第十七章 根本的にゲーム仲間は案外、近くにいる
ーーその瞬間、交わらないはずの二人の世界が重なった。
少女はパーカーとシューズに、フレアスカートを合わせて着ていた。
銀色の髪はツーサイドアップに結わえており、アースダウンハットの帽子を被っている。
ツーサイドアップを揺らしながら、小柄な身体にあるまじき膂力でコントローラーを操作している。
対峙するのは、明るい色の髪の少年。
手にしたコントローラーで彼女の初撃を受け止めるも、予想以上の衝撃によろめく。
ガキンという音と、肩が軋むような重い衝撃。
紙一重でクリティカルヒットを避けた少年は即座に力の方向をそらし、連携技を発動させる。
ほぼタイムラグなしで発動させた連携技。
逆手に持った剣にのせて放った一閃が、銀色の髪の少女が操作しているーーカスタマイズしたのだろうか、まさにペンギンのようなフードを被った小柄な少女のキャラを襲う。
だが、少女はそれを正面から喰らい、金色のダメージエフェクトを撒き散らしながら、なおも執拗に剣を振るった。
「ーーっ」
予測に反した動きに、少年は一撃を甘んじて受けてしまう。
油断したーー。
そう思った時には、既に少女は連携技を発動させていた。
剣による嵐のごとき斬撃にーーしかし、少年はあえて下がらずに前に出た。
「ーーっ!」
少年の操作しているーー同じくカスタマイズした騎士風の男性キャラの突き入れた剣が、少女のキャラが振るう剣を押しとどめた。
剣を振り払おうとする彼女の剣の動きに合わせ、少年は絶妙な力加減でさらに少女のキャラへ肉薄する。
剣と剣のつばぜり合い。
コントローラーを持ち、ゲーム画面を睨みつける銀色の髪の少女を横目で見つめながら、明るい色の髪の少年は不意に不思議な感慨に襲われているのを感じていた。
ゲーム画面内で、月をバックにたたずむのは、西洋風の雰囲気を全面に醸し出した巨大な城。
夜空を切り裂く月光が、対峙する二人のキャラを照らしている。
ここは、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会、決勝の舞台だった。
明るい色の髪の少年は、『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステム内でいつも上位を占める、誰もが認める最強プレイヤーだ。
対する銀色の髪の少女は、モーションランキングシステム内ではまだ無名だが、明るい色の髪の少年に匹敵する力を持っているように思われた。
ーー強い。
ーー面白い。
言い知れない充足感と高揚感に、少年は喜びを噛みしめると挑戦的に唇をつりあげた。
「ーー君、面白いな。だけど、これまでだ」
「そんなはずないだろう!」
交わした言葉は一瞬。
挑発的な言葉のはずなのに、少年と少女は少しも笑っていない。
お互いの隠しようもない余裕のなさに、背後で彼女を見守っていたーー帽子を目深まで被り、眼鏡をかけた少年は軽く首を傾げるとため息をつく。
あっという間に離れた二人は、息もつかせぬ攻防を展開する。
少女のキャラが繰り出す目にも留まらぬ斬撃は硬軟織り交ぜた少年のキャラの剣さばきにほとんど防がれ、連携技を駆使した少年のキャラの絶妙な攻撃は少女のキャラの軽快なステップのもとになかなか決定打を生み出せない。
『チェイン・リンケージ』のプレイヤーはもとより、大ヒットゲーム初の公式大会ということで興味本位にのぞきにきた観客を前に、少年と少女は果てのないバトルを繰り広げていた。
ーーだが、何事にもいつかは終わりがやってくる。
「おい、綾花。偽名だとバレたみたいだ」
背後で黒コートに身を包んだ怪しげな格好をした少年と何やらやり取りをしていた帽子を被った少年が、焦ったように少女の方に歩み寄ってくるとそっと耳打ちした。それから、一言付け加える。
