第一章 根本的には何も変わらない ☆
遅くなってしまいましたが、活動報告に書いていました新作の小説です。憑依ものなのですが、ほのぼのなお話にしていきたいなと思っています。
学園ものは初めてだったりします。いつも異世界ファンタジーものしか書いていなかったので、いろいろと間違えていたらすみません。
連休前の終業のホームルームは、いつもより少しだけ連絡事項が多かった。
日直の号令に合わせて挨拶を済ませると、瀬生綾花はすぐにいつも通り舞波昂がいる隣のクラスに向かうため、鞄とサイドバックに手を伸ばそうとした。
だが、今日はその寸前で声をかけられた。
「ねえ、綾花って、どうして学校一変わり者の舞波くんといつも一緒に登下校しているの?」
顔を上げた綾花の前に立っていたのは、同じクラスで友達の星原茉莉だった。
「あのね、茉莉。いろいろとあったの」
「もう、綾花。それ、理由になってないってば!」
綾花が少し困ったようにはにかんでそう答えると、茉莉は不満そうに口を尖らせた。
「舞波くんの家って、怪しい魔術書がいっぱい置いてあるって噂だよ。絶対、近寄らない方がいいって!」
「で、でも…‥…‥」
「それに舞波くん、綾花のマンションの周りをうろうろして待ち伏せしていたみたいなの」
「そうなんだ…‥…‥」
「ねえ、たまにはさ、私達と一緒に帰らない?」
「えっと…‥…‥」
困り果てた綾花を救ったのは、彼女と同じクラスの男子生徒だった。
井上拓也ーー綾花の幼なじみで、綾花の彼氏でもある。
「やめろって星原。ほら、綾花が困っているだろう?」
拓也はたしなめながら、綾花と茉莉の間に割って入った。
「もう!井上くんもさ、どうしてあの舞波くんと登下校しているのよ?」
「うっ、それは…‥…‥」
痛いところを突かれて、拓也は言葉を詰まらせた。
「井上くんも綾花もさ、前はあんなに舞波くんのこと、遠ざけていたじゃない!付きまとわれて困っているって!」
「…‥…‥まあ、いろいろとあってな」
「…‥…‥むっ、井上くんも、綾花と同じこと、言ってる。ねえ、どうしてよ?」
「それはゲームがほしーー」
拓也が慌てて右手で綾花の口を塞いだ。
綾花はきょとんとした顔で顔を上げると、拓也が綾花に目配りをしてみせる。
綾花はハッとした。
「あ、俺達、そろそろ行かないと」
「ーーあ、うん。茉莉、また、今度、一緒に帰ろうね」
鞄とサイドバックを掴むと、逃げるようにして拓也は綾花の腕を掴むと教室から出たのだった。
廊下に出た二人はお互いの顔を見合わせると、思わずほっと息をつく。
だが、すぐに厳しい表情で、拓也は綾花を見た。
「ゲームのことは言うな、って言っているだろう」
「だって、いつも貰っているのは本当のことだし…‥…‥」
綾花はほんの少しむくれた表情でうつむき、ごにょごにょとつぶやく。
相変わらずズレたことを口にする綾花に、拓也は思わず頭を抱えたくなった。
「綾花は本来、そういうのには興味がないんだ。余計なことは言うな」
「…‥…‥うっ、たっくんの意地悪」
「そうやってすぐに拗ねるところは、綾花らしいよな」
拓也はそう言って表情を切り替えると、面白そうに綾花に笑いかけた。指摘された綾花は思わず赤面してしまう。
「…‥…‥ううっ。それ、どういう意味?」
「まあ、気にするな。綾花は綾花ってことだ」
「気になるー」
そう言ってふて腐れたように唇を尖らせる綾花の頭を、拓也は優しく撫でてやった。
いつものやり取りの中、拓也はこうなってしまった原因の出来事をふと頭の片隅に思い浮かべていた。
「なあ、本気でやるのかよ?」
半ば呆れ気味に、半ば恐怖を込めた表情で、彼ーー上岡進はそう訪ねた。
