番外編第五十七章 根本的に何もかもが煌めいている
「わ、我は悪くない!ただ、この事務所内にある、『火災報知器』というものを、すべてコンプリートしようとしたまでだ!」
「それなら何故、部屋まで爆破したのか知りたいんだが?」
昂のたどたどしい言い訳に、事務所のスタッフ達は全身から怒気を放ちながら、昂を睨みすえる。その声はいっそ優しく響いた。
「ひいっ!ま、麻白ちゃん、今すぐ、我を助けてほしいのだ!」
昂は恐怖のあまり、総毛立った。ふるふると恐ろしげに首を横に振る。
昂の魔術による爆破によって、閉じ込められていた個室から何とか抜け出した拓也達は、玄の父親の策略によって、ボーカルスクールの事務所から連れさらわれた綾花を救うため、昂の母親が待っているワゴン車へと向かっていた。
拓也は、先程まで閉じ込められていた個室の前でスタッフ達に対して訴え続けている昂に一旦、視線を向けると、顔を曇らせて言った。
「黒峯玄の父親は、今回も容赦ない方法を用いてきたな」
「ああ。まさか、こういう手段でくるとはな」
元樹の言葉に、拓也はほんの数十分前に事務所の個室内でかわした元樹との会話を思い出す。
『だが、俺達がここから脱出できたとしても、黒峯玄の父親はありとあらゆる手段を用いて、麻白の姿をした綾を自身のもとに留めようとしてくるだろう。まさに、俺達の思いもよらない方法でな』
それは拓也にとって、予想しうる最悪な答えだった。
ぶつけようもない不安と苛立ちを吐き出そうとするも、自分に返ってきては再び、拓也の頭をもやもやさせる。
『 何か困ったことがあったら、すぐに駆けつけるからな。黒峯玄の父親には、綾花を渡さない』
あの時ーー事務所のレッスン場に行く前に、綾花にそう告げていたのにも関わらず、自分達は何もすることができなかった。
綾花を助けることができなかった。
結局は、何もできないままだ。
拓也は己の無力さを噛みしめた。
元樹は事務所の受付までたどり着くと、不満そうに肩をすくめて言う。
「事務所内のスタッフ全員が、黒峯玄の父親に通じているなんて、完全に裏をかかれたな。シンプルだが、巧妙な作戦だ」
「元樹、これからどうするつもりだ?」
「そのことなんだが」
拓也の疑問を受けて、感情を抑えた声で、元樹は淡々と続ける。
「今、舞波のおばさんが、事務所の入口に向かってくれているはずだ」
「舞波のおばさんが?」
「ああ。先程、舞波のおばさんから、綾と先生が無事に合流できたという連絡が入った。今、玄の父親達と一緒にいる綾は、麻白の姿をした綾の分身体で、本物の綾は合流した先生と一緒に『姿を消す魔術』を使って、玄の父親達を尾行しているはずだ」
拓也の疑問に、元樹は先程、ようやく使えるようになった携帯を確認すると、記憶の糸を辿るように目を閉じる。
綾花が、先生と無事に合流することが出来て良かったーー。
ほんわかと笑う綾花を思い出して、しみじみとそう感じていた拓也は、しかしーーその感慨を早々に封印した。
それを考え始めた瞬間、拓也の脳裏にあるとんでもない事実が浮上してきたからである。
「そういえば、どうして、舞波のおばさんは事務所の入口に向かっているんだ?確か、駐車場で待ってくれているはずだろう」
「駐車場だと、俺達がそこまでたどり着けない可能性がある」
困惑したように驚きの表情を浮かべる拓也に、元樹は軽く肩をすくめると、冷静に目を細めて続けた。
「事務所のスタッフ達は、舞波が足止めしてくれているとはいえ、あの麻白のマネージャーの人が、このまま、俺達を見逃してくれるとは思えないからな」
「私が、どうかしましたか?」
独り言じみた元樹のつぶやきにはっきりと答えたのは、拓也でもなく、事務所のスタッフ達の足止めをしている昂でもなく、全くの第三者だった。
「あなた方を、麻白お嬢様に会わせるわけにはいきません」
