第十章 根本的に複雑に絡み合った四角関係
2話分できたので、明日も投稿する予定だったりします(*^^*)
「陸上部の応援?」
「そう、今度の日曜日に陸上部の競技大会の予選があって、布施先輩も出場するみたいなの。だから私、応援に行こうと思っているんだけど、それに綾花達も一緒について来てほしいの」
放課後の渡り廊下にて、茉莉から思いもよらない言葉を告げられて、拓也と綾花はただただぽかんと口を開けるよりほかなかった。
すべてはその一言から始まった。
「な、なんだ?それは」
茉莉からの突然の懇願に、拓也は思わず唖然として首を傾げた。
だが、茉莉はそれには返事を返さずに、さらに先を続ける。
「ほら、布施先輩って結構、人気あるから、私一人じゃ心細くて」
「…‥…‥で、でも、私がいても、茉莉のフォローとか何もできないよ」
綾花はうろたえ、そして困り果てた。
一緒に布施先輩の応援をしてほしいと言われても、どうしたらいいのか分からなかったのだ。
茉莉はそんな綾花の気持ちを汲み取ったのか、 手をぱんと合わせて懇願した。
「一緒にいてくれるだけでいいの!布施先輩の競技を、大きな大会で見るのって初めてだから、私、すごく緊張しちゃって」
「あのな、星原。それなら、俺達じゃなくて霧城とかに頼めばいいだろう?」
「亜夢はその日は用事があってダメなのよ!お願い、付き合って!」
拓也が呆れたような声で言うと、飛びつくような勢いで茉莉は両拳を突き上げて頼み込んできた。
渋い顔の拓也と幾分真剣な顔の茉莉がしばらく視線を合わせる。
先に折れたのは拓也の方だった。
身じろぎもせず、じっと拓也を見つめ続ける茉莉に、拓也は重く息をつくと肩を落とした。
「…‥…‥分かった。俺達も一緒に行けばいいんだろう」
「ありがとう、井上くん」
苦虫を噛み潰したような顔でしぶしぶ応じる拓也に、茉莉はきょとんとしてから弾けるように手を合わせて笑った。
じゃあ、今度の日曜日にね、と告げた綾花達と別れ、茉莉は一人、教室に戻ってきた。
だが、ホワイトボードの前に立っていた人物ーー元樹を見て、茉莉は思わず小首を傾げる。
「あれ、布施くん、どうかしたの?今日も部活じゃなかった?」
「…‥…‥星原に頼んだことが気がかりで少し抜けてきたんだよ」
「あっ、そのことなら大丈夫よ。ばっちりOK、もらえたから」
茉莉は頷くと元樹に向かって、ピースサインを形作ってみせる。
そういうことだった。
綾花達に布施先輩の応援に付き合ってもらうことで、綾花が元樹の試合を見にくることを演出してほしいという、元樹からのたっての願いだったのだ。
「そうか」
だが、良い返事をもらえたのにも関わらず、上の空な言葉を口にする元樹に、茉莉は不満そうに肩をすくめてみせる。
「もう、もう少しねぎらいの言葉とかないの」
「なあ、瀬生って、さ」
元樹は話の流れを変えるようにがらっと口調を変えて言った。
少しタメがあるのが気になり、茉莉は不満を口にするのを止めて元樹の方を振り向く。
そうして口にされたのは、思いもよらない言葉だった。
「前と印象、変わったよな」
核心を突くような元樹の言葉に、茉莉は目を見開いて正面の元樹を見た。
心惹かれるような思いで、元樹は茉莉に言う。
「前は自分から他のクラスや他学年の奴らと話をしたりすることってなかったよな。なんていうか、本当に前向きになったっていうか、強くなったっていうか、最近の瀬生って頑張っているなって思った」
ぽつりぽつりと紡がれる元樹の言葉に、茉莉はぱちくりと瞬きをした。
「確かにね。あの舞波くんとも対等に話せるようになったみたいだし、まあ、綾花なりに周りと打ち解けようと頑張っているのかもしれないわね」
「そうだな」
元樹がふてぶてしい態度でそう答えると、茉莉は意味ありげな表情で元樹を見た。
「ーーなんだ?」
元樹が戸惑ったように訊くと、茉莉はにっこりと笑って言った。
「別に。ただ、布施くんが言っていた好きな人って、本当に綾花なんだなと思ってー」
「ああ、そうだよ!悪いか!」
噛みしめるようにくすくすと笑う茉莉に、半ばヤケを起こしたように元樹が叫ぶ。
