第三十ニ章 根本的に彼らを待つ
「だけど、元樹。明日、どうやって玄と大輝に会うつもりだ?」
「ーーああ。だけど、それを説明する前に、綾」
拓也の疑問に、一旦、言葉を途切ると横に流れ始めた話の手綱をとって、元樹が鋭く目を細めて告げた。
「試しに、上岡として振る舞ってくれないか?今の綾が、上岡として振る舞った時、どうなるのかを確認しておきたいんだ」
核心を突く元樹の言葉に、綾花は思わず目を見開く。
今の綾が、上岡として振る舞った時、いつもと変わらないのかーー。
恐らくそれが今、この場で最も重要なことだろう。綾が、上岡として振る舞うことで、もしかしたら魔術の進行を遅らせることができるかもしれない。
元樹の言葉に、綾花は複雑そうな表情で視線を落とすと熟考するように口を閉じる。
少し間を置いた後、綾花は顔を上げると真剣な眼差しでこう言った。
「うん、やってみる」
「なっ、綾花、上岡として振る舞えるのか?」
「今はあかりに憑依していないから、多分、大丈夫だと思うのーー」
拓也の言葉に綾花がそう答えた途端、麻白の姿をした綾花の表情は先程までのほんわかとした綾花の表情とはうって変わって、進のそれへと変わっていた。
「今の状態でも、上岡として振る舞えるんだな」
「ああ、大丈夫みたいだ」
元樹があっけらかんとした口調で言ってのけると、綾花はてらいもなく頷いてみせる。
そんな綾花に対して、元樹は何気ない口調で問いかけた。
「なあ、綾。今も、麻白の記憶と心が混雑している状態なのか?」
「いや、俺のーー進としての自覚の方が強いかな」
「……やっぱりな」
意外な状況に少し困惑気味な綾花に対して、元樹はあくまでも真剣な表情で頷いた。
「上岡として振る舞っている状態の綾なら、魔術の影響ーー麻白の心の影響を受けない」
「ーーっ!」
「むっ!」
元樹が口にした思いもよらない事実に、拓也と昂は不意をうたれように目を瞬く。
「……なるほどな。陽向くんの魔術は、舞波の魔術と同じように万能ではない。だからこそ、舞波の魔術と同じように、何かしらの対処法があるのか」
「ああ。例えば、今回のように、綾が上岡として振る舞えば、魔術の影響を受けないとかさ」
拓也が戸惑ったように訊くと、元樹は静かにそう告げて、顎に手を当てて真剣な表情で思案し始める。
「明日、上岡が雅山に憑依するのは夕方からだ。それまでは、綾には上岡として振る舞ってもらおうと思う。そうすれば、綾が魔術の影響を受けて、黒峯蓮馬さんのもとに行ってしまう心配もないからな」
「そうだな。明日の土曜日は学校が休みだから、星原達に会うこともないしな」
「うむ、我は退学になったことで、毎日が休みだ。何の問題もない」
元樹の提案に、拓也と昂は納得したように頷いてみせた。
気持ちを切り替えるように、元樹は深々とため息をついて続ける。
「綾、陽向くんが入院している病院は遠いのか?」
「いや、俺のーー麻白のマンションの近くだったはずだ」
「麻白のマンションの近くか。玄と大輝に会うことも、陽向くんに会うことも、黒峯蓮馬さん達の妨害を受けやすいな」
綾花が麻白の記憶を頼りにそう告げると、元樹は悔しそうにつぶやいた。
「綾、この携帯で、玄と大輝に連絡を取ってくれないか?」
「これって……」
元樹の率直な言葉に、綾花は目を瞬かせて、鞄から取り出された携帯を受け取る。
「ああ。麻白の携帯だ」
「ーーなっ」
それは拓也にとって、予想しうる最悪な答えだった。
「おい、元樹ーー」
戸惑いの声を上げる拓也の台詞を遮って、元樹はきっぱりと告げた。
「麻白からの連絡なら、玄と大輝は応えてくれる。俺はそう信じているからな」
「ーーっ」
元樹の即座の切り返しに、拓也はぐっと悔しそうに言葉を詰まらせる。
綾にーー麻白に関する真相を知った玄と大輝。
確かに麻白からの連絡なら、突然の誘いであっても、玄と大輝は会いに来てくれるかもしれない。
だが、それが元で、黒峯蓮馬さん達に俺達の居場所を知られてしまうのではないだろうか。
拓也の思考を読み取ったように、元樹は静かに続けた。
「危険な行為かもしれないが、玄と大輝に協力を求めるためには、麻白からの連絡が効果的だと思う」
「ーーっ」
昨日の企業説明会から極大まで広がった問題に、拓也は絶句する。
突拍子のない出来事。
だが、それは当たり前のように、拓也達の目の前で起きている。
拓也は改めてその異常さに身震いすると、以前、綾花から送られてきたメールに添付されていた画像を見た。
無邪気に笑いながら、ペンギンのぬいぐるみを掲げて喜んでいる幼き日の綾花の姿。
両手で掲げたペンギンのぬいぐるみが、とてもいじらしいと思った。
そして、その隣に写っていたのは、一見、どこにでもいるような普通の少年だ。
ペンギンのぬいぐるみを抱えた綾花の隣で、同じ年頃の少年ーー幼い頃の進が明るい顔で右手を振っている。
その後ろでは、車椅子に乗った、海のように明るく輝く瞳をした少女ーーあかりと、赤みがかかった髪の少女ーー麻白がきょとんとした顔で綾花達のことを見つめていた。
写真は、昂の魔術を使っての合成写真だった。
幼い頃の綾花と進、そして、あかりと麻白が一緒に写っているという実際にはあり得ない光景だ。
綾花から送られてきたメールに添付されていた画像をぼんやりと見つめていた拓也の脳裏に、昨日の企業説明会で起こった出来事が蘇る。
黒峯蓮馬さんと陽向くん達による全校生徒への洗脳。
そして、魔術による綾花のーー麻白の争奪戦。
恐らく、これからも同じようなことが起こるだろう。
黒峯蓮馬さん達が、綾花達の存在を認めるまではーー。
「俺はーー俺達は、何があっても、綾花を護ってみせる」
拓也は携帯を握りしめると、あくまでも真剣な表情で頷いた。
「ああ。俺も、これから出来る限りの対策を練ってみるな。まあ、まずは部長に、明日の部活を休むことを伝えてからだな」
部活に遅れることを伝え忘れていたせいで、ひっきりなしに届く部長からの催促のメールに、元樹は辟易する。
昂は得意げにぐっと拳を握り、天に突き出して高らかに言い放った。
「うむ。今度こそ、我の魔術で、黒峯蓮馬と黒峯陽向を返り討ちにしてくれよう。そして、綾花ちゃんを護ってみせるのだ!」
「ああ。ありがとうな、井上、布施、昂」
拓也と元樹と昂の何気ない励ましの言葉に、綾花は嬉しそうに笑ってみせる。
寝静まったような静寂の世界で、綾花と上岡が一度、時間が止まってしまった少女達の想いを紡ごうとしているのなら、俺達がすることは決まっている。
俺はーー俺達は何があっても、綾花を護ってみせる。
拓也は薄暗くなった空で見えなくなった太陽に向かって、どこまでも手を伸ばしたのだった。




