番外編第六十八章 根本的に記憶の中に閉ざされた笑顔④
『挑戦者が現れました!』
「あっ…‥…‥」
昂の部屋のテレビ画面に響き渡ったシステム音声に、コントローラーをじっと凝視していた綾花の声が震えた。
期待に満ちた表情で、綾花はなりふりかまっていられなくなったように思わず身を乗り出す。
隣で同じくコントローラーを持ち、今か今かと待ち構えていた昂も、今ばかりは目を見開いて事の成り行きを見据えていた。
『チェイン・リンケージ』。
今や知らぬ人がいないのではというほど、有名なオンラインバトルゲームだ。
典型的な対戦格闘ゲームに過ぎなかったチェイン・リンケージが、社会現象になるまでヒットしたのは二つの特徴的で斬新な宣伝とシステムによる。
一つは本作が有名なゲーム会社同士のタッグでの合同開発だったということだ。また、斬新なテレビCMと相まって今や空前絶後の大ヒットゲームとなっている。
そしてもう一つが、従来の格闘ゲームとは一線を画す独特なシステムだった。最先端のモーションランキングシステムに、プレイヤーは仲間とともに爽快感抜群の連携技を繰り出せることで臨場感溢れるバトルを楽しむことができた。
昂の家に着いた後、綾花は唐突に、昂から進として一緒にゲームをしてほしいと誘われたのだった。
コントローラーを持った綾花が、まるでゲームをするのが嬉しくてたまらないという表情で笑う。
拓也はついついその姿に見入りながらも、今から作戦会議をするんだったよな、と今更ながらに遠い目をする。
「綾花ちゃん…‥…‥いや、進。我はあれから、ゲームの腕前を格段に上げたのだ。今回は、我が勝たせてもらう」
「舞波くんーーいや、昂、そんなはずないだろう!」
交わした言葉は一瞬。
挑発的な言葉のはずなのに、昂と途中で口振りを変えた綾花は少しも笑っていない。
隠しようもない余裕のなさに、拓也は軽く首を傾げるとため息をつく。
ーーバトル開始。
対戦開始とともに、二人のキャラは同時に動いた。
昂は自身の侍風のキャラの武器である刀を片手に持ち替えると、たん、と音が響くほど強く地面を蹴る。
次の瞬間、拓也が認識したのは、大上段から綾花のーー宮迫琴音のキャラに対して刀を振り落とす昂のキャラの姿だった。
だが、綾花は昂のキャラが刀を振り落とす前に、ぎりぎりのところで刀を回避する。
「相変わらず、綾花のーー上岡のゲームの腕前はすごいな」
昂のキャラと互角に渡り合う、進として振る舞っている綾花の姿に、拓也は思わず、呆気に取られてしまう。
「さすが、進だ。実力が格段に上がった我とここまで渡り合えるとは。だが、勝つのは我だ!」
「いや、俺が勝ってみせる!」
昂が態度で勝利を宣言してくると、綾花は当然というばかりにきっぱりと告げた。
あっという間に離れた二人は、息もつかせぬ攻防を再び、展開し始める。
拓也は元樹に視線を向けると、顔を曇らせて言った。
「元樹、舞波の実力は、本当にアップしているのか?」
「舞波は大袈裟に言っているけれど、あんまり変わってはいないみたいだな」
「ーーす、進、強いのだ!」
元樹の言葉に追い打ちをかけるように、昂はコントローラーを掲げて絶叫する。
「綾花ちゃんの心と進の心が融合し、そしてなおかつ、麻白ちゃんの心の一部までもが宿っている。もはや、今の綾花ちゃんは最強ではないか!」
「この短時間で舞波に勝つなんて、やっぱり、綾と上岡、そして、麻白の実力は計り知れないな」
「…‥…‥昂、布施、ありがとうな」
きっぱりと告げられた昂と元樹の言葉に、綾花はほっとしたように安堵の表情を浮かべると微かに笑ってみせる。
元樹と昂の言葉に、綾花が輝くような笑顔を浮かべるのを目撃して、拓也は何かを決意するように、そして付け加えるように言った。
「綾花、すごいな」
「井上、ありがとうな」
拓也の何気ない励ましの言葉に、綾花は嬉しそうに笑ってみせる。
「ーーなあ、元樹」
一旦、言葉を途切ると横に流れ始めた話の手綱をとって、拓也が鋭く目を細めて告げた。
「今度、開催される麻白の歌のお披露目会、どう思う?」
「何か、別の意図があるのかもしれないな」
拓也が戸惑ったように訊くと、元樹は静かにそう告げて、顎に手を当てて真剣な表情で思案し始める。
「麻白の偽の誘拐のニュースを、テレビなどで報道したことで、ゲーム関係のメディアはざわめいている。だが、肝心の黒峯玄の父親達は、麻白が出演したゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』、そして、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ4』の主題歌の収録には一切、手を出してこなかった。その上での麻白の歌のお披露目会だ」
「やっぱり、これって、俺のーー麻白の歌のお披露目会で、何かあるんだよな」
「ああ、間違いないだろうな」
綾花が困ったような表情で一息に言い切ると、元樹は鋭く目を細めた。
「わざわざ、舞波の家に、綾のーー麻白の招待状だけではなく、俺達の招待状まで送ってきていたらしいからな」
「俺達の招待状も?」
「ああ、俺達が綾と一緒に来ることも、既に想定済みなんだろうな」
訝しげな拓也の問いかけに、元樹は迷いなく断言する。
「『対象の相手の姿を変えられる』パワーアップバージョンの魔術で対処するにしても、時間制限がある上に、『姿を消す魔術』は黒峯玄の父親に看破されてしまう可能性がある」
「うむ、確かにな」
元樹の言葉に、昂は納得したように頷いてみせる。
