第十一章 根本的に黎明の空に似たその笑顔
昨日の続きです(*^^*)
それは昼休み、学食を済ませて元樹がクラスメイトの男子生徒達と一緒におしゃべりに興じながら教室に戻ろうと廊下を歩いていた時だった。
そこへ分厚い本を五冊も抱えた綾花と見知らぬ女子生徒が、元樹達の横を横切ってよたよたと歩いてきた。
「瀬生、何しているんだ?」
「あっ、布施くん」
元樹が思わず呼びかけると、綾花は振り返りきょとんと顔を上げた。
「教室に戻る途中、視聴覚室で私のクラ…‥…‥じゃなくて、隣のクラスの子が次の授業で使う資料を運ぼうとしていたんだけど、重くて困っていたみたいだから一緒に運んでいるの」
思わぬ言葉を聞いた元樹は綾花の顔を見つめたまま、瞬きをした。
「はあっ!?何でわざわざ、瀬生が隣のクラスで使う資料を運んでいるんだよ?」
「だって、二人で一緒に運んだ方が早く済むもの」
穏やかに紡がれる綾花の言葉に、元樹は思わず頭を抱えたくなった。
それにしても、瀬生って前と雰囲気、変わったよなーー。
前は自分から他のクラスや他学年の奴らと話をしたりすることってなかったのに、自分から声をかけるなんて至極意外だった。
眉を寄せてやれやれとため息をつくと、元樹は大儀そうに言う。
「はあ~、ほら、貸してみろよ」
「えっ?」
元樹は綾花とその女子生徒が持っていた本を何冊か手に取り、さも当然のようにこう言ってのけた。
「それなら、三人で運んだ方がもっと早いだろう」
「…‥…‥あっ、うん。ありがとう、布施くん」
頭をかきながらとりなすように言う元樹に、綾花は大きく目を見開いた後、嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。
そのあどけなく見える笑顔に、元樹はぎゅっと絞られるような心地がした。
自分の言葉でこんなふうに笑ってくれていると考えた瞬間に、どうしてか心臓の鼓動が早くなった。
まるで黎明の空のようだった。
元樹は吸い込まれるように、その色に惹きつけられていた。
「瀬生に上岡が憑依した?」
半信半疑な表情で、元樹は拓也に訊いた。
陸上部の競技大会の予選後、拓也は元樹の陸上部のミーティング前の合間に、綾花と元樹を連れ添って、近くのファーストフードで話をしていた。
ファーストフードで話をするのもどうかと考えたが、幸い、店内は混みあっており、拓也達の話に耳を傾ける者はいなかった。
「本当なのか?」
「ああ」
拓也は綾花に進が憑依したことを打ち明けた後、元樹に向かって真摯な瞳で伝えた。
「舞波の魔術でな」
拓也にそう告げられても、元樹はあまりの滑稽無稽さに正気を疑いたくなった。
頭を悩ませ、元樹はテーブルに肘をついて頼んでいたフロートドリンクに口をつける。
「 頭、いてぇ!何だよ、それ!魔術、憑依の儀式、全部、あり得ないだろう!まさか、俺が瀬生のことを好きだと言ったから、そんな出任せを言っているのか?」
「違うの!本当に私は進だよ!」
目に涙をいっぱい浮かべながら、綾花はしっかりとした口調で訴えようとして、
「…‥…‥悪いけれど、そんなの信じられるかよ」
と、拒絶の意思を如実に込めた元樹の言葉に強く遮られた。
不意に目の前の元樹から距離を感じて、綾花は傷ついた表情を浮かべて俯く。
押し黙ってしまった綾花を見かねて、拓也はきっぱりと言った。
「元樹、前におまえは言っていたよな。性格が変わっても、そいつはそいつなんだろう、と」
「ああ」
それは以前、元樹が拓也に言った言葉だった。
淡々と告げられる拓也の言葉に、元樹は疑惑の表情に憂いと躊躇をよぎらせる。
拓也は真剣な表情のまま、こう続けた。
「俺もそう思う。上岡が憑依した今の綾花も、確かに綾花は綾花なんだ」
自分自身が口にした台詞をぶつけられて、今度こそ元樹は言葉を失った。
呆気にとられたような元樹を見て、拓也もまた決まり悪そうに視線を落とす。
「それに俺、綾花が泣きそうな顔してペンギンのアクセサリーを捜し出すって言ってくれた時、実はちょっと嬉しかったんだ」
綾花はその言葉を聞いた瞬間、はっとした表情で目を見開き、戸惑うように拓也を見遣った。
驚きの表情を浮かべる綾花を見て、拓也は照れくさそうに口を開く。
「結局、見つからなかったけれど、俺があげたものが、上岡に憑依された後でも綾花にとって本当に大事な宝物になっていたんだなと思って、なんか…‥…‥感動した」
「…‥…‥拓也、それは俺に対する当てつけか?」
元樹が不服そうに投げやりな言葉を返すと、ようやく拓也はほっとしたように微かに笑ってみせた。
腕を頭の後ろに組んで椅子にもたれかかっていた元樹が朗らかに続けた。
「瀬生って前と印象、変わったよなとは思ってたけど、まさか上岡が憑依した影響だったとはな…‥…‥。どうりで、今までと雰囲気が違うはずだ」