「行くぞ」
唐突な言葉に、少女は名残惜しそうな顔で明るい色の髪の少年に向き直るとこうつぶやいた。
「あっ、悪い。決着はまた、この次な」
「それはどういう意味だ?」
「…‥…‥言えないんだ。俺の方で、いろいろと事情があって」
「なっーー」
なんだ、それは、そう続けようとした少年の目の前で、
「ーーやばい、行くぞ」
黒コートの少年の合図に咄嗟に帽子を被った少年は焦ったように少女の腕を掴むと、彼女とともに大会会場から逃げるように去っていった。
「ーーは?」
不可解な現象と不自然な少女の行動に、明るい色の髪の少年は思わず目を見開く。
一拍の静寂の後、
『おっと、ここで運営側から、偽名登録による宮迫琴音選手の失格が発表されたぞ!よって、第一回公式トーナメント大会の優勝者は布施尚之だ!!』
実況のかん高い叫び声が耳に飛び込んできた。唖然とした表情で観戦していた観客達は再び、歓声を響き渡らせる。
だが、少年はそのどれも見聞きしていなかった。
不可解で不自然な勝利。
一方的な反則負けによる勝利。
一転して混沌と化す現実に、少年はーー尚之は呆然と立ち尽くす。
「 …‥…‥よ、よお、兄貴。やったな 」
不意に、背後から声をかけられる。
振り返ると、弟の元樹が手を上げて屈託なく笑っていた。
だが、どこか歯切れの悪い台詞に、 尚之は眉をひそめる。
「何か知っているのか?元樹」
「いや」
「知っているんだろう」
元樹にあっさりとそう言われても、尚之は気にすることもなく思ったことを口にする。
どう言ったものかと元樹が悩んでいると、不意に尚之の携帯が鳴った。
尚之が携帯を確認すると、彼女になったばかりの茉莉からのメールの着信があった。
『布施先輩、優勝、おめでとうございます。布施先輩はゲームも強いんですね。すごくかっこよかったです。でも、あの女の子は何で出ていったのかな』
茉莉らしいカラフルな内容に、尚之は思わず苦笑する。
そして、「ありがとう」と返信すると、尚之は元樹を再度、見遣り、こう続けた。
「宮迫さんはおまえの知り合いか?」
「はあ?」
「宮迫さんはおまえの知り合いなんだな」
「ーーっ」
再度、図星を突かれて、元樹はぐっと言葉を呑み込む。
「やはり、そうか」
元樹の反応に、尚之はふっと息を抜くような笑みを浮かべる。
「なら、宮迫さんはどこの誰だ?」
「…‥…‥悪い、兄貴。言えない」
「あのような消化試合で勝っても、僕は嬉しくない」
「ごめんな!どうしても言えないんだ!」
尚之に重ねて問いかけられても、元樹は両手を握りしめ、一息に言い切る。
無造作に言って踵を返した元樹に、尚之は咄嗟に口を開いた。
「また、やろう!そう、彼女に伝えてくれないか!」
必死としか言えないような眼差しを向けてくる尚之に、元樹は何も答えずに大会会場を後にした。
「えっ?布施くんのお兄さんと再戦?」
翌日の放課後の渡り廊下にて、元樹から思いもよらない言葉を告げられて、綾花はただただぽかんと口を開けるよりほかなかった。
「ああ。兄貴がどうしてもって譲らないんだよ」
元樹は校庭を背景に視線をそらすと、不満そうに肩をすくめて言う。
「そうなんだ」
「うむ。しかし、まさか、あんなにあっさり、運営側に偽名だとバレるとはな」
綾花がそうつぶやくのを横目に、昂は腕を組むと不服そうにぼやいた。
「絶対にバレないと言っていたのは、どこのどいつだ?」
「我にも計り知れないことがあるのだ」
「それに何だ、あの格好は?帰りに、警備員から職務質問されたぞ!」
拓也が低くうめくように言うと、昂は緊張感に欠けた声で続けた。
「我の正装だ!」
「おい!」
抗議の視線を送る拓也に、昂は得意げに腰に手を当ててみせる。
「ごめんね、みんな」
