他の警備員達も何が起きたのか分かっていない。
「行くぞ、井上、瀬生、汐、それに阿南でいいのか」
「あ、ああ」
1年C組の担任の機敏な動きに呼応するように、輝明は頷いた。
呆然とする警備員達を尻目に、1年C組の担任は綾花を抱えたまま、拓也達とともに地下駐車場へと向かったのだった。




