番外編第七十五章 根本的に彼女とお付き合いさせてもらうための第一歩
「さあ、麻白、行こうか」
「…‥…‥父さん」
元樹達の挑戦を了承した後、玄の父親は麻白の姿をした綾花の分身体を連れて、エレベーターに乗り込んだ。
会場の進行は、秘書である美里に任せている。
突如、主役がいなくなったため、出席者と取材陣達は動揺をあらわにしていたが、美里が司会と打ち合わせをしてうまくごまかしているようだった。
「「麻白!」」
「麻白ちゃん!」
拓也達も警備員達に追いかけられながら、麻白の姿をした綾花の分身体を追って、エレベーターへと駆け込む。
しかし、麻白の姿をした綾花の分身体は、綾花の視界に入る範囲内でしか動けないため、エレベーターが動き出すと、麻白の姿をした綾花の分身体は姿を消していた。
突如、起こった不可解な現象に、玄の父親は眉をひそめる。
「…‥…‥ステージで歌っていた麻白の方も、魔術か」
麻白が消えた事情を察して、玄の父親は忌々しそうにつぶやいた。
「黒峯蓮馬!我の魔術のすごさが分かったであろう!」
明確な怒気のこもった鋭い玄の父親の視線に、昂は腕を組むとこの上なく不敵な笑みを浮かべながら答える。
「なにしろ、我は綾花ちゃん、あかりちゃん、そして、麻白ちゃんの婚約者ーーって、な、なんなのだ! これは!」
「はあ…‥…‥。おまえは何もしていないだろう」
「ああ」
拓也達とともに警備員達に拘束されながらも、人差し指を突き出して放たれた昂の指摘に、拓也と元樹は不愉快そうにそう告げる。
警備員数人に連行されながらも、昂はうめくように叫んだ。
「こ、これでは綾花ちゃんを連れてくることも、魔術を使うこともままならないではないかーー!!」
なおも逃走を図ろうとするが、完全に囲まれていてとても逃げられないことを悟り、昂はがっくりとうなだれる。
エレベーターから降りると、玄の父親は一度、警戒するように辺りを見渡した後、拓也達の方へと向き直る。そして、率直にこう告げた。
「このフロアは、社員専用のリラックスルームになっている。カフェ、レストラン、休憩室、仮眠室、そして、医務室などの施設を利用することができる。もっとも、今はお披露目会がおこなわれているため、どこも開いてはいない」
「まるで、ショッピングモール内にあるレストラン街みたいだな」
「ああ、すごいな」
職場内ではあり得ないような、複数のカフェとレストランを前にして、拓也だけではなく、元樹も目を大きく見開き、驚きをあらわにする。
驚きににじむ表情のまま、拓也と元樹はおそるおそる昂を見遣った。
「うむ。我の父上が勤めている会社だからな。すごいのは当然だ」
「…‥…‥すげえ、屁理屈だな」
「事実を言ったまでだ」
昂が至極真面目な表情でそう言ってのけると、元樹は思わず呆気に取られてしまう。
玄の父親は迷いのない足取りで医務室に入ると、なんのてらいもなく言った。
「麻白の捜索は、瀬生綾花さんがこのフロアに来てからおこなわせてもらう」
「ーーなっ」
「ーーっ」
玄の父親に言葉を連ねられて、拓也と元樹はほんの少し怯んだ。
そんな拓也達の動揺を見抜いたように、玄の父親は深刻な面持ちで続ける。
「だが、瀬生綾花さんが――麻白がこのフロアに来る前に、君達に聞いておきたいことがある」
「ーーっ」
「聞きたいこと?」
玄の父親の意外な提案に、拓也が息を呑み、元樹は目を見開いた。
元樹が先を促すと、玄の父親は神妙な面持ちでこう言葉を続ける。
「君達のことを調べていたら、井上拓也くんと瀬生綾花さんが付き合っている。そして、布施元樹くんと麻白が付き合っているという情報があった」
「そのことまで知っているのか?」
疑惑を消化できずに顔をしかめる拓也をよそに、元樹は肺に息を吸い込んだ。
