番外編第六十九章 根本的に言葉も想いも残らず伝えて
綾花のーー麻白の歌のお披露目会の前日に、綾花は昂と約束していたとおり、そして、リハーサルも兼ねて、綾花と麻白の姿をした綾花の分身体のデュエットを行うことにした。
綾花のーー麻白の歌のお披露目会を乗っ取って自身の魔術お披露目会を開くことを承諾した昂は、早くも待ち合わせ二時間前から待ち合わせ場所である駅前広場に立っていた。
しかし、二時間前から待っているというのに、昂は浮かれた顔でまさにご機嫌の極みにあった。
綾花と麻白にデートの約束を取り付け、前もって入念にデートプランを試行錯誤し、綾花と麻白とのデートへの万全の準備を果たしたのだから、当然のことだったのかもしれない。
ところが、その昂の上機嫌はほんの少しの時間しかもたなかった。
「何故、ここに貴様らがいるのだ!」
綾花と麻白とのダブルデートのため、いつにもましておしゃれな入れ立ちをした昂は、自分でもわかるほど不機嫌な顔を浮かべて叫んだ。
その理由は、至極単純なことだった。
「元樹、明日が本番なんだし、部活を休んでまで、一緒に来る必要はなかったんじゃないのか?」
「仕方ないだろう!今日は舞波と綾と麻白のデートが気になって、部活どころじゃなかったんだよ!」
すぐ後ろで私服姿の拓也が綾花を探すように辺りを見回し、同じくカジュアルな装いの元樹が不満そうに隣の拓也に食ってかかっているのが、昂の目に入ったからだ。
「何故、いつも何かと我の邪魔をしてくる井上拓也と布施元樹がここにいるのだ!」
涼しげな表情が腹立たしくて、昂はもう一度、同じ台詞を口にした。
昂は、綾花と麻白の姿をした綾花の分身体の三人で、ダブルデートを所望していた。
にもかかわらず、拓也と元樹は当然のようにここにいる。
昂の問いかけに、拓也はさも当然のことのようにこう答えた。
「今回はあくまでも、綾花のーー麻白の歌のお披露目会のリハーサルだ。黒峯玄の父親達の手から護るためにも、俺達は綾花と一緒に行動した方がいいからな」
「おのれ…‥…‥、黒峯蓮馬め。姿を現さなくとも、我と綾花ちゃんと麻白ちゃんのダブルデートを妨害してくるとは~!」
「…‥…‥おい」
昂が心底困惑して訴えると、拓也は低くうめくようにつぶやいた。
そんな中、元樹がざっくりと付け加えるように言う。
「それに一時的とはいえ、綾と麻白の姿をした綾の分身体が一緒に歌うことになる。用心に用心を重ねて、俺達も綾と一緒に行動した方がいいと思う。まあ、綾と麻白と舞波のデートが気になったから、ここに来たというのが一番の理由だけどな」
元樹自身はそれで説明責任を果たしたと言わんばかりの顔をしていたが、昂は不服そうに顔をしかめてみせる。
「…‥…‥お、おのれ~!井上拓也!そして、布施元樹!やはり貴様ら、我と綾花ちゃんと麻白ちゃんの三人きりのデートを邪魔するのが狙いだったのだな!」
「おまえだけだと間違いなく、綾花に危険が及ぶだろう」
「ああ」
昂が罵るように声を張り上げると、拓也と元樹は不愉快そうにそう告げた。
「…‥…‥おのれ」
「たっくん!元樹くん!舞波くん!」
昂が次の行動を移せずに歯噛みしていると、不意に綾花の声が聞こえた。
声がした方向に振り向くと、少しばかり離れた道沿いに綾花が拓也達の姿を見とめて何気なく手を振っている。
鞄を握りしめて拓也達の元へと慌てて駆けよってきた綾花は、少し不安そうにはにかんでみせた。
「遅くなってごめんね」
「気にするな。俺達も今、来たところだ」
「心配するなよ、綾」
「うむ、問題なかろう」
