番外編第六十二章 根本的に生まれ変わっても彼女を探せるように
「舞波くん」
「昂」
綾花と麻白の姿をした綾花の分身体は、レッスン場の大型の姿見の前に緊張して立っていた。互いに顔を見合わせた後、きゅっと唇を結んで、瞳をほんの少しだけ心配そうに曇らせて、昂を見上げている。
「…‥…‥レッスン、付き合ってくれてありがとう」
恥ずかしそうに顔を赤らめてもごもごとそうつぶやくと、綾花は持っていた紙袋を昂に差し出してきた。
「これ、ペンギンさん型のバタークッキー。レッスンが終わったから、一緒に食べよう」
「あたしも作るの、手伝ったんだよ」
綾花の言葉にかぶせるように、麻白の姿をした綾花の分身体は、赤みがかかった髪をかきあげ、瞳に得意気な色をにじませる。
それを聞いた昂は、不遜な態度で腕を組むと、きっぱりと言い放った。
「もちろんだ。我が、綾花ちゃんと麻白ちゃんが作ったクッキーを受け取らないわけがないではないか!」
その言葉を聞いて、綾花と麻白の姿をした綾花の分身体は、ぱあっと顔を輝かせてハイタッチした。ほんわかな笑みを浮かべて、嬉しそうにはにかんでみせる。
「…‥…‥むにゃむにゃ、綾花ちゃんと麻白ちゃんが作ったクッキー、…‥…‥美味しいのだ」
「舞波、今がどういう状況なのか、分かっているのか?」
生徒指導室の机に突っ伏したまま、至福の表情でうわごとのように何やらぶつぶつと漏らす昂に、うんざりとした顔を向けた後、気を取り直したように1年C組の担任は鋭い眼差しで昂を睨みつけた。
「…‥…‥分かっているのだ。綾花ちゃん、麻白ちゃん、我も大好きだ。まさに、全ての綾花ちゃんが可愛いのだ」
「舞波くん。君は生徒指導室に呼ばれても、その態度なのかね?」
昂のたどたどしい寝言に、この学校の校長は全身から怒気を放ちながら、昂を睨みすえる。
その声は、言葉とは裏腹に、いっそ優しく、生徒指導室に響いたのだった。
「えっ?麻白として、布施先輩と一緒に、ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』に出演することが、スタジオを貸すための条件?」
放課後の渡り廊下にて、元樹から改めて、思いもよらない言葉を告げられて、綾花はただただぽかんと口を開けるよりほかなかった。
「ああ。お昼休みにも話したんだけど、スタジオを貸すための交換条件って、事務所のプロデューサーの人がどうしても譲らないらしいんだよ」
元樹は校庭を背景に視線をそらすと、不満そうに肩をすくめて言う。
「そうなんだ」
「うむ。しかし、まさか、綾花ちゃんが麻白ちゃんとして、ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』に出演するとはな」
綾花がそうつぶやくのを横目に、『対象の相手の元に移動できる』魔術を使って、綾花達の会話に加わってきた昂は腕を組むと不服そうにぼやいた。
「おまえ、先程、夏休みの騒ぎとペンギンの着ぐるみの件で、校長先生から直々に呼び出しを受けていたんじゃなかったのか?」
拓也からの当然の疑問に、昂は人差し指を拓也に突き出すと不敵な笑みを浮かべて言い切った。
「何を言っている?そんなもの、我が綾花ちゃんに重大な用事があるから少しの間だけ待ってほしい、と先生と校長先生に土下座して頼み込んだからに決まっているではないか!」
「…‥…‥それは、自慢することじゃないだろう」
昂の言葉に、拓也は呆れたように眉根を寄せる。
「そんなことよりも、綾花ちゃん。我はあの後、黒峯蓮馬の動向について、いろいろと調べてみたのだが、なんと、とんでもないことが我の身に起きていたのだ!」
「…‥…‥うっ、とんでもないこと?」
昂が己を奮い立たせるように自分自身に対してそう叫ぶと 、綾花は躊躇うように不安げな顔でつぶやいた。
「うむ。今回、綾花ちゃんに麻白ちゃんの記憶を施した後、黒峯蓮馬達側に動きがなかったであろう。我なりにあの後、無銭飲食などの謝罪をしながら、いろいろな場所に出向いて調べてみた。すると、今日、学校に行こうとしたら、度重なる無銭飲食による詐欺罪と、麻白ちゃん誘拐に関する情報提供を求めるとかで、警察が取り調べにきていたのだ!」
「…‥…‥おい。いろいろな場所に出向いて、黒峯玄の父親に関して調べてきたんじゃなかったのか」
昂のその言葉に、拓也は呆れたようにため息をつく。
そこで、元樹は昂の台詞の不可思議な部分に気づき、昂をまじまじと見た。
「麻白の誘拐に関する情報提供?」
「うむ。前に、我が麻白ちゃんを誘拐したように見せかけたことがあったであろう。その映像を、黒峯蓮馬は録画…‥…‥というものをして、警察に提出していたようだ」
元樹から問われて、昂は意を決したように息を吐くと、必死としか言えない眼差しを綾花に向ける。
その言葉が、その表情が、昂の焦燥を明らかに表現していた。
