番外編第六十七章 根本的に記憶の中に閉ざされた笑顔③
「玄、大輝、父さん、母さん。あたし、今から優勝祝いに歌を歌うね」
麻白にそう打ち明けられたのは、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第二回公式トーナメント大会のチーム戦を優勝した後日、玄のマンションのリビングで打ち上げ会をおこなっていた時だった。
麻白が晴れやかな声で告げるのを聞いて、玄の父親と玄の母親は不思議そうに首を傾げてみせる。
「麻白の歌?」
と、玄の父親は意外そうな声で訊いた。
実際、意外だったし、全く予期していないことだった。
「歌ってこれか?」
そう告げた大輝の携帯の画面の中で、マイクを握りしめた麻白が調子の外れた歌声を上げる。
それは、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第二回公式トーナメント大会のチーム戦を優勝した際に、麻白が優勝祝いにと自身の歌を収録した動画を、玄と大輝の携帯に送りつけたものだった。
否応なしに流れる麻白の歌を止めて、大輝はソファーにもたれかかるとぽつりとつぶやいた。
「おい、麻白。あの残念な歌は、人前でお披露目できるようなものじゃないだろう」
「あたしの歌は、残念な歌じゃない!」
そう言ってふて腐れたように唇を尖らせる麻白の頭を、玄は優しく撫でてやった。
「俺は、麻白の歌が好きだ」
「えへへ。玄、ありがとう」
玄がそう答えると、麻白は花咲くようににっこりと笑ってみせた。そして、嬉しさを噛みしめるように玄の腕をぎゅっと抱きしめる。
「おい、そこ、麻白に甘すぎだろう」
「大輝は冷たすぎ」
大輝に指摘されて、麻白は振り返ると不満そうに頬を膨らませてみせる。
「麻白、俺は冷たくないぞ。ただ、事実を告げただけだ」
麻白のふて腐れたような表情を受けて、大輝は不服そうに目を細めてから両拳をぎゅっと握りしめた。
「私達も、麻白の歌は好きだな」
「そうね」
「父さん、母さん、ありがとう」
玄の父親が、玄の母親と顔を見合わせてそう言い合うと、麻白は嬉しそうに玄の父親にしがみつく。
そして、その場をぴょんぴょんと跳ねると、麻白はそのまま、白いレースのカーテンを開けて、窓辺の中央へと駆け出した。
そして、窓を背景にして、両手をマイクのようにすると、麻白は自身が考えた歌を紡ぎ始める。
「あなたに降り注ぐ光の先には~!遠く果てない未来がいくつも交差している~!」
いつまでもいつまでも、こんな幸せな日々が続いてほしいと玄の父親は思っていた。
けれど、どれだけ目を背けても、どれだけ逃げ続けても、いつか来る未来には抗えない。
近い未来、玄の父親は残酷な現実を突きつけられることになる。
麻白が存在しなくなった世界でーー。
「はい、OKです。お疲れ様です」
「ありがとうございます」
綾花が麻白として、レッスンを始めてから三週間後ーー。
紆余曲折を得て、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ4』の主題歌のレコーディングを何とか終えた麻白の姿をした綾花は、ようやくほっとしたように微笑んでみせた。
しかし、拓也には綾花が努めてそうしているかのように思えた。
微笑んでいるのに、どこか辛そうな表情。
懸命に浮かべられた笑み。
昂から聞いた玄の父親の話が、綾花の心に宿るーー麻白の心に揺さぶりをかけているのか、綾花の表情は微かな憂いを帯びているように感じられた。
スタッフが出ていった後、それに気がついた拓也が綾花に声をかけようと手を伸ばしかけて、
「心配するなよ、綾」
と、聞き覚えのある意外な声に遮られた。
「元樹」
虚を突かれたように瞬くと、拓也は振り返ってそう言う。