そんな中、小声で謝ってきた綾花に、拓也はわずかに眉を寄せた。
「何がだ?」
後ろ手に組んだままの綾花が、隣に立つ拓也の言葉でさらに縮こまる。
綾花は躊躇うように不安げな顔で言葉を続けた。
「…‥…‥昨日は、私のわがままに付き合わせちゃってごめんね」
「ああ、何だ。そのことか」
一点の曇りもなくぽつぽつとつぶやく綾花に、合点がいったようにまるで頓着せずに拓也は言った。
「気にするな。上岡の家に行った時、ゲームの大会のトロフィーが置かれていたからな。きっと今回の大会も、綾花は参加したいのだろうなって思っていた」
綾花の言葉に、拓也はあくまでも真剣な表情で頷いた。
すると、昂がムッとした表情を浮かべて拓也に対抗するように、きっぱりと綾花に告げた。
「進、かっこよかったのだ!」
「ありがとう、舞波くん」
昂が両拳を突き出して力説すると、綾花は嬉しそうにはにかんでみせた。
「それにしても、上岡はゲームが本当に得意なんだな」
「そ、そうかな?」
話題を変えるように一転して元樹が明るい表情で言うと、綾花は目をぱちくりと瞬いた。
照れくさそうに視線を俯かせる綾花に、元樹は意図的に笑顔を浮かべて言う。
「ああ。まさか、兄貴と互角にまで渡り合える実力とは思わなかった」
「…‥…‥ありがとう、布施くん」
穏やかな表情で胸を撫で下ろす綾花を見て、元樹も胸に滲みるように安堵の表情を浮かべる。
そんな二人のやり取りの中、昂は顎に手を当て思案し始めた。
「うむ。我もまさか、進と互角に渡り合える強者がいたとは思わんかった」
きっぱりと言い切った昂を見据えて、拓也は意外そうに声を返す。
「そういえば、何故、おまえは参加しなかったんだ?」
「何を言う?我では進には勝てぬ。それに綾花ちゃんのサポートをした方が、綾花ちゃんの好感度アップへのアピールになるではないか」
「…‥…‥おい」
拓也が非難の眼差しを向けると、昂はきっぱりと異を唱えてみせた。
ことあるごとにぶつかる二人をよそに、綾花は幾分、真剣な表情で元樹に声をかけた。
「…‥…‥あのね、布施くん。私、布施くんのお兄さんの挑戦、受ける!」
「おい、綾花!」
「うっ…‥…‥。だって、別れる前に約束したもの。また、次にしようね、って」
拓也が厳しい表情で綾花を見ると、綾花はほんの少しむくれた表情でうつむき、ごにょごにょとつぶやく。
相変わらずズレたことを口にする綾花に、拓也は思わず頭を抱えたくなった。
「再戦…‥…‥か」
「…‥…‥やっぱり、ダメかな」
口調だけはあくまでも柔らかく言った拓也に、綾花はおずおずと不安そうな表情を向ける。
拓也はもはや諦めたように息をつくと、空を見上げながら言う。
「…‥…‥分かった」
「えっ?」
その言葉に、綾花は驚いたように目を見開いた。
拓也は綾花の両手を取ると、淡々としかし、はっきりと言葉を続ける。
「だけど、『宮迫琴音』としてだ。絶対に、綾花だとバレないようにすること。いいな?」
「…‥…‥うん、ありがとう、たっくん」
綾花がぱあっと顔を輝かせるのを見て、拓也は思わず苦笑してしまう。
その暖かな手のぬくもりを感じながら、拓也は元樹に視線を移した。
「元樹、そういうことだから、今回も俺が付き添っていいか?」
「ああ。悪いな、恩に着る」
何のてらいもなく言う拓也に対して、元樹は片手を掲げると感謝の意を示した。
そんな中、昂が断言するようにきっぱりとこう告げる。
「綾花ちゃん、大船に乗ったつもりで、我に全てを任せるべきだ!」
「おまえは軽はずみの行動をしそうだからダメだ!」
「むっ!そんなことないではないか!」
だが、あっさりと拓也から無情な言葉を投げかけられ、昂は動揺をあらわにして叫んだ。
綾花と拓也と昂と元樹。
奇妙な四角関係の四人の共同作戦が、こうして再び、幕を開けたのだった。