ためらいも恐れも感じてしまう前に、元樹は声と一緒にそれを吐き出した。
「黒峯蓮馬さん。俺は綾が好きです。例え、綾に上岡が憑依しても、麻白の心が宿っていても、そして、拓也のことが好きだったとしても、この気持ちは変わりません」
「大輝くんは君よりも、麻白のことをずっと想ってくれている」
氷点下の声。
冷たく切り捨てた玄の父親に、元樹は少し声を落として告げる。
「俺は、綾の代わりに麻白と付き合っている。それは事実です。でも、綾をーー麻白を守りたい。この気持ちに嘘はありません。麻白の心と記憶を受け継いだ綾は麻白でもありますから」
「――っ」
自分自身が口にした台詞をぶつけられて、今度こそ玄の父親は言葉を失った。
呆気にとられたような玄の父親を見て、元樹もまた決まり悪そうに視線を落とす。
「大輝は俺よりも、麻白のことを想っています。でも、俺は大輝よりも、綾のことを想っています」
「確かにそうかもしれないな」
決意のこもった元樹の言葉に、玄の父親はふっと悟ったような表情を浮かべて言った。
「麻白は大輝くんと結ばれるものだと思っていたが、君と結ばれることもあり得るかもしれないな」
張り詰めていた緊張の糸がわずかにたわんだ感覚に、玄の父親は苦笑する。
元樹と玄の父親、お互い本気の表情で本気の口調だった。
全く理解できなかった警備員の一人が、率直に玄の父親に聞いた。
「よろしいのでしょうか?」
「最終的には、麻白が決めることだ。私はできる限り、麻白の気持ちを尊重したい」
「かしこまりました」
問いにもならないような玄の父親の言葉に、警備員はそう答えると丁重に一礼する。
「何で、こんな話になっているんだ?」
元樹と玄の父親達の呆れた大胆さに、拓也は思わず、眉をひそめる。
だが、そのタイミングで、昂が不服そうに声を荒らげて言い放った。
「黒峯蓮馬、待つのだ!綾花ちゃんとあかりちゃん、そして、麻白ちゃんは我の婚約者ではないか!」
「…‥…‥綾花は俺の彼女だ。勝手に決めるな」
露骨な昂の挑発に、拓也は険しい表情で腕を組むと、むしろ静かな口調でそう言った。
「むっ、綾花ちゃんとあかりちゃん、そして、麻白ちゃんは我の婚約者だと言って何が悪いのだ」
昂は面白くなさそうに顔をしかめると、つまらなそうに言ってのける。
拓也はきっと厳しい表情で昂を見遣ると、きっぱりと告げた。
「綾花は俺の彼女だと言っているだろう!」
「否、我の婚約者だ!」
慣れた小言を聞き流す体で、昂は拓也に人差し指を突きつけると勝ち誇ったように言い切った。
拓也と昂。
元樹と玄の父親達。
綾花と麻白の話なのに、当事者抜きで、次々と話が進められていく。
激しい剣幕で言い争う拓也と昂をよそに、元樹と玄の父親達は、今回の麻白との交際で生じる不具合についてのことまでも話し合っている。
どうやら、綾花達が拓也達のいるフロアにたどり着く間に、とてつもないことが起きていたらしい。
拓也達のいるフロアを訪れた後、医務室で起きている一連の騒動を不思議な諦念とともに傍観していた綾花は、困り果てたようにつぶやいた。
「先生。もう、新たな『対象の相手の姿を変えられる』パワーアップバージョンの魔術を使っても大丈夫なのか?」
「恐らく、使っても大丈夫だろう」
元の大きさに戻った後、不安そうな表情を浮かべる綾花の様子に、1年C組の担任は額に手を当ててため息をつくと朗らかにこう続ける。
「だが、その前に、このフロアの探索をおこなわせてもらおう」
1年C組の担任は腕を組んで考え込む仕草をすると、拓也達が話し合っている医務室を物言いたげな瞳で見つめた。
かくして、彼らがこれから綾花を――麻白を巡って争うことになると思うと、1年C組の担任はさらに気苦労が倍になった気がして憂鬱な気分になったのだった。