拓也と同じく、綾花の強気を装った危うい表情に気づいた元樹は唇を強く噛みしめてこう告げた。
「綾のーー麻白の歌のお披露目会、俺達も出席するからさ」
「…‥…‥うん」
「麻白の歌はすごくいいと思う」
きっぱりと告げられた元樹のその言葉に、俯いていた綾花の顔が輪をかけて赤くなった。
「ううっ…‥…‥そうかな」
「麻白の歌は、みんなを元気にしてくれる。そんな気がするんだよな」
綾花が恥ずかしそうに口元にそっと指先を寄せると、元樹は自分に言い聞かせるようにこくりと頷く。
元樹の言葉に綾花が輝くような笑顔を浮かべているのを目撃して、拓也は何かを決意するように、そして付け加えるように言った。
「綾花、何か困ったことがあったら、今度は必ず、駆けつけるからな」
「俺も、出来る限りの対策を練ってみるな」
「うん。たっくん、元樹くん、ありがとう」
拓也と元樹の何気ない励ましの言葉に、綾花は嬉しそうに笑ってみせる。
「あやーー否、麻白ちゃん、我はもう待ちくたびれた!」
しかし、その途端、まるで見計らったように、レッスン場のドアに手をかけながらご機嫌な様子で部屋に入ってきた昂に、拓也と元樹はうんざりとした顔で冷めた視線を昂に向けてくる。
だが、そんな視線などどこ吹く風という佇まいと風貌で、昂は構わず先を続けた。
「あんな奴らなどほっといて、今すぐ、我と一緒に我の家に行くべきだ!」
「えっ、舞波くん?今日は先生の留年の回避についての家庭訪問があるって聞いていたから、家で待っていてって、交換ノートに書いたのに」
「我が待てるはずがないではないか!」
今朝、もらったばかりの自身が通っているーー湖潤高校の通知表を得意げに天に突き出して、高らかにそう言い放つ昂に、綾花は口元に手を当てて困ったようにおろおろとつぶやく。
なおも、上機嫌で綾花に話しかけてくる昂に、げんなりとした顔を向けた後、気を取り直したように拓也は鋭い眼差しで昂を睨みつけた。
「舞波。今日は、おまえの家で作戦会議をするから、おとなしく家で待っているようにと言ったはずだが」
拓也からの当然の疑問に、昂は人差し指を拓也に突き出すと不敵な笑みを浮かべて言い切った。
「何を言っている?今日は綾花ちゃんのーー麻白ちゃんのオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ4』の主題歌CDの収録日ではないか!苦痛の家庭訪問が終わった後、我がおとなしく、家で待っているはずがなかろう!」
「…‥…‥それは、自慢することじゃないだろう」
昂の言葉に、拓也は呆れたように眉根を寄せる。
しばらく思案顔で何事かを考え込んでいた元樹だったが、顔を上げるといまだに激しい剣幕で言い争う拓也と昂、そして綾花を見渡しながら自身の考えを述べた。
「舞波、あれから、黒峯玄の父親から何かしらのアプローチはあったか?」
「むっ。麻白ちゃんの歌のお披露目会用のドレスが今朝、送られてきただけだ。そして、このような、麻白ちゃんに対しての応援メッセージ付きの招待状が入っていたのだ!」
今朝、届いたばかりの招待状を掲げて、あっけらかんとした口調でそう答えてみせた昂に、元樹は立て続けに言葉を連ねる。
「やっぱり、麻白の歌のお披露目会に何かしらの動きがありそうだな」
「そうだな」
探りを入れるような元樹の言葉に、拓也の顔が強張った。
「元樹。オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ4』の主題歌のレコーディングも終わったことだし、とりあえず、舞波の家に行かないか?」
「ああ」
「あっーー!!あやーー麻白ちゃん、待ってほしいのだ!!我と一緒に行くべきだと告げておるではないか!!」
そう絶叫して後から追ってきた昂とともに、綾花達は作戦会議をするために昂の家へと向かったのだった。




