第十八章 根本的にみんなは彼女の笑顔が大好き
それはまだ、玄達が中学に入学する前の幼い頃の想い出。
授業中に先生から陽向が倒れたということを聞かされた玄達は、慌てて病室のドアを開けた。
「陽向!」
「陽向、大丈夫か!」
「陽向くん!」
「…‥…‥あっ、玄、大輝、麻白、久しぶり」
玄達が病室を訪れると、点滴を施されていた陽向はベッドから起き上がった。
真っ白で、でも無機質ではない、残酷なほどに穏やかな空気が流れる病室には、玄と大輝と麻白、そして陽向しかいない。
「元気そうだな」
陽向の反応に、大輝は満足そうに頷くと淡々と言う。
「だけど、あまり無理するなよな」
「あっ、大輝、照れている」
ランドセルを背負った麻白に指摘されて、大輝は振り返ると不満そうに眉をひそめる。
「麻白、俺は照れてないぞ。ただ、陽向の心配をしていただけだ」
「大輝は相変わらず、素直じゃなさすぎだよ」
「そんなことないだろう!」
麻白の嬉しそうな表情を受けて、大輝は不服そうに目を細めてから両拳をぎゅっと握りしめた。
「大輝らしいな」
笑ったような、驚いたような。
あらゆる感情の混ざった声が、玄の口からこぼれ落ちる。
少し間を置いた後、玄は陽向に向き直ると、ずっと思考していた疑問をストレートに言葉に乗せた。
「陽向はいつも本を読んでいるな」
「うん。本を読んだら、いつか玄達と一緒に遊べる気がするんだ」
「そうか」
憂いの帯びた陽向の声に、玄もわずかに真剣さを含んだ調子で穏やかに言葉を紡ぐ。
「本当に、玄達と一緒に遊べたらいいな」
「陽向くん。だったら、約束しよう」
問いにもならないような陽向のつぶやきに、麻白は信じられないと言わんばかりに両手を広げた。
「約束?」
「うん、玄、大輝、これからもずっと一緒!そして、陽向くんもずっと一緒!」
目を丸くし、驚きの表情を浮かべた陽向を見て、麻白は意味ありげに玄達に視線を向ける。
「そうだな」
「ずっと一緒か。悪くないよな」
「えっ?」
玄と大輝の言葉に、陽向は驚いたように目を見開いた。
玄はため息を吐きながらも、いつものように麻白の頭を優しく撫でる。
「麻白、俺達はこれからもずっと一緒だ」
「うん」
麻白がぱあっと顔を輝かせるのを見て、玄は思わず苦笑してしまう。
そんな中、大輝はそっぽを向くと、軽く息を吐いて言う。
「だから、陽向、無理するなよな」
「大輝は無理しそうだね」
「あのな、陽向!」
決死の言葉を陽向にあっさりと言いくるめられて、大輝は焦ったように訴える。
「玄、大輝、麻白、ありがとう」
陽向はその大輝の焦りようを見て、くすぐったげに笑ってしまった。
今もなお、幸せそうに唇を噛みしめている。
その幸せでかけがえのない日々は、これからも紡がれていくことになるのだろう。
玄達と一緒に。
これからも、玄達と一緒にいたいーー。
陽向は切にそう願ったのだった。
「はあっ?舞波が警察に逮捕された?」
綾花とともに少し遅れて登校してきた拓也から聞かされた昂が引き起こした騒動に、頭を悩ませながらも、元樹はとっさに浮かんだ言葉を口にする。
額に手を当てて呆れたように肩をすくめると、拓也は弱りきった表情で答えた。
「ああ。何でも綾花のマンションに居座って、迷惑行為を行っていたらしい」
「そうなのか?」
やや驚いたように首を傾げた元樹に、どうにも腑に落ちない拓也がさらに口を開こうとしたところで、綾花がおずおずと声をかけてきた。
「たっくん、元樹くん。舞波くん、大丈夫かな」
「心配するなよ、綾」
「えっ?」
元樹の言葉に、綾花は目をぱちくりと瞬いた。
視線をうろつかせる綾花に、元樹は意図的に笑顔を浮かべて続ける。
「舞波のことだから、警察に捕まってもうまいこと立ち回っていると思うな」
「…‥…‥うん、そうだよね。こういう時、舞波くんはいつも無類の力を発揮するもの」
「…‥…‥だから、困るんだ」
ほんわかな笑みを浮かべて思い出したように言う綾花をよそに、拓也は苦々しい顔で吐き捨てるように言った。
不意に、元樹はある事に気づき、少し声を落として聞いた。
「ーーなあ、拓也」
一旦、言葉を途切ると、元樹は鋭く目を細めて告げる。
「まずくないか?」
核心を突く元樹の言葉に、拓也は思わず目を見開く。
