番外編第五十二章 根本的に彼らは何度でも彼女に恋をする
ーーオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ4』の主題歌オーディションについて、もう少し詳しく調べよう。
玄の父親の手によって、綾花がーー麻白が二次審査を受けずに主題歌オーディションに合格した後、元樹が綾花達に提案したのは、なりふり構わない直接的な手段だった。
「ううっ…‥…‥」
「…‥…‥はあ。完全に、黒峯玄の父親にしてやられたな」
始業式を終えた後、とぼとぼと歩き、今にも泣きそうな表情で校舎裏に立った綾花に対して、元樹は悔しそうにそうつぶやいた。
その言葉は、全てを物語っていた。
主題歌オーディションの二次審査の時に、何らかの動きがあることは予想していたのだが、まさか一次審査だけで合格させてくるとは思わなかったのだ。
やはり、玄の父親は元樹達よりも、一枚上手だったようだ。
「綾。主題歌オーディションに合格するかたちになってしまってごめんな」
「…‥…‥ううん。私の方こそ、音源選考でうまく歌えていなくてごめんね」
真剣な眼差しで視線を床に降ろしながら謝罪してきた元樹に、綾花は元樹と視線を合わせると、顔を真っ赤にしながらおろおろとした態度で謝った。
「許せぬ! 許せぬぞ!!」
そんな中、ゲーム雑誌で、オーディションの後、麻白を担当することになるマネージャー欄を見ていた昂が、拳を突き上げながら、地団駄を踏んでわめき散らしていた。
それは、今日発売のゲーム雑誌だったのだが、何でも魔術を使って、始業式を抜け出して買ってきたものらしい。
「我は、黒峯蓮馬から綾花ちゃんをーー麻白ちゃんを護らねばならぬ、ーー護らねばならぬのだ!その我が何故、他のマネージャーに出し抜かれて、敗北を喫するというのだ!」
憤慨に任せて、昂はひとしきり黒峯蓮馬のことを罵った。ひたすら考えつく限りの罵詈雑言を口にし続ける。
「おのれ~、黒峯蓮馬!我がせっかく、麻白ちゃんの写真収集の合間を縫って、麻白ちゃんのマネージャーを志願する書類を置いていったというのに、それをあっさりと踏みにじるとは!やはり、黒峯蓮馬は侮れないのだ!」
「…‥…‥勝手に、麻白の写真を奪ってきたり、麻白のマネージャーを志願しに行くな」
ところ構わず当たり散らす昂に、拓也は呆れたように軽く肩をすくめてみせる。
しかし、元樹は顎に手を当てると、きっぱりと告げた。
「…‥…‥なるほどな。舞波が直接、麻白のマネージャーを志願する書類を置いていったから、黒峯玄の父親は、今回の主題歌オーディションの応募が、本物だと確信したのかもしれないな」
「うむ、確かにな」
「…‥…‥おい」
元樹がふてぶてしい態度でそう答えると、昂は納得したように頷いてみせる。
思わぬ事実を聞いて、呆れたように片手で顔を押さえていた拓也に目配りしてみせると、元樹はさらに続けた。
「とりあえず、当初の予定どおり、黒峯玄の父親達の目を、雅山達から主題歌オーディションに向けさせることには成功した。あとは、綾がレッスンなどを受ける際に、どうやって、黒峯玄の父親達から護っていくかだな。さすがに、『対象の相手の姿を変えられる』パワーアップバージョンの魔術を使っても、時間的に厳しいからな」
「…‥…‥そうだな。やっぱり、黒峯玄の父親が、主題歌オーディションの後、綾花に何かをしてくるのは間違いなさそうだな」
拓也は静かにそう告げて顎に手を当てると、真剣な表情で思案し始める。
「なら、元樹、思いきって、レッスン自体を欠席にしたらどうだ?」
拓也の提案に、元樹は納得したように頷いてみせた。
「確かに、その手はありかもな。だけど、レッスンを欠席にした場合、下手をすると、また、雅山を狙ってきたり、俺達の裏をかかれることになるかもしれない。せめて何か、俺達が優位に事を運べることがあればいいんだけどさ」
「…‥…‥むっ。ならば、今度こそ、それらは全て、我の魔術を使えば、どうとでもなる。麻白ちゃんのマネージャーになれなくても、我の魔術でならーー」
「なるほど、舞波の魔術か。なら、決まりだな。舞波、綾をーー麻白を護る役目はおまえに任せる。その代わり、綾をーー麻白を護るために、重大なことをお願いしたい」
言い淀む昂の台詞を遮って、元樹が先回りするようにさらりとした口調で言った。
その、まるで当たり前のように飛び出した意外な言葉に、さしもの昂も微かに目を見開き、ぐっと言葉に詰まらせた。
だが、次の思いもよらない元樹の言葉によって、昂とーーそして綾花と拓也はさらに不意を打たれ、驚きで目を瞬くことになる。
あっけらかんとした表情を浮かべていた綾花に対して、元樹は至って真面目にこう言ってのけたのだ。
