日課
─部屋の窓から外を見る─。
隣家の庭、雨の日を除いた日課。
そこに見える少年はジャージを着て、何度も同じ行為を繰り返していた。
部屋中に鳴り響く無機質な電子音で私は目を覚ました。
薄ピンク色をしたカーテンの隙間からうっすらと太陽の光が射し込でいる。
ゆっくりと上半身を起こし、ベッドボードに置かれた目覚まし時計を止めると、両手で右脚を支え、腰の位置をずらし深く座り直す。「ん~っ」という意識せずに発せられた言葉と共に右手を天井に掲げ伸びをすると、そのまま寝ぼけている頭に添え、髪を手櫛で直すように撫でながら見るともなく室内に目を向けた。
白い壁、ベッドの左隣には大きめの窓、向かって反対側には勉強机があり、その上には可愛らしいウサギやネコのヌイグルミが教科書や参考書に挟まれて飾ってある。その左奥にはこの部屋の入口となるドアが設置されており、ドアの横に壁面収納タイプのクローゼットの扉が見える。前には女性用のスクールブレザーと横にピンクのラインが入った白いジャージが掛けて吊るされている。服のサイズからして、年頃の女の子としてはごく普通なサイズだ。
頭がはっきりしてくると、両手で身体を支え、這いずるようにしてベッドの上を移動し、窓から外が見える位置まで来ると、カーテンを開き、前のめりになる感じに外を覗く。
隣家のドアが開きジャージを着た少年が姿を現した。そのまま道路に出ると、軽く屈伸をし、首にかけられているイヤホンを耳にはめ、走り出す。
少年が見えなくなるまで見送ると、「今日も時間通りだね。よぉし、私も頑張ろうかな」身体の向きを変えると再度移動をし、ベッドに腰をかけるようにして座る。そして、すぐ横、勉強机との間に立てかけてあるモノに手を伸ばす。それは、人の足のような形をしている。
私には右脚の膝から下がなかった。
─義足─。
義肢の1つであり、切断された下肢の補充をし、起立や歩行を主な目的として使用される。
特別なその足を私は普段から使用をして生活をしている。
初めて義足を履いた時、脚の切断面にパーツが当たっている為、スキーブーツを長時間履いている時のような違和感と痛みがあり、こんなモノを付けないと私は歩くことも出来ないのか、と幼いながらも絶望感を抱いたのを今でも覚えている。
生活面でも色々な変化があった。
制作技術も向上し、何度か作り直した上で義足にも慣れた今では、日常動作もそれなりに出来るようにはなったが、最初の1年ぐらいは切断面の形が変わる為、仮義足、いわゆる練習用の義足を使用する事になる。その事もあってか、当初は交互に左右の足を前に出すことさえ難しく、階段を上る時も、3歳ぐらいの子が身体をフルに使って1段ずつ登るような感じでしか上がる事が出来なかった。
義足を履くと立ち上がり、部屋の中央まで来ると、上半身を左右にひねり、肩を回して身体をほぐす。軽く息を整え、両手を前に突き出し、それを徐々に上半身ごと膝を曲げずお辞儀をするかのように下げていく。手が足の指に触れると、それを維持して背筋を伸ばす。
こんな体勢でも、バランスを取ることは容易になっていた。
「だいぶほぐれたかな」今度は下半身のストレッチに入る。いきなり無理はせず、左脚の簡単なストレッチから始め、最終的には仰向けになり、股関節などを使ったものへと移行していく。その為、床はフローリングなのだが、母の計らいで水色の絨毯が敷かれていた。
片足がないから。そういった理由で誰かに頼ったりはしたくはない。他の人と同じ事をしたい。当たり前の事なのだが、私はこの考えだけは絶対にまげたくないと思っている。
ベッドボードに目をやると、置かれている時計が6時5分を指していた。
「今から着替えて出たら、丁度良い時間になるね」クローゼットの前へ行き、掛かっているジャージを手に取ると、ベッドに移動し、腰をおろす。
「やっぱり、これだけは面倒だなぁ・・・」愚痴をこぼしながら脚から義足を外して横に立てかけた。着ているブルーのパジャマのボタンを1つずつ外していく。汗で少し湿っていた。
着替えが終わると、部屋を出た。
私の部屋は2階にある。
当初は1階に用意される予定だった。だけど、私はそれを拒否した。
生活をする上で右脚への負担が少なく済むから。子供の部屋を用意するのに、通常、まずそんな理由で部屋を選んだりはしない。だから私は断った。
もちろん、両親・・・特に母が反対をした。しかし、考えが変わらないと察すると父が折れてくれたのだ。無理はしない。辛くなったら意地を張らずに頼る。条件付きではあるが、私はそれが嬉しかった。
廊下に出てすぐ、右の突き当たりにあるお手洗いを背に、両親の部屋を通過し、その隣の物置になってしまっている部屋の前まで来ると、ドアの向かいには下へと続く階段が横へと伸びている。
