番外編第七十八章 根本的に彼が告げるアカシックレコード
「休憩室と仮眠室まではあと少しだな」
拓也達は、玄の父親達から本物の綾花を護るため、休憩室と隣にある仮眠室へと向かっていた。
元樹はエレベーターを背景に視線をそらすと、不満そうに肩をすくめて言う。
「拓也、休憩室と仮眠室があるフロアで『夢忘れのポプリ』を使ったら、すぐに舞波がいるフロアに戻ろう」
「…‥…‥舞波がいるフロアに?」
拓也はそうつぶやくと、怪訝そうな顔で元樹を見た。
「…‥…‥早くも、別の階から警備員達の追っ手が来たみたいだ。休憩室に着いたら、すぐに夢忘れのポプリを使って、別の階から来た警備員達をひき止めるように指示してほしい」
「なっーー」
断固とした意思を強い眼差しにこめて、はっきりと言い切った元樹に、拓也は目を見開いた。
咄嗟に、拓也が焦ったように言う。
「もう、こちらの位置を把握してきたのか?」
「恐らく俺達が、舞波の魔術を使って対処することは想定済みだったんだろう。エレベーター、階段一帯に、包囲網が張られている可能性がある」
「ーーっ」
ごく当たり前のことのように告げられた事実に、拓也は目を丸くし、驚きの表情を浮かべる。
少し間を置いた後、元樹は幾分、真剣な表情で続けた。
「舞波と合流したら、俺が持っている夢忘れのポプリを使って何とか対処するつもりだ」
「くっ…‥…‥。何とかして、綾花を助けないと」
心苦しげな拓也の言葉を受けて、感情を抑えた声で、元樹は淡々と続ける。
「今、先生が警備員に扮して、綾と行動をともにしているはずだ。とりあえず、舞波のおじさんに、綾達の逃走手段を確保してもらっている。俺達はここから脱出して、舞波のおばさんと合流しよう」
「わ、分かった」
断固とした意思を強い眼差しにこめて、はっきりと言い切った元樹に、拓也は戸惑いながらも頷いてみせた。
そして、苦々しい表情で、拓也はばつが悪そうに周囲を見渡す。
見れば、エレベーターだけではなく、階段、非常口までもが、玄の父親の警備員達によって封鎖されている。
恐らく、俺達が、黒峯玄の父親達の目を盗んで、綾花達ともここから逃げ出す手段はないに等しいだろう。
いや、舞波の魔術を除いてかーー。
もっとも、黒峯玄の父親も、そのことを理解した上でのーーこの行動だろうな。
拓也は顔を曇らせて俯くと、ぽつりとそう思った。
そういえば、医務室にいた麻白と黒峯玄の父親はどうしているのだろうか?
医務室にいる麻白は、元樹の反応を見る限り、本物の綾花ではなさそうだが、それでも拓也は心配だった。
拓也が思い悩んでいると、休憩室から誰かの声がした。
「いたぞ、あの少年達だ!」
警備員のかけ声に合わせて、さらに数十名の警備員達が左の仮眠室、右の休憩室から拓也達のいるフロアに集まってくる。
「くっーー」
「拓也、頼む!」
戸惑う拓也の思考を読み取ったように、元樹は静かに告げた。
「み、みんな、頼む!綾花にーー麻白に手を出させないためにも、他の階から来た警備員達をひき止めてくれないか!」
拓也は夢忘れのポプリを自身にふりかけると、フロア内に響き渡るように、あくまでも単刀直入な言葉を発した。
玄の父親の指示で綾花をーー麻白を探している最中、しかも別の階から来た警備員達をひき止めてほしいという無茶にもほどがある拓也の発言を、
「…‥…‥はい、かしこまりました」
と、警備員達は昂の時と同じようにあっさりと了承した。
拓也の指示の下、休憩室と仮眠室にいた警備員達は別の階から来た警備員達をひき止めるため、足早にエレベーター、階段、そして非常口へと向かう。
「…‥…‥とりあえず、逃げられる状況下にはなったな」
「ああ。いろいろと、問題は山積みだけどな」
拓也が呆れたような表情で一息に言い切ると、元樹は携帯を見ながら、鋭く目を細めたのだった。
「麻白、少し話しておきたいことがある」
拓也達が去った後の医務室ーー。
そこで泣き疲れた麻白の姿をした綾花の分身体の頭を優しく撫でながら、玄の父親が深刻な面持ちでそう言った。
「父さん」
拓也達が出て行った後、すぐに捕まえられてしまうものだと思っていた麻白の姿をした綾花の分身体は不思議そうに小首を傾げる。
「私が使える『魔術の知識』についてだ」
「ーーっ」
その玄の父親の言葉を聞いた瞬間、麻白の姿をした綾花の分身体は息を呑んだ。
「魔術書は、私の実家に保管されていたものだ。だが、私達には、昂くんのように魔術を使うことはできない。ただ唯一、私だけが、幼い頃から魔術の知識というものを使うことができた」
断固とした意思を強い眼差しにこめて、はっきりと言い切った玄の父親に、麻白の姿をした綾花の分身体は今度こそ目を見開いた。
玄の父親は一旦、言葉を切り、まっすぐ前を見て続ける。
「昂くんが使っている魔術は、昂くんの魔力、または昂くんが産み出した魔術道具を使うことによって事象を変革するものだ。だが、私が使う魔術の知識は、昂くんが使っている魔術とは根本的に違う」
「昂の魔術とは違うの?」
麻白の姿をした綾花の分身体が、意味を計りかねて玄の父親を見る。
「ああ」
そう前置きして、玄の父親から語られたのは、綾花達の想像を絶する内容だった。
「魔術の知識は、世界の記憶の概念の一部を書き換えて、事象そのものを上書きしたりすることができる」
「事象そのものを?」
玄の父親は一呼吸おいて、異様に強い眼光を麻白の姿をした綾花の分身体に向ける。
「瀬生綾花さん。君に、麻白の心を宿させたようにな」
「ーーっ」
その瞬間、麻白の姿をした綾花の分身体は凍りついたように動きを止める。
「昂くんの使う魔術が事象を変革する力なら、私が使う魔術の知識は事象そのものを上書きする力だ。もっとも魔術の知識では、昂くんが使う魔術のように誰かを生き返させたりすることはできないがな」
彼が放った衝撃的な言葉は、緊迫したその場の空気ごと全てをさらっていった。