「元樹は綾花に上岡が憑依していると聞いて、綾花のことが嫌いになったのか?」
「そんなはずないだろう!」
座っていた椅子から反射的に立ち上がると、元樹は浮き足立ったように言い募った。
元樹が至って真面目にそう言ってのけるのを見て、拓也は胸に滲みるように安堵の表情を浮かべる。
「ああ、俺も同じだ。だから、綾花は誰にも渡さない」
そんな拓也の反応に、元樹は一瞬、目を丸くした後、今度は声を立てて笑った。
そのまま笑い出したい自分を抑えながら、元樹は言う。
「はははっ、拓也らしいな。まあ、俺も拓也と一緒で瀬生を諦めるつもりなんて毛頭ないけどな!」
「一緒にするな」
「あっ、悪い。舞波とは違うから安心しろよ」
呆れ顔の拓也にそう言われても、元樹は気にすることもなく思ったことを口にする。
拓也が内心いぶかしんでいると、元樹は今度は綾花に話の矛先を向けてきた。
「なあ、星原から聞いたんだけど、瀬生はペンギンが好きなんだよな。なら、ペンギンが出てくるゲームなら、尚更、よくないか?」
「ーーなっ」
「ペンギンが出てくるゲーム!」
意表を突かれて、拓也は思わず隣の綾花に視線を向ける。
案の定、綾花は両拳を前に出して、ぱあっと顔を輝かせていた。
頭を悩ませながらも、拓也はとっさに浮かんだ疑問を口にする。
「…‥…‥上岡のゲーム好きのことまで知っているのか?」
「ああ、陸上部に上岡と同じクラスの奴らもいるからな」
「そんなことはどうでもよい。我のテリトリーの中で、綾花ちゃんに口づけをしたというだけでも万死に値する」
元樹があっけらかんとした口調で言ってのけると、憤懣やる方ないといった様子で誰かがそう吐き捨てた。
「…‥…‥何故、ここにいる?」
突如聞こえてきたその声に、拓也は自分でもわかるほど不機嫌な顔を浮かべて振り返った。
その理由は、至極単純なことだった。
私服姿の昂が腕を組みながら、さらりと隣の綾花に声をかけているのが拓也の目に入ったからだ。
しかも、今までの状況を把握しているかのような言い回しに、拓也は不満そうに眉を寄せる。
『対象の相手の元に移動できる』という魔術を使ったのか?
だが、魔術はこの間の上岡の家に行った時に使用を禁じられていたはずだ。
まあ、確かに、あの舞波がそのような約束ごとを守るとは思えないが…‥…‥。
見れば、元樹もいきなり現れた神出鬼没な舞波に虚を突かれたように目を白黒させていた。
「何故、ここにおまえがいるんだ?」
涼しげな表情が腹立たしくて、拓也はもう一度、同じ台詞を口にした。
「そう言えば、明日の三時間目、綾花ちゃんのクラスは調理実習だったな?綾花ちゃんが作ったものなら、当然、我がもらうべきだ!」
「…‥…‥おい」
だが、拓也の言葉を散々無視して居丈高な態度で大口を叩く昂に、拓也は低くうめくようにつぶやく。
そんな拓也の言葉すらも無視して、昂は人差し指を元樹に突き出すと不敵な笑みを浮かべて言い切った。
「 綾花ちゃんはもう我の彼女になったのだ!貴様、我の彼女に手を出すとはいい度胸だな!」
露骨な昂の挑発に、元樹は軽く肩をすくめてみせると拓也に訊いた。
「こいつって、いつもこう?」
「…‥…‥ああ」
問いかけるような声で言う元樹に、頭を抱えながら拓也は頷いてみせた。
「だが、誰が来ようが、我の敵ではない。貴様、我の彼女に手を出したことを悔い改めるのだな」
「おまえこそ、勝手に瀬生の彼氏を気取るなよ!」
傲岸不遜なまでに自信満々な台詞を昂が吐き出すと、元樹は思わず、ムキになって昂を睨み付けた。
そこには時計があり、ちょうど陸上部のミーティングが始まる時間の少し手前を示していた。
「うわっ、やべえ!そろそろ戻らないと部長に怒やされる!」
元樹はおもむろに席を立つと、拓也と昂を一瞥して、最後に綾花を見た。
「それじゃあ、また明日な!それと、今日は酷いことしてしまってごめんな。瀬生」
「…‥…‥私も、驚かせてごめんね。ペンギンさんのアクセサリー、一緒に探してくれてありがとう」
「ああ」
綾花の花咲くようなその笑みに、元樹は吹っ切れた表情を浮かべて一息に言い切ると、そのままファーストフードを後にした。
危なかった。
ファーストフードを出た元樹は、鼓動の速い胸を無意識に押さえて思う。
あれ以上、話をしていたらーー。
瀬生の笑顔を見ていたらーー。
今度は瀬生のことを、がむしゃらに抱きしめていたのかもしれない。
自嘲するように笑うと、元樹は遠くへと視線を向ける。
想いは伝えた。
拓也と舞波に宣戦布告もした。
嘘のような真実も聞き、ようやく彼らと同じ土台に立てたような気がする。
全ての巻き返しはこれからだ。
雲天の雲間から一瞬だけ差し込んだ陽光が眩しくて、元樹は右手でひさしを作った。
まるで夜明け前のーー黎明の光が雲を破り始めたようだった。
明日が待ち遠しい、と元樹は無意識にそう思い始めていた。




