第十章 根本的にやがて彼女になる
「とにかく、麻白は誰にも渡さないからな!」
あかり達と別れた後、大輝は拓也達に向かってきっぱりと告げる。
大輝の宣戦布告を聞いて無意識に表情を険しくした拓也達に、玄は幾分、真剣な表情で声をかけた。
「拓、友樹、聞いてもいいか?」
「ああ」
拓也の了承の言葉に、玄は軽く肩をすくめて目を瞬かせると、麻白に再会してからずっと疑問に思っていたことを口にした。
「拓達が、俺達に隠していることを教えてほしい」
「ううっ…‥…‥」
「「ーーっ」」
玄の思わぬ告白に、綾花が輪をかけて動揺し、拓也と元樹は目を見開いて狼狽する。
「父さんから、今まで麻白達にそのことを聞かないように、と言われてきた。だけど、俺達はどうしても知りたいんだ」
「それは…‥…‥」
核心を突く玄の言葉に、綾花達は複雑そうな表情で視線を落とすと熟考するように口を閉じる。
だが、その問いに答えたのは、綾花達ではなく、全くの第三者だった。
「答える必要はありません」
驚きとともに振り返った綾花達が目にしたのは、観覧車の前で待ち構えていた美里と、こちらを完全に包囲している警備員達だった。
「なっ!」
鋭く声を飛ばした大輝をよそに、玄は冷静に目を細めて言った。
「美里さん、お願いだ。本当のことを教えてほしい」
「玄様、申し訳ございません。お答えすることはできません」
だが、美里が粛々と頭を下げたことによって、玄が口にしたほんの小さな希望は、呆気ないくらい簡単に砕け散った。
「美里さん、何でだよ!」
大輝が驚愕の表情を浮かべているのを目にして、玄は少し躊躇うようにため息を吐くと、複雑な想いをにじませて綾花の前に立った。
「麻白、話せることだけでいい。教えてくれないか?」
「あたし、玄と大輝に嫌われたくない…‥…‥」
玄の重ねての問いかけに、綾花は躊躇うようにつぶやく。
「俺達が、麻白のことを嫌いになるはずがないだろう」
「でも、あたし、麻白であって麻白じゃないから…‥…‥」
言葉に詰まった綾花は顔を真っ赤に染めてぽつりと俯いた。綾花の瞳からは、涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「麻白であって、麻白じゃない?」
「玄様、大輝様、そろそろお戻り下さい」
玄がさらに疑問を口にしようとして、行く手を阻むように立ち塞がった美里と警備員達に眉をひそめた。
「分かった…‥…‥」
玄は悔しそうに拳を握りしめると静かにこう告げる。
大輝は焦ったように玄に詰め寄ると、ぎりぎり聞こえるくらいの小さな声で言った。
「おい、玄、いいのかよ?」
「後で、父さんに直接、確かめてみる」
「おじさんに?」
驚愕する大輝に、玄が躊躇うように続ける。
「父さんの書庫には、鍵がかかっていて入ることができない。だから、父さんに直接、会って、真相を確かめてみるつもりだ」
「玄、無理はするなよな」
「ああ」
大輝が不服そうに投げやりな言葉を返すと、ようやく玄はほっとしたように微かに笑ってみせたのだった。
「父さん!」
綾花達と別れて、玄がマンションに帰宅した後ーー。
仕事を一旦、切り上げて、マンションに戻ってきた玄の父親を見るなり、玄は調度を蹴散らすようにして玄の父親の傍に走り寄った。
玄の母親ではなく、玄が率先して出迎えるという光景に、玄の父親は訝しげに首を傾げてみせる。
「玄、どうした?」
「父さんに聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
玄の父親の言葉に、玄は顔を俯かせると辛そうな顔をして言った。
「今日、麻白達と一緒に遊園地に行った。だけど、そこで美里さん達と遭遇したんだ」
「…‥…‥玄、すまない。私はどうしても、麻白のことが心配だったんだ」
「…‥…‥父さん」
玄は、玄の父親に何か言葉を返そうとして、でもすぐには返せなかった。
玄の父親は玄から顔を背けて、沈痛な面持ちで続ける。
「私はもう二度、麻白を失いたくない。過剰かもしれないが、私はこれからも麻白の警備をしていくつもりだ」
玄の父親のその言葉に、確かな違和感を感じた玄は苦々しい表情を浮かべて言った。
「父さんは、俺達に何か重大なことを隠しているんじゃないのか?今日、麻白が言っていたんだ。『麻白であって、麻白じゃない』って!」
「ーーっ」
玄の率直な疑問に、玄の父親が驚愕にまみれた声でつぶやく。
それが答えだった。
玄は真剣な表情のまま、さらに言い募った。
「父さん、お願いだ。本当のことを教えてほしい」
「それはできない」
玄の説得をよそに、玄の父親は大げさに肩をすくめてみせる。
「父さん!」
「さあ、この話は終わりだ。玄、夕食を食べよう」
玄の叫びをよそに、表情の端々に自信に満ちた笑みをほとばしらせて、玄の父親は告げた。
「…‥…‥麻白であって、麻白じゃない、か」
困惑する玄をよそに、外見どおりの透徹した空気をまとった玄の父親は、冷たい声でそうつぶやく。
「彼女は、もう麻白だ」
玄の父親はどうしようもなく期待に満ちた表情で、ただ事実だけを口にした。
「ねえ、たっくん、元樹くん」
「どうした、綾花?」
遊園地から帰宅途中の帰り道。
鞄を握りしめていた綾花が、隣に立つ拓也の言葉でさらに縮こまる。
綾花は躊躇うように不安げな顔で言葉を続けた。
「玄と大輝に、本当のことを話したらだめかな?」
「…‥…‥綾花」
聞いた瞬間、思わず心臓が跳ねるのを拓也は感じた。知らず知らずのうちに、拳を強く握りしめてしまう。
綾花が沈痛な表情を浮かべて何かを我慢するように俯いていると、元樹はふっと息を抜くように言った。
「俺は話してもいいと思う。まあ、黒峯蓮馬さん達は拒んでくるだろうけどな」
綾花の問いかけに真剣な口調で答えて、元樹はまっすぐに綾花を見つめる。
「だけど、綾と上岡はーーそして、麻白は大丈夫なのか?」
ぽつりとつぶやかれた元樹の言葉は、確認する響きを帯びていた。
「私はーー俺は大丈夫だ」
元樹の疑問に、途中で口振りを変えた綾花は物憂げな表情で空を見上げる。
だが、すぐに綾花は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「だけど、麻白は怖いみたいだな…‥…‥」
「そうなんだな。綾花、無理はしなくていいからな」
「ああ。玄と大輝にはゆっくり話していこう」
「ああ。井上、布施、ありがとうな」
拓也と元樹の強い言葉に、綾花は泣きそうに顔をゆがめて力なくうなだれる。
玄と大輝に本当のことを話す。
それはどこまでも簡単なようで、かなり難しい問題であるように拓也には思えた。
だけど、綾花と上岡、そして、麻白なら、どんな困難でも乗り越えられるはずだ。
拓也が見上げた空は、どこまでも夕焼け色に染まっており、感じたこともない高揚感をもたらしていた。