話しかける進の眼前には、進に背を向け、道路の一角に視線を向けながら、まだかまだかと誰かを待ちわびる進と同じ年頃の少年の姿があった。
「当たり前だ」
少年が振り返り、進に応えた。
「もうすぐ、綾花ちゃんがこの道を通るのだからな」
少年は力強く、そう力説した。
そう告げる彼ーー舞波昂の憧れの的、瀬生綾花。
高校の入学式で初めて出会った彼女のことを、昂は好きになっていた。昂は、その思いを伝えようと手紙を書き出した。いわゆるラブレターというやつだ。
昂はラブレターを書いた翌日、勇気をふり絞って綾花に手紙を渡した。だが、結果は惨敗だったらしい。
当然だな、と進は思った。
彼女には幼なじみで、すでに付き合っている彼氏がいたからだ。それに何よりも、昂自身が敬遠されたのだろう。
進の友達の昂には、いろいろといわくつきの問題があった。
部屋には、何やら怪しい魔術書がいっぱい置いてあるし、いつも学校から帰ると、自室に籠りきりで出てこない。何でも毎日、重大な儀式を執り行っているらしい。本当かどうかは定かではないがーー。
「今度こそ、綾花ちゃんは我の彼女として、華々しいデビューを飾る…‥…‥はず!」
進から再び道路の一角に視線を戻すと、昂はガッツポーズをした。
「…‥…‥はず?」
進が、昂の言葉を聞き咎める。だが、昂はあえて進の言葉を無視した。
何故なら、道路の一角に綾花らしき姿を発見したからだ。
「来たな」
昂は意気込んでつぶやいた。
実のところ、この時になってもまだ進は昂が好きになった少女のことをよく知らなかった。
あの引きこもりがちな昂が初めて惚れた少女。
とにかく、昂は彼女に無我夢中になっているらしい。
進に分かっていたのは、その二点だけだった。
でも、それを言い出したら、話がややこしくなるのが目に見えているのであえて突っ込まない。
「あ、ああ」
進は言葉を押し殺し、とにかく頷いてみせた。
それにしても、あの昂が好きになるほどの少女だ。
どんな美少女なのだろう。
ーーそんな進の想像に反して、目の前に現れたのは小柄な少女だった。
一見、どこにでもいるような普通の少女だ。サイドで高めに結んだ長い黒い髪はゆるやかに巻かれていた。宝物でももらったかのように頬をふわりと上気させて、隣にいる彼氏に対して嬉しそうに笑っている。それは見ている方も自然と笑顔になってしまうような可憐な顔立ちだった。開き始めたつぼみのようにほんわかとした可愛らしさがある。
「…‥…‥」
進はその柔らかな雰囲気に引き込まれて、ついぽかんと口を開けたまま、彼女を見ていた。
「綾花ちゃん~」
その声に、綾花から昂に視線を戻した進は思わず目を見開いた。
いつの間にやら昂が駆け出し、そのまま綾花に抱きつこうとしていたからだ。綾花の彼氏である少年ーー拓也によってそれは何とか防がれたようだが、当然のことながら、綾花は非常に困ったような顔をしていた。
だが、昂はそれには全く気づかず、話を捲し立てまくった。
「好きだ!大好きだ!いい加減、我の彼女になるべきだ!」
昂があまりにも直接的な告白をぶつけたので、進は苦り切った顔をして額に手を当てた。
「たっくん…‥‥…」
綾花は顔を蒼白にして、そうつぶやいた。
怯えた表情を浮かべる綾花を守るようにして、拓也がきっぱりと昂に告げた。
「綾花は俺の彼女だ。今後一切、手を出さないでもらおう」
「ーーなっ!?」
一瞬にして、昂の喜びは複雑骨折してしまった。
拓也が拒絶の証のようにこう続ける。
「いつもいつも、綾花にまとわりつくな!もう二度と、綾花に付きまとわないでほしい!」
「待てーー」
昂はそう叫ぼうとした。
だが、拓也は昂の返事を待たずに綾花の手を引くと、足早にその場から立ち去っていった。
