第ニ十章 根本的に彼女の願いが叶うように
「舞波くん」
「昂」
「昂お兄ちゃん」
綾花と麻白、そして車椅子に乗ったあかりは、昂の帰りを待ちわびたように警察署の前に緊張して立っていた。互いに顔を見合わせた後、きゅっと唇を結んで、瞳をほんの少しだけ心配そうに曇らせて、昂を見上げている。
「…‥…‥舞波くんが、警察署から釈放されて良かった」
恥ずかしそうに顔を赤らめてもごもごとそうつぶやくと、綾花は持っていた袋を昂に差し出してきた。
「これ、ペンギンさん型のカップケーキ。家に帰ったら、みんなで一緒に食べよう」
「私もデコレーション、頑張ったの」
「あたしも作るの、手伝ったんだよ」
綾花の言葉にかぶせるように、あかりと麻白もまた、顔を見合わせると幸せそうにはにかんだ。
それを聞いた昂は、不遜な態度で腕を組むと、きっぱりと言い放った。
「もちろんだ。我が、綾花ちゃんとあかりちゃんと麻白ちゃんが作ったカップケーキを受け取らないわけがないではないか!」
その言葉を聞いて、綾花とあかりと麻白はぱあっと顔を輝かせた。ほんわかな笑みを浮かべて、嬉しそうにはにかんでみせる。
「…‥…‥むにゃむにゃ、綾花ちゃんとあかりちゃんと麻白ちゃんが作ったカップケーキ、…‥…‥美味しいのだ」
「舞波昂くん。今がどういう状況なのか、分かっているのか?」
取調室の机に突っ伏したまま、至福の表情でうわごとのように何やらぶつぶつと漏らす昂に、うんざりとした顔を向けた後、気を取り直したように警察官達は鋭い眼差しで昂を睨みつけた。
「…‥…‥分かっているのだ。綾花ちゃん、あかりちゃん、麻白ちゃん、我も大好きだ。まさに、全ての綾花ちゃんが可愛いのだ」
「この少年はまた、同じことを繰り返す常習犯になりそうですね」
昂のたどたどしい寝言に、警察官達は全身から怒気を放ちながら、昂を睨みすえる。
その声は、言葉とは裏腹に、いっそ優しく、取調室に響いたのだった。
綾花と元樹とともに警察署を出た拓也は、綾花に振り返ると一呼吸置いて言った。
「綾花、舞波の件、一応、解決して良かったな」
「うん、たっくんと元樹くん、そして、舞波くんのお母さんのおかげだよ」
穏やかな表情で胸を撫で下ろす綾花を見て、拓也も胸に滲みるように安堵の表情を浮かべる。
すると両手を広げ、生き生きとした表情で綾花はさらにこう言う。
「たっくん、元樹くん、ありがとう!」
「ああ」
拓也が頷くと、綾花は嬉しそうに顔を輝かせた。
その不意打ちのような日だまりの笑顔に、元樹は思わず見入ってしまい、慌てて目をそらす。
「あ、ああ」
「舞波はしばらく、勾留されるみたいだから、たっぷり絞られるだろうな」
ごまかすように人差し指で頬を撫でる元樹をよそに、拓也も続けてそう言った。
少し間を置いた後、綾花は人差し指を立てるときょとんとした表情で首を傾げてみせる。
「ねえ、たっくん、元樹くん。今度、行われる企業説明会に陽向くんも来るのかな?」
「分からない。まあ、少なくとも、黒峯蓮馬さん達は確実に来るだろうけれどな」
探りを入れるような元樹の言葉に、拓也の顔が強張った。
「陽向くんまで企業説明会に来たら、俺達は完全に後手に回りそうだな」
「陽向くんは、麻白の味方だと思う。だけど、綾のーー俺達の味方ではない」
そのとらえどころのない陽向の行動の不可解さに、元樹は思考を走らせる。
「陽向くんが魔術を使っている時は、黒峯蓮馬さんは身を守る程度の魔術の知識しか使うことができない。この状況を上手く利用して、立ち回っていくしかないな」
「つまり、いつものように、綾花のそばで黒峯蓮馬さん達から護っていくっていうことか?」
呆気に取られた拓也にそう言われても、元樹は気にすることもなくあっさりとした表情で言葉を続けた。
「とにかく、舞波が新たに創った、この魔術道具で対策を練っていこう」
