番外編第六十五章 根本的に記憶の中に閉ざされた笑顔①
「うむ、美味いな」
綾花が尚之ととも、ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』を終えた後ーー。
ヒヨコの着ぐるみを脱いだ昂はスタジオの机に置かれていたペットボトルを、勝手に開けて口に運ぶとなんとも幸せそうな表情を浮かべた。
「麻白ちゃんがゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』を無事に終えた今、あとは麻白ちゃんのレッスンを見ることができれば言うことないではないか」
昂は夢を見るような表情を浮かべて、うっとりと言葉を続ける。
その時、やや冷めた声が背後から聞こえてきた。
「…‥…‥おまえは一体、何がしたいんだ?」
「貴様ら、何の用だ。断っておくが、我は決して、ここにあったペットボトルを勝手に飲んだわけではないぞ」
「…‥…‥おい」
「おまえ、本当に緊張感がないよな」
綾花達がゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』の収録を終えて、スタジオに戻ってくるなり、素知らぬ顔で自ら自白してきた昂に、拓也と元樹はげんなりとした顔で辟易する。
警戒するように辺りを見渡した後、拓也は深呼吸をするように深く大きなため息を吐くと、元樹に小声でつぶやいた。
「ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』が終わったのに、黒峯玄の父親達の動きがなかったな」
「ああ。もしかしたら、今回のゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』の収録、そして、これからの麻白のレッスンなどには手を出してこないのかもしれない。俺達がこれからどう動こうとも、黒峯玄の父親達には何の支障がない可能性があるからな」
怪訝そうな顔をする拓也に、元樹はきっぱりとこう続けた。
「何の支障もない?」
「今、麻白の偽の誘拐のニュースを、テレビなどで報道したことで、ゲーム関係のメディアはざわめいている」
きっぱりと断言した元樹は、今までネット上などで調べ上げた麻白の誘拐に関する情報を再考し、眉をひそめる。
黒峯玄の父親は、経済界への影響力がかなり強い人物であることが分かっていた。
そうでなければ、麻白の誘拐のニュースが、テレビなどで、ここまで取り上げられることはなかっただろう。
現に、麻白の誘拐がニュースで報道されて話題になった際にも、黒峯玄の父親は騒ぎを聞きつけたマスコミ達に対して、『麻白は今、精神的に不安定な状態で会える状態ではありません』と、テレビなどで一点張りに言い募っていたことを思い出す。
「あの時、舞波に麻白の携帯が入った箱を渡した上で、俺達全員がそろった状態、しかも、麻白の誘拐のニュースが流れるタイミングで麻白の携帯の電源が入るように設定されていた」
「元樹、どういうことだ?」
元樹の思いもよらない言葉に、拓也は不意をうたれように目を瞬く。
戸惑う拓也に、元樹は深々とため息をついて続ける。
「黒峯玄の父親は、俺達に麻白の誘拐のニュースを故意に聞かせた可能性がある」
「なっ!」
やや驚いたように首を傾げた拓也に、どうにも腑に落ちない元樹がさらに口を開こうとしたところで、拓也達のところにやって来た綾花がおずおずと声をかけてきた。
「ねえ、たっくん、友樹。あたしのレッスンに、これから収録まで付き添ってくれるスタッフの人が、今からレッスン場に連れていってくれるみたいだよ」
先程までの緊迫した空気などどこ吹く風で、今か今かと了承の言葉を待っている綾花に、拓也は思わず顔をゆるめていつものように優しく頭を撫でる。
「ああ、麻白、行くか」
「うん」
綾花はほんの少しくすぐったそうな顔をしてから、幸せそうにはにかんだのだった。
「ふわわ!」
感慨深げに、綾花は周りを見渡しながらつぶやいた。
目的の場所であるレッスン場は、前に訪れたボーカルスクールの事務所のレッスン場とは違い、ほとんど個室と変わらない広さだった。
慌てて荷物を片付けた形跡があり、ここが実際は別の部屋として使われていたことが分かる。