1階へ降りると、リビングの方から音が聞こえて来た。リビングはダイニングキッチンと繋がっており、母が朝食の準備をしているのだろう。
玄関とは逆、階段から左にあるリビングへと向かう。廊下と隔てているドアに手をかけると内側へと引き開けた。
「おはよう」
チョコレート色をしたウェーヴのかかったロングヘアー、私とほとんど同じぐらいの背丈、黄色いエプロンをし調理をする母の姿があった。
「おはよう。今日は何を作っているの?」
私のその問に、ニッコリと笑うと「パンの味期限が迫っててね、冷蔵庫を見たら、鮭のフレークに、パセリとチーズがあったからトーストでもと思って」オーブンを開け、具で飾られたパンを乗せたトレーを置く。
「そういえば、最近、朝はお米の時が多かったもんね。楽しみだなぁ」思い出すかのように視線を炊飯器に向けた。
「朝からチーズトーストはちょっと重いかなって思っていたから、楽しみって言われてホッとしたわ。 それより・・・今日も行くの?」そう言う母に視線を戻すと、笑顔でこそあるのだが、その表情にはどこか曇りが見えた。
「約束だし、もう日課になってるしね」眼を背けることなく答えた。
それを聞き、「そんな約束・・・」そこで言葉を呑み、少し間を開けると、「朝食までには戻って来るのよ」と続けた。
「うん。行ってきます」まだ何か言いたそうな母に背を向け、廊下へと戻った。
階段の先、玄関からすぐの位置にある洗面所へと来ると、歯磨きを済ませ、髪をヘアバンドで濡れないようにたくし上げ顔を洗う。横に掛けられているタオルで水を拭き取ると、鏡に目をやる。やや茶色ががったミュアンスミディな髪型、そのせいもあってか顔は小柄に見える。ヘアバンドを外すと、犬が水を払うかのように頭を振り、両手で頬を軽くパンッと叩いて「よしっ」と気合を入れた。
シューズボックスを開き、複数ある靴の中からベージュ色をしたウォーキングシューズを取り出す。それは紐ではなくマジックテープで固定するように出来ており、履口も大きめになっていて、義足でも履きやすく工夫されていた。
履き終わると鍵を開け外へと出る。汗をかいたこともあってか、少し肌寒く感じ、思わず腕組みをするように二の腕をさすった。
関口の表札を背に、バランスを意識しながらやや早歩き気味に足を進める。
人間は無意識の内に足の裏で微妙なバランス調整をしている。しかし、切断した脚ではそれができない。義足を履くことで足の裏を得る事はできるが、ある程度、気を配りながらでないと、上半身と連動せず、身体が前に行こうとしている段階で足だけが前にいってしまったりするのだ。
15分ぐらいかけて公園へと到着する。中央にある時計に目をやると、6時35分になっていた。
「そろそろ戻ってくるね」今さっき自分が来た方向とは別の、奥にあるもう1つの入口の方へと向きなおる。
2~3分は経っただろうか、会社に出勤するのであろうスーツを着た人達を何回か目で見送ると、その人達が向かった先からこちらへ走ってくる人影を発見する。徐々に公園へと近づいてくると、私に気がつき右手を振った。
傍まで来ると、イヤホンを外し、唾を飲み込むと息を整え「おはよ」と声をかけてきた。
朝、私が窓から見ていたジャージを着た少年。ベリーショートの横をややツーブロック気味にした黒髪、それなりに整った眉と通った鼻梁をしているが、丸みを帯びた頬が年相応の幼さを残している。そんな彼は幼稚園の頃からの幼馴染だ。
「お疲れ様。今日も車庫まで行ってきたの?」ここから約4キロぐらい先にバスの営業所があり、家からの往復で10キロになる為、目安として折り返し地点にしているそうだ。
暑そうに上着のジッパーを下げ「うちの高校は決まった朝練とかもないしさ、それにもう日課になってるから、やらないと逆に落ち着かないんだよ」インナーのシャツを手でつまむと波打つようにパタパタさせ風を送り込んでいる。私より頭1つ分背丈が大きい事もあり、ジャージの上からではシャープに見えたのだが、開いた胸元からは素人目にもそれなりに鍛えているのがわかる。
「でも、軟式野球部なんだよね?それでもレギュラーは難しいの?」私達の通う高校に硬式野球部はない。
彼は右手をスナップし[行こう]というジェスチャーをすると横へと並び、私の歩幅に合わせ共に家へと向かい歩き出した。
「お前も何度か試合を見に来ただろう?軟式って言っても上手い奴は沢山いるさ」
確かに、試合を見ていて何度も感心させられる事があった事を思い出す。
「やっぱり、そんなに甘くないよね... ごめんね、変な事を聞いちゃって」そう言った私に
「気にしてないし、謝る事でもないだろ」とこちらをみながら、少し呆れ気味な表情をしていた。
そんなやり取りをしている内に、公園から出てすぐの1つのT路地に差し掛かった。
私が片足になるきっかけの事故が起きた場所に...