番外編第八十章 根本的にさよならを告げる彼女の声
「何故だーー!何故、こんなことになったのだ!!」
玄の父親達によってあっさりと捕らえられてしまった昂は、頭を抱えて虚を突かれたように絶叫していた。
まさに、昂の心中は穏やかではない状況だった。
視界に映るのは、先程までのんびりとくつろいでいたレストランだ。
先程まで昂の望みを叶えてくれていた警備員達は、玄の父親によって、魔術の効果を解除されている。
警備員達に見張られながらも、昂は一心不乱に麻白の姿をした綾花の分身体に助けを求めていた。
「麻白ちゃん、我を助けてほしいのだ!今すぐ、我を助けてほしいのだ!」
だが、昂の懇願にも、麻白の姿をした綾花の分身体の表情は揺らがなかった。
逆に麻白の姿をした綾花の分身体はそれを聞くと、少し困ったような表情を浮かべて言った。
「昂、ごめんね。それはできないの」
「なっ、何故だ!?」
悲しげにそう答えた麻白の姿をした綾花の分身体に、昂は心底困惑して叫んだ。
「だって、父さんから昂達を捕まえるように言われたから」
どこか晴れやかな表情を浮かべて言う麻白の姿をした綾花の分身体に、昂は再び、頭を抱えて絶叫した。
「そんな~、麻白ちゃん、あんまりではないか!」
「…‥…‥おい」
「舞波は相変わらずだな」
様子を窺っていた拓也が顔をうつむかせて不服そうに言うと、元樹はやれやれと呆れたようにぼやく。
「拓也、もうすぐ、綾達がここに来るはずだ。麻白の姿をした綾の分身体に、綾達がここに来たら本物の綾を護るように指示を出しておいた。まあ、渡辺美里さん達も綾達を追ってくるだろうし、麻白の姿をした綾の分身体もそろそろ消える頃合いだしな」
「そうだな」
改めて、これからのことを確認する元樹の言葉に、拓也ははっきりと頷いてみせる。
「だけど、元樹。綾花達は、舞波のおじさんとは合流できたのか?」
「ああ。もっとも、その時点でーー」
渡辺美里さん達に見つかってしまったけどな。
元樹がそう続けようとしたところで、階段の方から誰かの声がした。
「麻白お嬢様!」
綾花を抱きかかえた1年C組の担任と昂の父親を追いかけて、美里達が階段の方からレストランに駆け込んでくる。
美里達の追手に対して、1年C組の担任がとった行動は早かった。
「舞波さん、後はお願いします!」
「はい」
意識のない綾花を昂の父親に任せると、1年C組の担任は通路の床を蹴った。
そして昂を捕らえている警備員達の前まで移動する。
その見え透いた挙動に、警備員達の反応が完全に遅れたーーその時だった。
1年C組の担任は警備員達に素早く接敵すると、多彩な技を駆使して次々と警備員達を倒していく。
次の瞬間、昂の目に映ったのは床に倒れ伏す警備員達の姿と、冷然と立つ1年C組の担任の背中だった。
「舞波、大丈夫か?」
「おおっ…‥…‥」
その声を聞いた瞬間、昂が溢れそうな涙を必死に堪え、1年C組の担任を見上げる。
「舞波、今すぐ、私達を連れて、ここから逃げられるか?」
「もちろんだ、先生」
きっぱりと告げられた言葉に、昂は嬉しくなってぱあっと顔を輝かせた。
「麻白ーーっ!?」
咄嗟に玄の父親は、綾花達のもとに駆け寄ろうとして予期しない人物に行く手を阻まれた。
それは、麻白の姿をした綾花の分身体。
彼女は本物の綾花を守るように、両手を広げて立っていた。
「…‥…‥ま、麻白?」
「本物のあたし達が来たら、本物のあたしを護ってほしいと元樹にお願いされたから」
「…‥…‥お願い、夢忘れのポプリか」
魔術の知識を用いて味方にしたはずの麻白の姿をした綾花の分身体が、自身の行く手を拒んだ事情を察して、玄の父親は忌々しそうにつぶやいた。
「よし、拓也、ここから脱出しよう!」
「ああ」
麻白の姿をした綾花の分身体の行動が合図だったように、様子を窺っていた拓也と元樹が焦ったように綾花達と合流する。
