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第六章 反乱

第六章


 図書室から自室への道を祐樹は歩いていた。その二つは別の建物にあったから、一度、外に出なくてはならなかった。

 突き刺すような寒さが祐樹を襲う。空気が乾ききっていて肌が痛かった。

 夜空を見上げると、満天の星空に三つの月が輝いていた。どの月も欠けていて、特にいちばん小さく、もっとも満ち欠けの周期の長い月は三日月よりも細くなっていた。

 一週間という期限を突きつけられて、祐樹の心には迷いが生じていた。自分には本当にこの世界でやり残したことはないのか――。

 そのとき、草を踏み分ける音とともに鉄のぶつかりあう音が響いた。

 兵士が槍を構えて立っていた。鉄の音は兵士の甲冑のこすれる音だったようだ。

「何か、用ですか?」

 ただならぬ雰囲気に祐樹は身構え、後ずさろうとした。

「逃げることはまかりなりません、ユウキ殿」

 祐樹の背後からその声は聞こえた。振り返るとそこには同じく槍を構えた兵士が立っていた。そして兵士は祐樹の両脇にも一人ずついる。

 完全に囲まれていた。

「どういうことですか」

 祐樹は両手を挙げた。

「それはこちらの台詞です。あなたには国家反逆の容疑がかけられています。ついてきてもらいます」

「ばかな」

 祐樹は反論しようとしたが槍を突きつけられてそれ以上はものも言えず、大人しく従わざるを得なかった。

 兵士たちに連れてこられたのは、城の地下にある牢獄だった。かろうじて足下が見える程度の明かりしかなく、淀んだ空気の異様な臭気が鼻を突く。他の囚人たちの排泄物や腐った食べ物の臭いだろう。

 牢獄には通路に面していくつもの牢があり、いずれも鉄格子で通路と仕切られている。どの牢にも一人は囚人がいたが、おしなべて皆、死んだように静かだった。そのことがこの牢獄の厳しさを物語っていた。

「ユウキ殿はここです」

 祐樹は兵士の指した牢を見て、心臓が止まるかと思った。

「よう」

 そこには薄汚れた金髪の男と栗毛の男がいた。祐樹は確かにその二人に見覚えがあった。

 間違いない。

 祐樹がこの街に来たときに祐樹を襲った男たちだ。

 どうやら天は完全に祐樹を見放したようだった。




 長い口づけを交わした。

 相手の体温が離れていくのを感じて、エルザは寂しい気分になった。

「エルザ、こっちに来るんだ。おもしろいものが見れる」

 エドワードがエルザをバルコニーへと誘う。

 バルコニーに出ると、夜気が身体の火照りを冷まして心地よかった。

「何ですか?」

「あれだ」

 エドワードの指す方を見ると、そこには兵士たちに囲まれた祐樹の姿があった。槍を突きつけられており、ただごとではないのが遠目にも分かった。

「あれは…?」

 エドワードから返事はなく、ただ楽しそうに祐樹が連れていかれる様子を眺めている。それがエドワードの仕業であることは明らかだった。

 突如としてこの城に現れた祐樹が、エドワードの婚約者たるアルマを巻き込んで国政に携わっていることを、エドワードが余りよく思っていないことはエルザも承知していた。エドワードは表向きは優しく寛容な性格をしているが、その内側は劣等感の塊だ。

 優秀な従兄アクセルに対する劣等感、国民の人気を一心に受ける従妹アルマに対する劣等感、エドガーに認めてもらえないという劣等感、王家の傍流であるという劣等感。努力ではどうにもできない――少なくともエドワードはそう思っている劣等感がエドワードを表向きは理解ある人間に仕立てていた。

 しかし、だからといって祐樹に対してこのような仕打ちをするとはエルザの想定外だった。

「どうして、こんなことを?」

 エルザが見上げながら訊くと、エドワードはエルザの腰に手を回して抱き寄せながら笑った。

「邪魔なんだよ、私がこの国の王になるために」

「え?」

 エドワードがひどく不遜なことを言ったような気がして、エルザは思わず訊き返した。

「王だよ、エルザ。俺はこの国を支配したい」

 やはり聞き間違いではなかったのだとエルザは衝撃を受けた。

「でも、どうやってですか?」

 エドワードの王位継承権はアクセル、アルマに次いで第三位だ。二人の身に何かが起こらない限りはエドワードに王位が回ってくることはない。

 エドワードは口の端を歪め、楽しそうに語った。

「アクセルはよく国境で軍の指揮を執っているからな、いつ、敵の間者に暗殺されるとも分からないだろう」

 エルザは目を丸くして息を呑んだ。なんと恐ろしいことを考えているのだろうか。この男は、遠回しに自分の肉親を殺すと言っているのだ。

「それでは、アルマ様も…?」

 エルザは言いかけて、アルマに関してエドワードは何もする必要がないことを思い出した。エドワードとアルマはエドガー王の意志で結婚するのだから、待っていれば第二位の継承権は転がり込んでくる。

