第三十章 根本的に一つになる心 ☆
「何故だーー!何故、こんなことになったのだ!!」
1年C組の担任によって職員室に連行された昂は、頭を抱えて虚を突かれたように絶叫していた。
まさに、昂の心中は穏やかではない状況だった。
視界に映るのは、高校二年生までの自身の単位取得証明書と通信制高校の編入試験を受けるための書類だ。
1年C組の担任に見張られながら、昂は心底困惑しながら一心不乱にシャーペンを動かし続けていた。
「我の魔術を駆使して、黒峯陽向と黒峯蓮馬達を退けたはずだ。それなのに何故、我は今、先生に見張られながら、退学の手続きなどをさせられているのだ。我は、綾花ちゃんと一緒に、放課後のひとときを満喫したかったというのに」
そう叫びながら、昂は隅々まで書類を凝視する。
昂は書類をめくると、さらに不満そうに眉をひそめてみせた。
「我は、綾花ちゃんに会いたいのだ。今すぐ、会いたいのだ。…………むっ、まてよ」
そこで、昂ははたとあることに気づく。
「もうすぐ、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第四回公式トーナメント大会のチーム戦があるではないか!先生、このようなことをしている場合ではないのだ!我は今すぐ、綾花ちゃんに会いに行かねばならぬ!」
「…………舞波、今がどういう状況なのか、分かっているな?」
昂が不服そうに機嫌を損ねていると、書類の記入箇所を指示していた1年C組の担任が大した問題ではないように至って真面目にそう言ってのける。
あくまでも淡々としたその声に、昂はおそるおそる声がした方を振り返った。
「……ど、どういう状況だと言うのだ?」
「今日で懲戒退学処分だ!」
昂の言葉を打ち消すように、1年C組の担任は机を叩くときっぱりとそう言い放った。
「先生、何故、この我が退学などという処分を下さらねばならんのだ!」
「それだけのことをしたからだ!」
昂の悲痛な叫びに、1年C組の担任はあくまでも事実を突きつける。
それは昂が入学して以来、すっかり職員室の日常茶飯事と化したおなじみの光景ーー。
しかし、その光景も、これからは放課後の生徒指導室でしか見られない。
明日からは、放課後の時間までは平穏な学校生活が始まる。
そのはずだったーー。
「ひいっ!こ、校長先生、我の退学処分を取り消してほしい!!否、今すぐするべきだーー!!」
「舞波くん。君は退学処分になっても、その態度なのかね?」
必死に助けを求めてきた昂の懇願に、校長は全身から怒気を放ちながら、昂を睨みすえる。
その声は、言葉とは裏腹に、いっそ優しく、職員室に響いたのだった。
翌朝、拓也がいつもの駅ではなく、綾花のマンションの前で綾花を待ち構えていると、マンションの入口から小さな人影が飛び出してきた。
マンションの前だというのに、綾花は人目もはばからず、拓也に勢いよく抱きついてくる。
「たっくん、おはよう」
「おはよう、綾花」
太陽の光に輝くサイドテールの黒髪を揺らして柔らかな笑みを浮かべた綾花を目にして、拓也は思わず苦笑する。
「今朝、元樹と相談した結果、放課後、いつもの校舎裏で今後の話し合いをすることになったけれど、大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」
「本当か?昨日、星原達の対応にかなり困っていたみたいだったけどな」
拓也は咄嗟にそう言って表情を切り替えると、面白そうに綾花に笑いかけた。
指摘された綾花は思わず赤面してしまう。
「……ううっ、そんなことないもの」
「……冗談だ」
「……うっ、たっくんの意地悪」
そう言ってふて腐れたように唇を尖らせる綾花の頭を、拓也は優しく撫でてやった。
いつもと同じように、拓也と綾花は列車に乗ると学校近くの駅で降り、ホームを通って改札口を出る。
そして、学校に着くと正門から校舎まで歩き、昇降口から教室へと向かう。
「……たっくん、あのね…………っ、ううっ」
しばらく拓也と二人で歩いたことで機嫌を直していた綾花だったが、不意に苦しそうに頭を押さえ始めた。
立っているのも辛そうな綾花のもとに駆け寄ると、拓也は必死な表情で焦ったように言う。
「綾花、大丈夫か!」
「う、うん、大丈夫だよ」
ぎこちなくそう応じる綾花の様子に目を瞬き、首を傾げながら、拓也は先を続ける。
「どういうことだ?今日はまだ、上岡は雅山に憑依していないだろう?」
「……う、うん」
不思議そうに目を瞬かせる綾花をよそに、拓也は顎に手を当てて真剣な表情で思案し始める。
今日、上岡が雅山に憑依するのは、ニ限目の授業の時間帯からだ。
それなのに何故、今、頭痛が起きたんだろうか?