拓也達がそれぞれの言葉でそう答えると、綾花は花咲くようににっこりと笑ってみせた。そして、嬉しさを噛みしめるように持っている鞄をぎゅっと握りしめる。
「綾花ちゃん、すごく可愛いのだ!」
綾花の姿をまじまじと眺めていた昂が、拓也と元樹が先に告げようとしていた言葉をあっさりと口にして目を輝かせた。
駅前広場に駆け寄ってきた綾花は、セルリアンブルーのワンピースを着ていた。 胸元が黄色のブローチで留められたそのワンピースは、セレスタイトのような透明感のある淡い青色だった。下にフリルが走るスカートは、レースも交互に縫い付けられてふわふわと愛らしい。
もっとも、上着に白いジャケットを羽織っているので、それを拓也達が知るのはカラオケ店に入った後になる。
「ありがとう、舞波くん」
花咲くようににっこりと笑う綾花は、どこかの国の姫君のようだった。
そわそわとサイドテールを揺らす綾花に、拓也は胸中に渦巻く色々な思いを総合してただ一言だけ言った。
「ああ、よく似合っている」
「綾、様になっているな」
「ありがとう、たっくん、元樹くん」
拓也と元樹がそう告げた瞬間、綾花はぱあっと顔を輝かせた。頬をふわりと上気させて嬉しそうに笑う。
すると、元樹がさもありなんといった表情を浮かべて言った。
「とりあえず、綾が『対象の相手の姿を変えられる』パワーアップバージョンの魔術を上手く使えるかどうかを確認するために、そして、昼食を取るためにも、カラオケ店に入るか」
元樹の言葉に、拓也が慌てて携帯で時間を確認すると、午後一時少し前だった。そろそろ、お昼時である。
「そうだな」
「うん」
「我はカラオケというものは初めてだ。是非とも、綾花ちゃん。我にカラオケというものを教えてほしい」
拓也と綾花、そして、昂が顔を見合わせてそう言い合うと、綾花達は足早にカラオケ店へと向かったのだった。
元樹に連れられて入ったのは、駅前広場の近くにあるカラオケ店だった。
土曜日の昼過ぎともあって、かなりの人が入っており、カラオケルームは満席である。
順番待ちのリストに、元樹が名前を書き込んで数分後、店員に呼ばれて綾花達は空いたカラオケルームのソファーに腰をおろす。
六人がけのテーブル席で、拓也は受話器の前で堂々とした態度でメニューを手に取り、綾花に料理の頼み方を聞きながら、いち早く注文をし始める昂と、そんな昂を見て戸惑っている綾花をなんともなしに交互に見つめた。
「とりあえず、俺達も頼むか」
という隣に座っている元樹の気の利いた台詞も聞こえてくる。
つられて、拓也もメニューを見て注文しようとした矢先、昂が不遜な態度で綾花に話しかけてきた。
「綾花ちゃん、安心してほしい。『対象の相手の姿を変えられる』パワーアップバージョンの魔術 、布施元樹の案を聞かずとも上手く使える方法がついに見つかったのだ」
「方法?」
昂の言葉に、くるんと巻かれたサイドテールを撫でつけながら、綾花がぽつりと言う。
「うむ、今日、綾花ちゃんと麻白ちゃんの姿をした綾花ちゃんの分身体がデュエットするであろう。あの要領で、綾花ちゃんが麻白ちゃんの姿をした綾花ちゃんの分身体を産み出した後、綾花自身が宮迫琴音ちゃんの格好になって、麻白ちゃんの姿をした綾花ちゃんの分身体と一緒にデュエットすればよい」
「…‥…‥ううっ」
「なっ!?」
予想外な昂の発案に、綾花が輪をかけて動揺し、拓也は目を見開いて狼狽する。
頭を悩ませながらも、拓也はとっさに浮かんだ疑問を口にした。
「宮迫琴音の格好をした綾花と麻白の姿をした綾花の分身体がデュエットなんてしたら、黒峯玄の父親の思うつぼだろう」