「そういえば、前にワゴン車ごと、瞬間移動させたけれど、その魔術道具はどんな効果があるんだ?」
「舞波が使える魔術を、俺達でも扱えるようにしてくれる魔術道具だ」
拓也の疑問に、元樹は記憶の糸を辿るように目を閉じる。
「ただし、舞波が近くにいないと発動しないけれどな」
「なっ、そうなのか!」
「ああ」
やや驚いたように声を上げた拓也に、元樹は少し逡巡してから答えた。
「何でも、舞波が、綾のために創った魔術道具みたいだけどな。本来なら、舞波の現象もこの魔術道具で解決したかったんだが、今、現在、舞波が使える魔術じゃ対処できなかったんだよ」
元樹は拓也達の方へ視線だけ向けて、世間話でもするような口調で言った。
「綾、舞波を元に戻してくれてありがとうな」
「…‥…‥う、うん。舞波くんが元に戻って良かった」
元樹の感謝の言葉に、綾花は持っている鞄に視線を向けると、恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「あのね、たっくん、元樹くん。この後、神社に寄ってもいいかな?舞波くんが、通信制の高校に編入できるようにお願いしたいの」
「そうだな」
「ああ。なら、部長にもう少し遅くなることを伝えておくか」
綾花の提案に、拓也と元樹は穏やかな表情を浮かべる。
陽光に輝く綾花の横顔は、まるで太陽のような喜びに満ちていた。
希望を溢れさせるその顔を見て、拓也と元樹はどこか切なさを感じてしまったのだった。
綾花達は近くの神社の手水舎で身を浄めると、石段を上がって、賽銭箱に小銭を投げ入れた。
鈴を鳴らし、頭を深く二回下げると、二回、柏手を打ち、目を閉じる。
「舞波くんが通信制の高校に編入できますように」
「綾花達の想いが、黒峯蓮馬さん達に伝わりますように」
「これからも、綾を護れますように」
綾花達三人、それぞれが別の願いを願った。
「たっくん、元樹くん、一緒に来てくれてありがとう」
「俺達も、綾花と一緒に来れて良かった」
「絶対に、これからも黒峯蓮馬さん達から護ってみせるからな」
拓也と元樹は諭すように語りかけると、綾花をそっと抱きしめた。
綾花は拓也と元樹の胸に顔をうずめて、肩を震わせる。
ふと拓也の脳裏に、海のように明るく輝く瞳をした少女ーーあかりと、赤みのかかった髪の少女ーー麻白の姿がよぎった。
綾花が四人分生きるということーー。
それは、綾花が四人分の人生を生きるということにも繋がる。
だけど、四人分生きているとはいえ、綾花達はあくまでも綾花一人だった。
綾花は綾花であり、上岡であり、雅山であり、そして麻白でもある。
時が廻り、季節が廻っても、この状況だけは変わらない。
変わるのは、彼女の心と彼女の周りの人々だけだーー。
それ以外は変わらない。
いや、決して変えさせない。
神社の方向へと視線を向けると、拓也は不思議と笑顔が零れた。
「私はーーいや、俺は今、すごく幸せだな」
「俺達も幸せだ」
「ああ」
途中で口振りを変えた、あくまでも進らしい綾花の言葉に、拓也と元樹は思わず、苦笑してしまう。
「あなたに降り注ぐ光の先には~!遠く果てない未来がいくつも交差している~!」
石段を降りた綾花は、振り返ると神社を見上げて歌を紡ぎ始めた。
『黄昏の中へと消えていく』
この世界にたった一つしかない麻白の歌は、やがてハーモニーを奏でるように、風と競いあうように響き合いながら、終わりの近づく夕焼け空に溶けていく。
いつまでもいつまでも、こんな幸せな日々が続いてほしいと拓也は思っていた。
けれど、どれだけ目を背けても、どれだけ逃げ続けても、いつか来る未来には抗えない。
だけど、その日、心温まるハーモニーを通して、綾花は大層満足そうな笑みを浮かべていた。
それはまるで、いつかみんなの願いが叶うように、と歌っているようだったーー。