「…‥‥…」
昂は、完全に打ちのめされていた。まさに撃沈といっても過言ではないだろう。
「…‥‥…おい、昂」
絶句する昂に対して、進はおそるおそる、といった風情で昂に近づいていった。
「…‥‥…こうなったら、最後の手段だ」
感情の読み取れない声で、昂は顔を上げるとそうつぶやいた。
「はあ?最後の手段?」
「そう、最終手段だ!」
進が訊くと、どこまでも力強く、昂は宣言した。
その力強さがかえって、進に大きな不安を抱かせた。
「また、迷惑行為じゃないだろうな?」
「我は迷惑行為などした覚えがない」
「今、していただろう!」
進は顔をしかめ、すぐに反論した。
その言葉に、昂は意外そうな顔をしてわずかに首を傾げる。
「むっ?ただ、いつも、陰ながら彼女の様子を見守ったり、つい衝動で彼女に抱きつこうとしていただけではないか?」
「それを迷惑行為っていうんだよ!」
吐き捨てるように言って、進は昂を睨みつけた。
「だいたい、その最終手段っていうのはなんだよ?」
進が苛立たしげに尋ねると、進を見つめる昂の目の光が一層強くなった気がした。
かくして、昂は進に言った。
「進を綾花ちゃんにしてしまえばいい」
昂は、夢を見るような表情を浮かべてうっとりと言った。
はあ…‥…‥?
俺を彼女にする?
もしかして、昂の奴、振られたショックのせいで正気を失っているのではないだろうか?
正気なら、そんな馬鹿げたことを言い出すはずはない。
だけど、進のその判断は早すぎた。
「別に進を綾花ちゃんにするわけではないぞ」
と先回りするように、昂は人差し指を立てて含み笑いをした。
「進を綾花ちゃんに憑依させる」
昂はなんでもないことのようにさらりと言ってのける。
その昂の言葉を聞いた瞬間、進は息を呑んだ。
昂は何を言っているのだろう?
俺を彼女に憑依させる?
そんなこと、できるはずがないのに。
「まあ、進はできるはずがないとか思っているだろうな」
昂は進の心を見透かしたようなことを言って、何度も頷いてみせた。
「だが、可能だ。我の素晴らしい頭脳をフル稼働してさまざまな書物を研究した結果、綾花ちゃんを我に振り向かせるにはこの方法がもっとも最適だという結論が出たのだ。どのような魔術書においても、好きな子を振り向かせるには、最終的にこの方法が効果的だと長々と語っていたからな」
「ろくでもない本ばかり読むな!」
昂の講釈に、進は顔を真っ赤に染めて怒号を上げる。
その言葉に、昂は渋い顔をして進を見た。
「仕方あるまい。我には友と呼べる者は進しかおらん。まあ、もっとも未来の支配者たる我に対等な相手はそうそういないがな」
「俺はそんな馬鹿げたことに協力なんてしないからな!」
腰に手を当ててきっぱりと言い切った進に、昂は不愉快そうに顔を歪めた。
「むっ。否、進の協力は必要不可欠だ。我が綾花ちゃんになっては、綾花ちゃんを我の彼女にするということにはならないからな」
「だから、俺は絶対にそんな無茶苦茶なことに協力なんてしないから!」
当然の進の否定の言葉に、昂は表情を消し、顔を俯かせた。だけど、それはほんの一瞬のことだった。昂はすぐに顔を上げると、進を睨みつけた。
まるで、進が憎悪の対象であるかのようにーー。
「進が、我の考えに否定的なのは分かった。だが、進を綾花ちゃんにすることを諦めるつもりはない」
本気の表情で本気の口調だった。
昂の言葉からは、ある種の憎しみさえ感じとれた。
昂のまるで絶対に起こりうるかのような物言いに、進はひどく動揺した。
進の戸惑いを無視して、昂は続けた。
「だから、こうする」
昂がそう告げたと同時に、どんっ! という鈍い音がした。遅れて、鈍痛が進の後頭部を襲う。