しかし、茉莉はすぐに表情を曇らせるとぽつりとつぶやいた。
「…‥…‥でも、綾花には井上くんがいるからね」
「分かっているから、困っているんだ」
視線を逸らして言葉を濁らす茉莉に、元樹は不服そうに言い返す。
「綾花、行くぞ」
その時、窓の外から誰かが綾花のことを呼んでいる声がした。
元樹と茉莉がこそっと教室の窓から覗き込むと、拓也が真剣な瞳で綾花を見つめていた。
「待ってよ、たっくん!」
昇降口前だというのに、綾花は人目もはばからず、拓也に勢いよく抱きついてきた。そして、不安そうにきょろきょろと辺りを見回すが、何もないことに気づくとほんの少しだけ表情に寂しさを滲ませた。
「綾花、どうかしたのか?」
拓也が素直に疑問を口にすると、綾花は掠れた声で答える。
「今日は昂…‥…‥じゃなくて、舞波くんは本当に休みなんだなと思って…‥…‥」
「まあ、昨日の今日だからな。たっぷり絞られているんだろう」
「…‥…‥舞波くん、大丈夫かな」
こちらに気づいた様子もなく、拓也と綾花は他愛ない会話をしながら正門へと歩いていく。
その仲睦ましげな様子を、教室の窓から絶え間なく眺めていた元樹は神妙な表情のまま、茉莉に振り返った。
「…‥…‥星原、協力してくれてありがとうな」
「むっ、なんか今更って感じなんですけれど」
「悪いな。恩に着る」
ぷんぷんと怒ったように言う茉莉に対して、元樹は片手を掲げると感謝の意を示した。
「…‥…‥おかげで、試合は頑張れそうだ」
元樹がぽつりとつぶやいた独り言は、誰の耳にも届くことはなかった。
「結構、盛り上がっているんだな」
感慨深げに、拓也は周りを見渡しながらつぶやいた。
陸上部の競技大会予選当日、綾花達は陸上競技場を訪れていた。 綾花達の学校の陸上部はいつも全国区の大会で立て続けに入賞し、名をはせているため、観客の数も半端なかった。
「本当、すごい人だね」
拓也の言葉に綾花は頷き、こともなげに言う。
そんな彼らのあちらこちらから、他の観客達の声援がひっきりなしに飛び込んでくる。
その様子をよそに、茉莉は周囲を窺うようにしてからこそっと小声で綾花につぶやいた。
「ねえねえ、綾花」
「どうしたの?茉莉」
言い募る茉莉に、綾花は不思議そうに小首を傾げてみせる。
意味ありげに微笑みながら、茉莉が綾花に訊いた。
「布施くんって、どう思う?」
「えっ?」
その言葉に、綾花はきょとんとした顔をした。
だがすぐに、綾花は茉莉に向かって花咲くような笑みを浮かべるとありていに答えてみせる。
「たっくんのお友達だよ」
「…‥…‥うーん、そういうことじゃないんだけど。…‥…‥まあ、いいか」
綾花らしいまっすぐな答えに、茉莉はことさらもなく苦笑する。そして、ぎゅっと拳を握りしめると、フェンス越しに必死に声援を送り始めた。
「布施先輩!」
「…‥…‥おい、星原」
「布施先輩、頑張って!!」
拓也の声が虚しく響くほど、茉莉は布施先輩に対して熱狂的な声援を送り続けていた。布施先輩が自己ベストを更新したためか、さらに歯止めがつかなくなっていく。
「…‥…‥応援は、星原一人でも大丈夫そうだな」
「…‥…‥うん」
ため息とともにそう切り出した拓也に、綾花は浮かない顔でこくりと頷く。
その様子を見かねた拓也が怪訝そうに綾花に訊ねた。
「綾花、どうかしたのか?」
「…‥…‥ペンギンさんのアクセサリーがないの」
綾花は泣きそうな顔で言葉を詰まらせた。
言われてみれば、いつも鞄につけているペンギンのアクセサリーがいつのまにかなくなっている。
「綾花、大丈夫だ」
一緒に探そう、と拓也はそう言いかけて思い止まった。
陸上競技場は人混みに溢れており、ペンギンのアクセサリー、一つ探すのも一苦労だった。星原も陸上部の応援に夢中になっていて、協力を頼めそうにもない。とてもじゃないが、二人で探していては埒が明かないだろう。
代わりに、拓也はこう言った。
「二人で手分けして探そう」
綾花は微かに肩を震わせた後、握りしめた拳に力を込めて俯き、
「…‥…‥うん」
と、小さな声で応えた。