「相変わらず、取って付けたような強引な方法だな」
「我なりのやり方だ」
呆れた大胆さに嘆息する拓也と元樹に、昂は大げさに肩をすくめてみせる。
元樹はテレビを背景に視線をそらすと、不満そうに肩をすくめて言う。
「それに宮迫琴音は、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会の個人戦、実質上の準優勝者であり、出身年齢全てが身元不明の謎の存在っていうことになっているだろう。宮迫琴音の格好をした綾と麻白の姿をした綾の分身体が一緒にいたら、余計、報道陣が二人のもとに殺到するんじゃないのか」
「…‥…‥むっ。そ、それらは全て、我の魔術を使えばどうとでもなる。既に、我は綾花ちゃん達を特定できないように、さらなる小細工をしている。ただ、どうやってその場から綾花ちゃん達を助けるかは、まだ考え中でーー」
「なら、決まりだな。綾が麻白の姿をした綾の分身体を産み出した後、『対象の相手を小さくする』魔術を使って、綾には先生の鞄の中に隠れていてもらう」
言い淀む昂の台詞を遮って、元樹が先回りするようにさらりとした口調で言った。
その、まるで当たり前のように飛び出した意外な発言に、さしもの昂も微かに目を見開き、ぐっと言葉に詰まらせた。
だが、次の思いもよらない元樹の言葉によって、昂とーーそして拓也と綾花はさらに不意を打たれ、驚きで目を瞬くことになる。
あっけらかんとした表情を浮かべた昂に対して、元樹は至って真面目にこう言ってのけたのだ。
「報道陣も、さすがに本物の綾がーー麻白が先生の鞄の中に隠れているとは思わないだろうし、これなら、麻白の姿をした綾の分身体を実体化させても別々に動けるしな」
そして、と元樹は言葉を探しながら続けた。
「舞波、綾の分身体が消えた後、すぐに魔術お披露目会を行えるようにしてほしい。綾が無事に会場から脱出できるかは全て、おまえの魔術お披露目会にかかっている」
「なるほどな。ついに我の魔術のすごさを、黒峯蓮馬達に知らしめる時が来たというわけだな」
真剣な眼差しで視線を床に降ろしながら懇願してきた元樹に、昂は腕を組むとこの上なく不敵な笑みを浮かべながら答える。
綾花のーー麻白の歌のお披露目会で綾花を護る方法から、綾花を護りながらの逃走手段、という極大まで広がった問題に、拓也は絶句してしまう。
「頭が痛くなってくる…‥…‥」
あまりにも突拍子がない話に、拓也が思わず頭を抱えた、その時ーー。
「お待たせ致しました」
ドアがノックされた後、店員が注文の品を運んできた。
中断された話とテーブルに並べられる料理。
「ごゆっくりどうぞ」
注文した料理が並べられたのを確認し、一礼した後、店員は定例の対応でその場から立ち去っていった。
「おおっー!きたな!早速、頂くとしよう!」
「あー…‥…‥とりあえず、俺達も食べるか?」
追い打ちをかけるかのように拳を突き上げてそう叫ぶ昂に、拓也は脱力して言う。
「…‥…‥うん」
拓也のその言葉に、顔をうつむかせていた綾花が小さく頷いた。
「うむ、美味いな」
昂は料理を口に運ぶとなんとも幸せそうな表情を浮かべた。そして、いきなりとんでもないことを拓也達に告げた。
「ちなみに我は今、一銭もお金を持っていないぞ」
「…‥…‥おまえ、いつも持ってきていないだろう」
「ああ」
にまにまと意地の悪い笑みを浮かべてくる昂に、拓也と元樹は不愉快そうに牽制するように睨んでみせる。
明らかにおごってもらう気満々の昂に、綾花は呆れたようにため息をつくのだった。