「悪いが、進が綾花ちゃんになることは我の計画の一部に含まれている。ーーそう、これで綾花ちゃんは我の彼女だ!」
昂の陽気な声が聞こえてくる。自分が昂に後頭部を一撃されたのだと理解したのは、意識を失うその瞬間のことだった。
そしてーー
唐突に時間がーー飛ぶ。
暗転。
気がつけば、どこかの道端にて倒れている自分がいた。
「綾花ちゃん~」
不意に背中にかけられた言葉。
聞き覚えのあるその声に、拓也は振り返った。その後ろで、不安そうに綾花は拓也を見つめている。
「もう二度と、綾花につきまとうなと言ったはずだ」
刺すような拓也の言葉に、昂は薄く目を細める。
「綾花ちゃんは、もう我の彼女になったのだ!…‥‥…いや、これからなるのだったな」
拓也の質問には答えず、昂は意気揚々と嬉しそうに、だが明らかに不可解なことを告げた。
拓也の理解が及ばない言葉。
だが、問題はそれではない。
もっと根本的な疑問をぶつける必要がある。
「それって、どうーーっ!?」
それって、どういうことだ。
そう続けようとした拓也の背後で、程なくして、綾花はそのまま意識を失って倒れた。
まるで初めから、それは仕組まれていた出来事だったかのように。
「ーーは?」
突如、起こった不可解な現象に、拓也は眉をひそめた。
「これで、綾花ちゃんは我の彼女だ」
意味深に笑うと、昂はその場に倒れた綾花に近づこうとする。
「ーー綾花!」
慌てて綾花を抱き起こす拓也に対して、昂は拓也達の目の前に立つと囁くように言った。
「綾花ちゃんを渡してもらおうか?」
「ふざけるな!おまえ、綾花に何をした?」
「う~ん」
通路で昂と言い争いになりかけていた拓也は、突如聞こえてきた第三の声に固まった。
綾花は自分の置かれている状況に気づくと、呆然とした表情で目を丸くした。
「あれ?」
「綾花、大丈夫か?」
「あっ、うん…‥‥…」
拓也の訴えにも、綾花は困惑したように眉を寄せるだけで要領を得ない。
「…‥‥…おまえ、綾花に何かしたな」
低く唸るように言った拓也に、昂は笑みを深める。
「もう綾花ちゃんは我のものだ」
「どういうことだ?」
混乱する拓也を尻目に、昂は綾花に手を差し伸べて言った。
「さあ、進。我の彼女になるのだ」
その言葉に、拓也は目を見開いた。
ーー進?
上岡進のことか?
確か、あいつとーー舞波と同じクラスで、唯一、舞波と仲がよい人物だったはずだ。
その人物と綾花に、何の関係があるというのだ?
「なに言っているのよ!昂」
よく見ろと言わんばかりに自分の顔を指差しながら、綾花は怒ったように言った。
「決まっているだろう。進が綾花ちゃんになったのだから、我の彼女になることは必要事項だ」
上岡が綾花になった?
ますます訳が分からないことを告げる昂に、拓也の顔が目に見えて強張る。
だが、綾花はそのことを訊ねたわけではなかった。
昂の台詞を遮って、綾花はもう一度、叫んだ。
「違うの!私は確かに進だけど、綾花でもあるの!」
そうして口にされたのは、思いもよらない言葉だった。
これには拓也も、この計画を企んだ当の張本人である昂も唖然とした。
「なにを言っているのだ?進」
「綾花?」
不思議そうに問い返してくる昂と、状況がいまいち呑み込めない拓也が、綾花をまじまじと見た。
拓也の姿を視界に捉えると、急速に綾花の勇気は萎えていく。それでもギリギリのところで踏みとどまり、残された全ての勇気を動員して綾花は告げた。
「私の中には、綾花としての心だけじゃなくて、進としての心もあるの!」
その瞬間、拓也も昂も凍りついたように動きを止めた。
舞波昂が、瀬生綾花に告白し、振られたその日ーー。
上岡進は忽然と姿を消し、瀬生綾花の心の一部となった。