ふと、昨日の企業説明会で起きた出来事を思い出して、嫌な予感が拓也の胸をよぎった。
やっぱり、この頭痛の現象はおかしいのではないかーーと。
とにかく、教室に入ったら、元樹に相談するしかないな。
苦痛の表情を浮かべる綾花を支えながら、拓也は漠然と消しようもない不安を感じていたのだった
「えっ?オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第四回公式トーナメント大会のチーム戦の前に、玄と大輝と話し合うの?」
放課後の渡り廊下にて、元樹から改めて、思いもよらない言葉を告げられて、綾花はただただ、ぽかんと口を開けるよりほかなかった。
綾花はあれから持ち直して、いつものように進のあかりへの憑依を終えている。
二回、頭痛があったことが嘘のように、綾花はほんわかな表情を浮かべていた。
「ああ。昨日も話したんだけど、これから先、玄と大輝の協力は必要不可欠だと思うんだよ」
元樹は校庭を背景に視線をそらすと、不満そうに肩をすくめて言う。
「そうなんだ」
「うむ。しかし、まさか、黒峯玄と浅野大輝に協力を求めなくてはならぬ日が来るとはな」
綾花がそうつぶやくのを横目に、『対象の相手の元に移動できる』魔術を使って、即座に綾花達の会話に加わってきた昂は腕を組むと不服そうにぼやいた。
「はあ……」
拓也は当たり前のように居座っている昂と、突飛な行動すらも慣れ親しんでしまった自分自身に辟易する。
「……おまえ、今日からは生徒指導室で、先生による指導を受けているんじゃなかったのか?」
拓也からの当然の疑問に、退学になったはずの昂は人差し指を拓也に突き出すと不敵な笑みを浮かべて言い切った。
「何を言っている?そんなもの、我が綾花ちゃんに重大な用事があるから少しの間だけ待ってほしい、と先生に土下座して頼み込んだからに決まっているではないか!」
「……それは、自慢することじゃないだろう」
昂の言葉に、拓也は呆れたように眉根を寄せる。
「そんなことよりも、綾花ちゃん。我は昨日、退学の手続きなどをした後、黒峯蓮馬達の動向について、いろいろと調べてみた。すると、なんと、とんでもないことが分かったのだ!」
「……うっ、とんでもないこと?」
昂が己を奮い立たせるように自分自身に対してそう叫ぶと 、綾花は躊躇うように不安げな顔でつぶやいた。
「うむ。今回、我の父上が勤めていた会社に、綾花ちゃんが採用されたであろう。我なりにあの後、黒峯蓮馬達が住んでいるマンションに潜入捜査をしながら、黒峯蓮馬の動向を探ってみた。ーーすると、警備員達によって、すぐに捕まってしまったのだ!」
「……おい」
昂のその言葉に、拓也は呆れたようにため息をつく。
そこで、元樹は昂の台詞の不可思議な部分に気づき、昂をまじまじと見た。
「だけど、警備員達に捕らえられたのに、よく戻ってこれたな?」
「……うむ。絶体絶命の危機の中、『対象の相手の元に移動できる』魔術を駆使して、かろうじて逃げ延びてきたのだ」
元樹から問われて、昂は意を決したように息を吐くと、必死としか言えない眼差しを綾花に向ける。
その言葉が、その表情が、昂の焦燥を明らかに表現していた。
「それほど危険に晒してまで手に入れてきたーーそのとんでもない情報っていうのは何なんだ?」
「むっ、そうだったのだ!」
探りを入れるような元樹の言葉に、昂の顔が強張る。
「綾花ちゃん、落ち着いて聞いてほしい!」
そう前置きして、昂から語られたのは、綾花達の想像を絶する内容だった。
「何でも、綾花ちゃんを完全に麻白ちゃんにすることができる魔術書が見つかったらしい。どのような魔術なのかまでは分からなかったが、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第四回公式トーナメント大会のチーム戦の時までに、徐々に実行へと移していくようなのだ!」
「なっ!」
「ーーっ」
あまりにも衝撃的な新事実を突きつけられて、拓也と元樹は息を呑んだ。
どこまでも激しく降る雨が、綾花達の脳内で弾ける。
綾花を麻白にするーー。
その絶体目的のためだけに、玄の父親は動く。
綾花達がどれだけ訴えても、どれだけ拒み続けても、いつか来る未来には抗えないというように、玄の父親はあらゆる策を仕向ける。
だからこそ、そのような魔術書が存在するはずもないーーとは決して言えなかった。
何故ならーー。
「……私を、完全にあたしにする魔術?だけど、あたし、麻白だよ?」
「おい、綾花!」
「綾!」
「綾花ちゃん!」
綾花が咄嗟に口にした疑問が、どうしようもなくそれを証明する。
「綾花、しっかりしろ!」
拓也は隣に立っていた綾花を強引に自分の方に振り向かせると、両肩をつかんで何度も揺すった。
綾花だろうーーその言葉を飲み込んで、拓也は再度、綾花と向き合う。
「……あれ?私、今、変なこと、言っていた」
一転して、綾花の話し方が元に戻る。
その途端、まるで麻白の心が溢れ出してしまったかのように、綾花は涙を浮かべて頭を押さえた。
「私は……俺は……あたしは……」
きりきりと痛む頭を押さえながら、綾花は必死に綾花と進としての自我を保とうとする。
そんな綾花の様子を見て、元樹は拳を握りしめて言った。
「……玄と大輝とは、早めに接触した方がいいかもな。とにかく、綾の心に侵食している魔術を止めるためにも、玄と大輝の協力を得て、陽向くんが入院している病院に赴く必要がありそうだ」
導き出された結論に、元樹は静かに眉をひそめたのだった。