「このままだと、舞波は通信制の高校に転校する前に退学確定だ。前科がある舞波が、高校を中退後、通信制の高校に編入して高卒資格を得るのは難しくないか」
「…‥…‥分かっている」
拓也は複雑そうな表情で視線を落とすと、熟考するように口を閉じる。
通信制の高校に編入する際の審査には、書類選考、作文、面接がある。
そして、舞波が湖潤高校に在籍している間に起こした数々の問題、そして、今回の逮捕は、先生の奥さんが理事長だとはいえ、間違いなく編入時の審査に大きく影響してしまうだろう。
拓也は顔を上げると、神妙な面持ちでこう言葉を続けた。
「はあ…‥…‥。何で、あいつは後先を考えずに行動するんだろうな」
「ううっ…‥…‥」
拓也のその言葉に、綾花は悲壮感を漂わせるように教壇に視線を向ける。
「とにかく放課後、警察署に行ってみるしかないな。被害者である綾がいる状況なら、弁護士を通じて示談交渉が行えるかもしれない」
「あいつの場合、綾花のマンションに通っていた常習性があるから、かなり難しそうだな」
元樹の提案に、拓也は今までの出来事を思い出して辟易してしまう。
「舞波が捕まっているこの状況も、意外と黒峯蓮馬さん達の策略かもな」
粘りつく雨が教室の窓に垂れ落ちる中、元樹は右手で庇をつくって空を見上げた。
視界に広がる雨の帳はさらに激しさを増し、しばらく止みそうにはなかった。
「加害者である少年を釈放してほしい?」
放課後、訪れた警察署で、被害者である綾花の訴えを聞いた警察官の男性は怪訝な表情を浮かべた。
「はい。舞波くんは、私の大切な友人の一人なんです」
綾花の嘆きの言葉は現実を伴って、警察官の耳朶を震わせる。
「しかし、話を聞く限り、君はこの少年から度重なる嫌がらせを受けていたのだろう」
「ううっ…‥それはーー」
最もな警察官の指摘に、綾花は言葉に詰まり、顔を俯かせる。
そのやり取りを、拓也達は複雑な表情を浮かべながら見守っていた。
「舞波を釈放するのは至難の技だな」
「まあ、舞波の場合、自分を正当化して、捜査を撹乱させているだろうしな」
「確かにな」
元樹の言葉に、拓也は何とも言えない顔で綾花を見つめる。
ようやく、綾花の訴えが認められたのか、警察官は席を立ち、部屋から出ていった。
「綾花、どうだった?」
「綾、大丈夫そうなのか?」
拓也と元樹が声をかけても、綾花は沈んだ顔をしたままだった。
いそいそと立ち上がり、拓也達のもとまで歩み寄ると、綾花は今にも泣き出してしまいそうな表情で訴える。
「あのね、たっくん、元樹くん。舞波くんの様子がおかしいみたいなの」
「なっーー」
「ーーっ」
その衝撃的な台詞は、何の前触れもなく告げられた。
その言葉に込められた意味に、拓也と元樹は思わず戦慄する。
咄嗟に、拓也が焦ったように言った。
「綾花、舞波の様子がおかしいってどういうことだ?」
「警察の人の話だと、私がそばにいないと苦しいって言ったり、魔術書を返してほしいって、警察署内で暴れたりしているみたい」
「間違いなく、『禁断症状』だな」
曖昧だった思考に与えられる具体的な形。
元樹の言葉を聞いて、嫌な予感が拓也の胸をよぎった。
気持ち悪い感情が込み上げてくる。
拓也は顔を上げると、それらを吐き出すように問いかけた。
「禁断症状?」
「ああ。いつも行っていたことを中断することで起こる様々な身体的、精神的な症状だ」
元樹は唇を噛みしめると、やり場のない苛立ちを少しでも発散させるために拳を強く握りしめる。
「魔術書を奪われたとはいえ、舞波はいつも綾に会っていた。それなのに、禁断症状になるなんて明らかにおかしい」
「うん、そうだね。もちろん、僕の魔術の仕業だよ」
その時、背後からかけられた声に、綾花達の心臓が大きく跳ねた。
まさかーー。
まさかーー。
ゆっくりと振り返った綾花は、自身の予感が的中したのを目の当たりにして息を呑んだ。
そこには、魔術書に媒介して顕在した陽向の姿があった。
「麻白、お久しぶり。そして、初めまして、井上拓也くん、布施元樹くん」
「陽向くん!」
「なっ!」
「ーーっ」
驚愕する綾花と拓也をよそに、元樹は拳を握りしめると、ひそかに決意表明をするように綾花を守ることを再度、心に誓ったのだった。