呆気に取られている拓也に目配りしてみせると、元樹はさらに続けた。
「だからこそ、舞波。麻白の歌のお披露目会を乗っ取って、おまえの魔術お披露会を開催してほしい。綾を助けるためには、おまえの魔術が必要不可欠になる。恐らく、おまえの魔術がさらなる真価を発揮しないと、綾を助けられそうもないからな」
「なるほどな。ついに我の魔術が、テレビというもので放送される時が来たというわけだな」
真剣な眼差しで視線を床に降ろしながら懇願してきた元樹に、昂は腕を組むとこの上なく不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「よかろう!我が必ず、綾花ちゃんを黒峯蓮馬の魔の手から護ってみせるのだ!」
「ありがとうな、舞波。俺達も、綾が『対象の相手の姿を変えられる』パワーアップバージョンの魔術を上手く使えるように、いろいろと試行錯誤してみるな」
昂の自信に満ちた言葉に対して屈託なく笑う元樹に、拓也は訝しげに眉をひそめる。
「おい、元樹。どうする気だ?」
「これから、俺達はテレビで生放送される麻白のお披露目会に出席しないといけない。だが、テレビの報道陣がいると、少し厄介なことになる」
「テレビの報道陣がいると?」
予想外の元樹の言葉に、拓也は少し意表を突かれる。
元樹はつかつかと近寄ってきて、拓也の隣に立つと、ぎりぎり聞こえるくらいの小さな声で言った。
「今、麻白の偽の誘拐ニュースの件で、世間はざわついている。下手をしたらこの間、出演したゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』、そして、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ4』の主題歌の収録の件も含めて、綾はーー麻白は、報道陣から質問攻めを受けることになるかもしれない」
「…‥…‥そういうことか」
苦々しい表情で、拓也は昂の方を見遣る。
目下、一番重要になるのは、麻白の歌のお披露目会の間、綾花をどうやって護るかだ。
姿を消す魔術が使えない上に、『対象の相手の姿を変えられる』パワーアップバージョンの魔術で対処しても、麻白の姿をした綾花の分身体の周りには、報道陣が殺到する可能性がある。
テレビの前で、麻白の姿をした綾花の分身体が突然、消えてしまったりしたら、視聴者は大混乱に陥るかもしれない。
そうなれば、綾花を護るどころではなくなるだろう。
「…‥…‥うーん。テレビのインタビューって言われてもな」
元樹の言葉を聞き留めた綾花はうろたえ、そして困り果てた。
麻白として報道陣の取材を受けると聞かされて、どうしたらいいのか分からなかったのだ。
元樹はそんな綾花の気持ちを汲み取ったのか、 手をぱんと合わせて懇願した。
「少しずつで構わない。恐らく、黒峯玄の父親達もフォローしてくれるはずだし、麻白の姿をした綾花の分身体を出せるのは一日、一時間だけだ。その後は、舞波の魔術お披露目会を開催したりと、俺達もできる限りの協力をするからさ」
「ーーううっ」
元樹のその言葉に、口振りを戻した綾花はみるみるうちに顔を真っ赤に染めて俯いてしまう。
元樹は軽く息を吐くと、沈痛な表情を浮かべて何かを我慢するように俯いている綾花の前に立った。
「…‥…‥綾、すげえ不安にさせることを言ってしまってごめんな。だけど、俺も拓也と舞波と同じで、綾が傷つくのを見たくない」
元樹の言葉に、綾花は俯いたまま、何の反応も示さなかった。
そんな綾花に、意を決したように元樹が綾花の手をつかんで続ける。
「不安だと思う。苦しいと思う。それに、この間、無理やり、麻白の記憶を施されてしまって怖いと思う。でも、このままじゃ、やっぱりだめなんだよ。だから、勇気を出してくれないか」
「…‥…‥ううっ、元樹くん」
元樹の強い言葉に、綾花が断ち切れそうな声でつぶやく。
そんな綾花に、元樹は屈託なく笑うと意味ありげに続けた。
「例え、亡くなってしまっても、雅山のように生き返れなくても、麻白の想いをーー歌を届ける方法はいくらでもあるだろう。綾という、それを叶えてくれる存在がいるんだからな」
「ーーううっ、ご、ごめんね、ごめんね。元樹くん、ありがとう。私、頑張る。緊張するけれど、麻白の想いの歌、頑張って歌ってみる」
そう言葉をこぼすと、綾花は滲んだ涙を必死に堪える。
麻白の記憶では、黒峯くんのお父さんは優しくて家族思いな人だった。
麻白は、そんな黒峯くんのお父さんが大好きだった。
だけど、麻白がいなくなってしまったことで、黒峯くんのお父さんは悲しみに暮れてしまっている。
綾花は麻白の記憶を完全に施されてしまったことで、その事実を身を持って知っていたのだ。
麻白には、そして黒峯くん達には、本当に心の底より、幸せになってほしいと思う。
その願いだけが、綾花の涙を拭わせていた。
今にも泣き出しそうな綾花の頭を、拓也はため息を吐きながらも、いつものように優しく撫でてやった。
「綾花が、麻白の想いに応えると決めたのなら、俺達は綾花を全力で護ってみせる」
「何か困ったことがあったら、すぐに俺達が助けるからさ」
「綾花ちゃん、大船に乗ったつもりで、我に全てを任せるべきだ!」
「…‥…‥うん。ありがとう、たっくん、元樹くん、舞波くん」
拓也と元樹と昂の何気ない励ましの言葉に、綾花はようやく顔を上げると嬉しそうに笑ってみせる。
綾花達と玄の父親達ーー。
『麻白を生き返させたい』
その願いは同じなのに、異なる想いだけが彼らを隔てていた。