驚きとともに振り返った拓也達が目にしたのは、事務所の入口前で待ち構えていた麻白のマネージャである美里と、こちらを完全に包囲している警備員達だった。
「なっ!」
鋭く声を飛ばした拓也をよそに、元樹は冷静に目を細めて言った。
「渡辺美里さん。麻白のことについて、俺達と交渉して頂けませんか?」
元樹の言葉に、心動かされるものがあったのだろうか。
幾分、表情をゆるめて、美里が尋ね返す。
「麻白お嬢様について、ですか?」
「はい。これからも、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ4』の主題歌を歌うために、麻白がこの事務所に通うことを約束します。ですが、代わりに俺達の条件をのんでくれませんか?」
「麻白お嬢様はもはや、いつでもこの事務所に通うことができます」
冷たく切り捨てた美里に、元樹は少し声を落として告げる。
「あなたはーーあなた方は、こんなかたちで、宮迫の存在を犠牲にするかたちで、麻白を生き返らせて満足なんですか?」
「その答えは、既に社長がおっしゃっていたはずです。それに、宮迫琴音さんに宿っている、麻白お嬢様の人格断片ーー心の強化を試みたのは私ですから」
「「ーーっ」」
麻白の心の強化を試みたというフレーズに、拓也と元樹は明確に表情を波立たせた。
綾花の心に宿る麻白の心が強くなってきていることは、拓也達は前々から気づいていた。
だが、それが今、目の前にいる女性によって、引き起こされていた現象とは思いもしなかったのだ。
拓也達の驚愕に応えるように、美里は冷たく笑う。
「宮迫琴音さんが、麻白お嬢様を含めて、四人分生きているということは、社長も私達も存じ上げております」
「し、知っているのなら、何で?」
拓也の戸惑いの言葉に、美里は訝しげに首を傾げてみせる。
「四人の中で、私達が求めているのは麻白お嬢様だけです」
「麻白以外は、どうなっても構わないっていうのか!」
吹っ切れたような言葉とともに不敵な笑みを浮かべる美里に、半ばヤケを起こしたように拓也が叫ぶ。
「そう思って頂いて構いません」
「ーーなっ」
その言葉はーー美里の想像をはるかに越えて拓也を強く刺激した。
咄嗟に口を開きかけた拓也を制して、元樹は眉を寄せてから言う。
「宮迫がーー他の三人が傷つけば、宮迫の心に宿っている麻白も同じように傷つきます。あなたは、それでもいいんですか?」
「…‥…‥他の三人の存在を否定した非礼は詫びます。ですが、私達があくまでも求めているのは、麻白お嬢様だけです」
元樹の問いかけに真剣な口調で答えて、美里はまっすぐ元樹を見つめた。
その機械に打ち込んだような美里の言葉の中に、元樹は一縷の望みをかける。
「あなた方が麻白だけを求めているというのなら、俺達は四人とも護ってみせます」
「そんなこと、できるはずがありません。麻白お嬢様から手を引くまで、あなた方はここから出られませんから」
「まあ、そうくるだろうな」
元樹はさらりとそう言って、囲まれているのにも関わらず、平然と美里達に向かって歩いていく。
そのどうしようもなく普通の所作に、美里は混乱した。
「な、何のつもりですか?」
「自分の目で確かめてみたらどうだ?これから、俺達が四人とも護れるかを」
「ーーっ」
即座に返された言葉。
確信を持った笑顔。
悠々と広げられた手。
その見え透いた元樹の挙動に、美里は完全に反応が遅れた。
再び、捕らえようとしてきた警備員達を、拓也とともに振り払った元樹は、事務所の入口に視線を向けて屈託なく笑った。
「悪いけど、既に、宮迫を救出する目処は立っているんだよな。そして、ここから離脱する方法もな」
「ーーなっ」
「さあ、みんな、早く逃げるんだよ!」
驚く美里に、元樹が捨て台詞のように言い切る。
次の瞬間、拓也達を救うために、事務所の入口内に行き渡るように、ワゴン車のヘッドライトを照らした昂の母親が叫んだのだった。