「そして、綾、辛いかもしれないが、主題歌オーディションの後、しばらく、麻白として振る舞ってくれないか?」
「…‥…‥えっ?」
その意味深な元樹の言葉に、綾花は意図が分からず、戸惑うように目を瞬かせてしまう。
綾花に対してあくまでも真剣な表情で懇願する元樹に、拓也は訝しげに眉をひそめる。
「おい、元樹。どうする気だ?」
「まず、綾をーー麻白を担当することになるマネージャーに会って、麻白のレッスン時などのサポートをさせてもらうための交渉をしようと思う」
「はあ?交渉?」
予想外の元樹の言葉に、拓也は思わず、意表を突かれる。
元樹はつかつかと近寄ってきて、拓也の隣に立つと、ぎりぎり聞こえるくらいの小さな声で言った。
「ああ。麻白が事故の後遺症の影響で、記憶の欠落と度々、頭痛が起こったりしていることは、既に知れ渡っているからな。そのサポートを、大会だけではなく、レッスンやレコーディングの時にもさせてもらおうと思う」
「なるほどな」
苦々しい表情で、拓也は綾花の方を見遣る。
目下、一番重要になるのは、黒峯玄の父親達の行動だ。
黒峯玄の父親の目的は、綾花を麻白にすることだ。
今回の主題歌オーディションを発端として、このまま、綾花を自分のもとに留めておくつもりかもしれない。
それだけは、何としても防がなければならない。
本来なら、主題歌オーディションそのものを受けない方が良かったのかもしれない。
しかし、雅山達を護るためには、黒峯玄の父親達の目を、こちらに向かしておかなくてはならなかった。
八方塞がりな状況に悩みに悩んだ拓也達が導き出した結論は、今までと同じように綾花のそばで護るーー現状維持という儚きものだった。
しかし、この結論さえも、何の根拠もないものだと分かり得ている。
だが、それでも、綾花をーーそして、雅山達を護るためには、この方法しかないと拓也は思った。
元樹はオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第三回公式トーナメント大会前に、玄の父親から告げられた内容を思い返し、深刻そうに言った。
「それにしても、雅山達を狙ってきたことといい、黒峯玄の父親は、どんな手段を使っても、綾を麻白にしようと躍起になっているのかもしれないな」
「ああ、そうだな。だけど、それでも、俺達は綾花にーー麻白に、玄達を会わせてーー」
「うむ。心配するな、綾花ちゃん」
何かを告げようとした拓也の言葉をかき消すように、不意に昂の声が聞こえた。
拓也が昂がいる方向に振り向くと、昂は一呼吸置いてから意気揚々にこう告げた。
「今度こそ、我の魔術で黒峯蓮馬を返り討ちにしてくれよう。そして、綾花ちゃんをーー麻白ちゃんを護ってみせるのだ!」
「ふわっ、ちょ、ちょっと、舞波くん」
それだけ言い終えると、ついでのように昂が綾花の背中に抱きついてきた。
「おい、舞波!綾花から離れろ!」
「我は、大好きな綾花ちゃんを護らなくてはならぬ!」
ぎこちない態度で拓也と昂を交互に見つめる綾花を尻目に、拓也は綾花から昂を引き離そうと必死になる。だが、昂は綾花にぎゅっとしがみついて離れようとしない。
「ふわわっ」
激しい剣幕で言い争う拓也と昂に対抗心を覚えたのか、気がつくと元樹は右手を伸ばし、綾花の腕を無造作につかんでいた。
「…‥…‥も、元樹くん?」
顔を覗き込まれた綾花が、きょとんと顔を上げる。そして、元樹と視線が合うと、今度は恥ずかしそうに俯いて頬を赤らめた。
それにつられて、綾花の顔を覗き込んでいた元樹も、顔を真っ赤に染めて思わず視線を逸らしてしまう。
「おい、元樹!」
「おのれ~、貴様!我が、綾花ちゃんに抱きついているのを邪魔するとは許さぬでおくべきか!」
拓也と昂のいつもの反応に、元樹は一瞬、目を丸くした後、今度は声を立てて笑った。
そのまま笑い出したい自分を抑えながら、元樹は言う。
「はははっ、拓也らしいな。まあ、俺も拓也と一緒で、綾を離すつもりなんて毛頭ないけどな!」
「一緒にするな!」
「あっ、悪い。舞波とは違うから安心しろよ」
呆れ顔の拓也にそう言われても、元樹は気にすることもなく思ったことを口にする。
「ううっ…‥…‥」
激しい剣幕で言い争う拓也と昂と元樹に、綾花は身動きが取れず、窮地に立たされた気分で息を詰めていた。
玄の父親から、あかり達を護るためにーー。
麻白が、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ4』の主題歌を歌うことへのプロデュースをするという、不可思議で奇妙な四人の共同作戦が、こうして幕を開けたのだった。