レッスン場にたどり着くと、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ4』の主題歌の収録まで、麻白の講師を担当することになったスタッフは一度、レッスン場内を見渡した後、綾花達の方へと向き直る。そして、申し訳なさそうにこう告げた。
「その、元々が、ラジオ番組の書類などを置いていた部屋だったので狭いかもしれませんが、ここが黒峯麻白さんのレッスン場になります」
「ありがとうございます」
これから始まるレッスンとレコーディングに、綾花が嬉しそうに心を踊らせていると、不意に拓也は不思議そうにつぶやいた。
「本当に、普通の部屋だな」
「ああ。ここでレッスンやレコーディングをするのは大変そうだな」
元樹の補足に、拓也は顎に手を当てると思案するように視線を逸らす。
これからこの部屋で、綾花がーー麻白がレッスンやレコーディングをすることになるのか。
とりあえず、マイクや機材などがないみたいだから、レコーディングの時はスタッフの人達に借りる必要がありそうだな。
「麻白、いきなり、下手な歌を歌って、拓達を驚かせるなよな」
「あたしの歌は、下手な歌じゃない!」
綾花達に付き添っていた大輝が愉快そうに告げると、綾花はふて腐れたように唇を尖らせた。
だが、すぐに、綾花は荷物を拓也達に渡すと、部屋の中央で大きく深呼吸する。そして、ゲーム会社から送られてきた、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ4』の主題歌の歌詞を見ながら歌い始めた。
「あなたに降り注ぐ光の先には~!遠く果てない未来がいくつも交差している~!」
まるで麻白自身が歌っているかのように、綾花が調子の外れた歌声を上げる。
「あ、相変わらず、麻白の歌が残念なのは変わっていないな」
「麻白が、前に何度も歌っていた歌だ」
綾花の歌を聞いて、大輝は必死に笑いを堪えながら、玄は律儀にそう言った。
「うーん。これは、想像以上に大変そうだな」
「ふむふむ」
綾花の音程の外れた歌声を聞いたスタッフは顎に手を当てると、困ったようにため息を吐く。
そんな中、レッスン場のドアに耳を当てながら、ヒヨコの着ぐるみを再び、被った昂は綾花達の様子を探るため、こそこそと聞き耳を立てていた。
あまりにも怪しすぎて、近くにいた他のスタッフ達から思いっきり冷めた眼差しを向けられ、レッスン場自体が必然的に避けられていたことにも気づかずに、昂は先を続ける。
「麻白ちゃん、頑張ってほしい。そして、黒峯玄と浅野大輝が帰ったら、我に綾花ちゃんと麻白ちゃんの姿をした綾花ちゃんの分身体のデュエットを聞かせてほしいのだ」
こみ上げてくる喜びを抑えきれず、昂はにんまりとほくそ笑む。
「それにしても、今回も、黒峯蓮馬の動きがなかったのだ。恐らく、我に恐れをなして、潔く身を引いたというわけだな」
「…‥…‥元樹。舞波は今回、連れてこなかった方が良かったんじゃないのか?」
「あ、ああ、そうかもな」
レッスン場のドアの隙間から、得意絶頂で自分の妄想を語り続ける昂のその様子を、拓也と元樹は唖然とした表情のまま、じっと見つめていたのだった。
「信じていたい~! 記憶の中に閉ざされた~!いつかの夢が儚く消えたとしても~!」
麻白が考えて、イメージした歌詞を、綾花は必死に歌っていた。
そして、そんな麻白の歌を玄達に再び、聞かせている。
何もかもが最高だった。
麻白がオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ4』の主題歌を歌うという願いを叶えたように、拓也達と一緒ならきっとどんな夢でも実現できると、綾花は、そして、進は信じている。
何故なら、ずっと夢見てた綾花達の夢は、拓也達のおかげで叶ったのだから。
そうーー夢はきっと叶うから。
麻白の想い、歌に乗せて届け。
みんなの想いに。
みんなの心に。
どこまでも果てしなくーー。
レッスン初日の綾花のボイストレーニングと歌唱指導は、日が暮れるまで続いた。
だが、この時、綾花達は知らなかった。
麻白の誘拐のニュースを発端に、玄の父親による、麻白を取り戻すための新たな作戦が始まっていたことをーー。