「既に、魔術で我のことを特定できないようにしていたおかげか、麻白ちゃん誘拐についての目撃情報を求められただけで済んだのだがな。しかし、何やら、このような箱を渡され、無銭飲食の件で、取調室という場所にも呼ばれそうになってしまったが、魔術で何とか逃げて難を逃れることができた」
「…‥…‥なるほどな。だから、おまえは、拓也と綾と一緒に登校することができたんだな」
今朝、警察から渡された箱を突き出し、昂が至極真面目な表情でそう言ってのけると、元樹は思わず呆気に取られてしまう。
「はあ…‥…‥。何度も言うが、おまえ、黒峯玄の父親関係以外では、一応、魔術は謹慎処分になっていたんじゃなかったのか?」
「何を言う?今回の情報提供から逃れるための魔術は、黒峯蓮馬に対抗するためにも必要だったものだ。もとより、謹慎処分対象外ではないか」
苦虫を噛み潰したような拓也の声に、あくまでも不遜な態度で昂は不適に笑う。
「だけど、妙だな。黒峯玄の父親の目的は、綾を麻白にすることだ。それなのに、綾がーー麻白が出演する、ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』、そして、別のスタジオでレッスンとレコーディングをおこなおうとしているのに、そちらには音沙汰ないなんて変だよな」
探りを入れるような元樹の言葉に、拓也の顔が強張った。
「もしかして、今回も、ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』を放送しているラジオ放送局と繋がっているんじゃないのか?」
「確かにな。でも、麻白を誘拐したように見せかけた、あの時の動画を、今になって警察に提出したことといい、それだけじゃないような気がする」
そのとらえどころのない玄の父親の行動の不可解さに、元樹は思考を走らせる。
「麻白を誘拐にしたように見せかけた動画を、今になって、警察に提出した理由か」
その理由を慎重に見定めて、拓也はあえて軽く言う。
「魔術を使う舞波に邪魔をされないために、あえて、情報提供を受けさせて、ボロを出させようとしたんじゃないのか?」
「それだと、矛盾が生じるんだよな」
「ーー矛盾?」
元樹の意味深な言葉に、拓也は唐突に、自身の思い違いに気づいた。
綾花に麻白の記憶を施した後、今回、黒峯玄の父親達は、俺達を追って来なかった。
そして、 綾花がーー麻白が、ゲーム対談情報ラジオ『プレラジ』に出演することになり、別のスタジオでレッスンとレコーディングをおこなおうとしているのに、以前、麻白が誘拐されたように見せかけた偽の誘拐騒動に関する動画を、警察に提出しただけという不可解な矛盾。
確かに、舞波に情報提供を受けさせて、ボロを出させるためだけだったなら、そんなまわりくどいことはしないだろう。
一見、無意味だと思われる行動を繰り返す、玄の父親の真意が一向に見えてこない。
「なら、何故、黒峯玄の父親は、舞波に情報提供を受けさせようとしたんだ?」
「何か、別の意図があるのかもしれないな」
拓也が戸惑ったように訊くと、元樹は静かにそう告げて、顎に手を当てて真剣な表情で思案し始める。
「情報提供ではなく、警察の人が、舞波に渡したという箱の方に、何か秘密があるのかもしれない…‥…‥ん?」
『次のニュースです』
元樹のとりとめのない思考は、不意に昂が持っていた箱から突如、聞こえてきた『ニュースキャスターのアナウンス』に遮られる。
「むっ?」
「えっ?もしかして、テレビのニュース?」
予想もしていなかったニュースキャスターの声に、昂が眉をひそめ、綾花は不意をうたれように目を瞬いた。
「ーーまさか」
元樹は咄嗟に昂が持っている箱を開け、その箱の中に何故か入っていたーー麻白の携帯を取り出す。
そして、あらかじめ、特定の時間帯に電源が入るように設定されていた麻白の携帯画面を確認する。
だが、元樹は、表示されたテレビのニュースアナウンスに言葉を失った。
『長期入院を終え、『ラグナロック』にチーム復帰した黒峯麻白さんが退院後、誘拐されていたことが判明しました』
「ーーなっ」
「…‥…‥ううっ」
あまりにも衝撃的なニュース内容に、拓也と綾花は戦慄する。
『警察は、未成年者を誘拐した疑いで、黒峯麻白さんの父親の携帯に送られてきたという動画を検証し、捜査をおこなっておりーー』
「おのれ~、黒峯蓮馬!我がかって、麻白ちゃんを誘拐したと見せかけたことを利用して、逆に我を陥れようとするとは!やはり、黒峯蓮馬は侮れないのだ!」
テレビのアナウンスを遮って、昂はところ構わず当たり散らす。
「魔術で特定できないようにしている舞波を誘拐犯に仕立てあげ、麻白と舞波の目撃情報をメディアで求める。なるほどな。確かに、これなら、俺達がどう動こうとも計画に支障はないな」
テレビ画面のニュースキャスターを見つめながら、元樹は導き出された結論に、静かに眉をひそめたのだった。