競技場へ向かう通路の途中で、元樹は鞄を抱えた綾花がしょんぼりとうなだれている姿を見かけた。何かを探しているかのように、視線をきょろきょろとさ迷わせている。
元樹は声をかけようかかけまいか迷うように何度か長く息を吐いた後、ようやく重い口を開いた。
「瀬生、何しているんだ?」
「あっ、布施くん」
元樹が近づくと、綾花は顔を上げて驚きの表情を浮かべたが、すぐにみるみる眉を下げて哀しそうな顔になった。
元樹は乾いた声で、もう一度、同じ質問をする。
「何しているんだ?」
「…‥…‥ペンギンさんのアクセサリーを探しているの」
綾花は視線を落とすと、ぽつりとそうつぶやいた。
元樹が綾花の視線を追うと、いつも彼女が鞄につけて肌身離さず持っているペンギンのアクセサリーがなくなっていることに気づく。
元樹は何気ない口調で訊いた。
「なあ、瀬生って、いつもそのアクセサリーをつけているよな?何でだ?」
「…‥…‥あのアクセサリーは、たっくんが私に初めてくれた…‥…‥もの、なの…‥…‥」
言葉に詰まった綾花は顔を真っ赤に染め、もういっそ泣き出しそうだった。
拓也からもらったというアクセサリーをなくして哀しそうにうつむいている綾花を見ていると、元樹は嫉妬で息が詰まりそうになった。
「そ、そんなに拓也のくれたものが大事なのかよ!」
「…‥…‥うん」
元樹が思わず責めるような口調で言うと、綾花は力なくだが、しかしはっきりと首を縦に振る。
「…‥…‥俺はーー俺の方が」
元樹はカッとした。
言葉を途切らせた後、 苛立つ心のまま、元樹は声の限りに叫んだ。
「瀬生が必要なんだよ!」
「えっ?」
綾花が驚いて目を見開くと、元樹は肺に息を吸い込んだ。
ためらいも恐れも感じてしまう前に、元樹は声と一緒にそれを吐き出した。
「俺は瀬生が好きだ!」
何度、その言葉を口にする場面を想像の中で繰り返してきただろう。
瀬生が自分のその言葉を聞いて、ひどく困惑した顔をすることは目に見えていた。
瀬生は拓也の彼女だ。
拓也の彼女ーー。
喉が引き裂かれそうなほどそう思いながら、元樹は不安と苛立ちで気が変になりそうだった。
「あっ…‥…‥」
だが、押さえに押さえてきた最後の感情の砦は、元樹の告白を聞いて戸惑う表情浮かべた綾花を見た途端、全て崩壊した。
一連の出来事で動揺していた綾花は、次に元樹がとった行動に虚を突かれることになる。
伏線も予備動作も思わせぶりな態度もなく、突然、綾花に顔を近づけてきた元樹は後ずさろうとした綾花が壁に背中をつけて下がれなくなったところを見計らってそっと綾花の唇に自分の唇を重ねた。
矢継ぎ早の展開。それも唐突すぎる流れに、綾花は一瞬で顔が桜色に染まってしまう。
「ーーなっ!」
声がして振り返ると、険しい顔をした拓也が立っていた。
「ううっ…‥…‥たっくん」
「おい、元樹!」
ぎこちない態度で拓也と元樹を交互に見つめる綾花を尻目に、拓也は元樹から綾花を引き離そうとする。
だが、元樹が綾花を背に、行く手を阻むようにして立ち塞がるのを見遣ると、拓也は顔をしかめた。
「おまえ、前に綾花のことはタイプでないって!」
「前はな」
苛立たしそうに叫んだ拓也に、元樹ははっきりとそう告げると背後の綾花へと向き直る 。
「ふ、布施くん…‥…‥」
そして、透き通った瞳に涙を浮かべて声を震わせる綾花に、元樹はキスできそうな距離にまで再び顔を迫らせていく。
その時、不意に綾花が元樹を両手で突き飛ばした。
おとなしい綾花らしからぬ予想外の反応に、元樹は目を見張り、そして顔を驚愕の色に染めた。
何故なら、今までの怯えた顔から一転して、綾花は鋭い眼差しで元樹を睨みつけていたからだ。
「…‥…‥瀬生?」
「…‥…‥やばっ」
反射的に距離を取った元樹に、綾花に見える少女は、綾花がしないような仕草でしまったというように顔を押さえ、困り果てたようにため息をつく。
混乱と動揺を何とか収めた元樹は、流れるように呆気にとられていた拓也へと視線を向ける。
片手で顔を押さえていた拓也は、元樹の視線に気づくと朗らかにこう言った。
「綾花、ここでは上岡として振る舞うなと言っただろう」
衝撃的な言葉は、その場の空気ごとすべてをさらっていった。