「そんなこと、できるはずがありません。麻白お嬢様から手を引くまで、あなた方はここから出られませんから」
「まあ、そうくるだろうな」
元樹はさらりとそう言うと、囲まれているのにも関わらず、平然と美里達に向かって歩いていく。
そのどうしようもなく普通の所作に、美里は混乱した。
「な、何のつもりですか?」
「自分の目で確かめてみたらどうだ?ここから、俺達が脱出することができるのかを」
「ーーっ」
即座に返された言葉。
確信を持った笑顔。
悠々と広げられた手。
その見え透いた元樹の挙動に、美里は完全に反応が遅れた。
再び、捕らえようとしてきた警備員達を、拓也とともに振り払った元樹は、麻白の姿をした綾花の分身体に視線を向けて屈託なく笑った。
「悪いけど、綾はーー麻白は渡すわけにはいかないんだ。もちろん、麻白の姿をした綾の分身体を再び、操らせるつもりもないからな」
「ーーなっ」
驚く美里に、元樹が捨て台詞のように言い切ると麻白の姿をした綾花の分身体の手を掴む。
「舞波、頼む!」
「むっ!むっ!」
元樹の声に応えるように、昂は魔術を使うために片手を掲げる。
そして、咄嗟に使われた昂の魔術によって、綾花達と元樹達は会社のビルから逃げるようにして消えていった。
「我の魔術で再び、黒峯蓮馬を出し抜いてやったのだ!」
綾花達を『対象の相手の元に移動できる魔術』で救い出した昂は、ワゴン車内で誇らしげにそう言い放った。
「上手くいったな」
狙いどおり、麻白の姿をした綾花の分身体に頼んで綾花を救出させることに成功した元樹は、決然とした表情で言った。
だが、綾花の隣に座っていた拓也は、玄の父親の会社がある方向に視線を向けると、顔を曇らせて言う。
「ああ。だけど、今回もやばかったな。俺達のことを知られただけではなく、麻白の姿をした綾花の分身体が操られてしまった時は、本当に会社から出られないかと思った」
「むっ、麻白ちゃんの分身体は悪くない!そもそも、黒峯蓮馬が麻白ちゃんの分身体を操ったのが悪いのだ!」
拓也の言葉を聞きつけて、昂はなんでもないことのようにさらりと答えてみせた。
「…‥…‥すげえ、屁理屈だな」
「事実を言ったまでだ」
昂が至極真面目な表情でそう言ってのけると、元樹は思わず呆気に取られてしまう。
「麻白、本物の綾を助けてくれてありがとうな」
「うん。あたし、もうすぐ消えてしまうけど、こうして、元樹達に会えて良かったよ」
頭をかきながらとりなすように言う元樹に、麻白の姿をした綾花の分身体は大きく目を見開いた後、嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。
そのあどけなく見える笑顔に、元樹はぎゅっと絞られるような心地がした。
自分の言葉で、こんなふうに麻白の姿をした綾の分身体がーー綾が笑ってくれていると考えた瞬間に、どうしてか心臓の鼓動が早くなった。
まるで彼女達は、彼にとっての黎明の空のようだった。
元樹は吸い込まれるように、今日もまた、その色に惹きつけられていた。
ーーその時だった。
「う、う~ん」
拓也達の声で起きたのか、サイドテールの髪をかき上げながら、本物の綾花が眠たそうに目をこする。
「拓也、元樹、昂。これからも、本物のあたし達をよろしくね」
「「麻白!」」
「麻白ちゃん!」
振り返った拓也達が目にしたのは、綾花が目を覚ます様子を見届けて、くすりと笑みをこぼす麻白の姿をした綾花の分身体の姿だった。
そして、麻白の姿をした綾花の分身体は、本物の綾花が目覚める前に拓也達の前から姿を消していったのだった。
今回で「分魂の儀式編」が終わり、番外編第八十一章からは新たな章「魔術争奪戦編」に入ります。
どうかよろしくお願い致します。