 しかし、エドワードは怒りを隠すこともなくバルコニーの手すりを素手で殴りつけた。もし、エルザの予想通りだとしたらエドワードがそんなにも怒る理由はないはずだった。

「アルマか。馬鹿な奴だ。あのまま、すんなり俺と結婚していれば穏やかな人生を送れたものを」

「まさか、アルマ様と結婚なさらないんですか?」

 エルザを抱くエドワードの腕に力がこもる。苦しくなったエルザは顔を歪め、吐息を漏らした。

「すまない」

 エドワードは驚いたように腕の力を緩めると、改めてエルザを優しく抱きしめた。

「聞かせてください。アルマ様と何かあったのですか?」

「城の北にある塔のことを知っているか」

 エルザが小さく頷くと、エドワードはその額に軽く口づけをした。自分を抱く男が他の女の話をしようとしているにもかかわらず、エルザはそれだけでとろけそうな気分になってしまった。

「あの塔の近くで、アルマと将来の話をしたんだ。結婚のことや、国のことをな」

 エルザは祐樹と一緒にグライダーを造っていたときのことを思い出した。あのとき、エルザたちは塔の上から仲睦まじいエドワードとアルマの姿を見た。

「だが、アルマは俺の考えなど聞こうとしなかった。俺の語る政治を否定し、あろうことか、今はやるべきことがあるから俺とは結婚しないとまで言い出す始末だ」

 そうだったのかとエルザは意外に思った。あのとき、そんな会話がなされていたとは想像だにしていなかった。遠目に見ていて細やかな様子が分からなかったこともあるだろうが、それ以上に、自分の好いている異性が密談をしていたらよからぬ想像をしてしまうものだ。

「では、アルマ様とは結婚しないのですか?」

「そのつもりだ。人形のように言うことを聞いていた可愛いアルマはいなくなってしまったからな。あの異国の教師のおかげで小賢しい知恵をつけてしまった」

「だから、ユウキを……」

 それでようやくエドワードが祐樹を邪魔だと言った理由を理解することができた。エルザはエドワードの怒りを理不尽に思うとともに、祐樹に同情した。だが、こうしてエドワードの腕の中にいる以上、エルザにできることは何もない。自分は祐樹ではなく、この劣等感にまみれたエドワードを選んでしまった。たとえ、それが王族の一時の気紛れだったとしても。

 こうやって屈折している男を好きになるのが、自分の癖のようなものなのかもしれないとエルザは思っていた。祐樹もまた優しく穏やかな表情の下にいつも影があったが、エドワードの影は祐樹のそれより遥かに深く暗い。

 そんなエドワードを支えたいという思いがエルザの中にあった。エドワードは決して悪い人間ではない。ただ、少しばかり才能に恵まれず、少しばかり愛情に恵まれなかった――それだけなのだ。だからこそ、エドワードは心の痛みというものをよく知っている。今は他人のことを考える余裕がないだけで、いつか他人のことを考えられるようになったとき、エドワードは良き人となる――エルザはそれが淡い期待であると知りながらも信じていた。

 しかしそんな日がいつ来るのかは、想像もつかなかった。

「それだけじゃない。あの異国の教師はエドガー王やアクセル、大臣たちまでたらしこんで、民に教育を与えようとしている。そんなものは国を治める邪魔になるだけだ」

 エルザはエドワードの言葉に耳を傾けるだけで、何も答えなかった。エドワードの治世が来るとすれば、それは民にとっては冬になるだろうと思った。それでも――エルザはエドワードの胸に身をゆだねた。




 全身が痛む。口いっぱいに血の味が広がり、右の瞼はほとんど前が見えないほどに腫れ上がっていた。

 祐樹は冷たい石の床を芋虫のように這った。

「どこへ行ったって、この狭い牢の中じゃ逃げ場はないぜ」

 下卑た笑い声が二つ。

「や、めろ」

 金髪の男が祐樹の髪の毛を掴んで半ば無理矢理立ち上がらせ、栗毛の男が祐樹の腹を殴った。

 声にならない声が祐樹の口から漏れ、その口からこぼれ落ちた血液が床をぬらした。

 祐樹がこの二人の男たちと同じ牢に閉じこめられて半日が経ったが、男たちの食事と睡眠の時間を除いて祐樹はほとんどずっと殴られ、蹴られていた。見張りの兵士も何人かいたが、彼らは何一つしようとしなかった。

 それで祐樹は気づいた。自分はこの牢で殺されようとしているのだ。それも裁判を経て死刑にするのではなく、この地下牢で他の囚人の手によって、陰湿かつ残忍に闇に葬られようとしている。それは祐樹を捕まえた何者かの意志に他ならない。

「おい、起きろよ」

 頭から水をかけられ、祐樹は目を開いた。

「起きてるさ」

「あ?」

 祐樹の口の聞き方が気に障ったのだろう、金髪の男は今までよりも強く祐樹の腹に蹴りを入れた。祐樹は口から血を吐き、腹を押さえてうずくまった。

「おい、やりすぎだぜ」

 栗毛の男の言葉に祐樹は安心したが、それは大きな勘違いだった。

「もう少し、じわじわとやろう」

「ああ、そうだったな」

 それも誰かに頼まれたのだろうか――祐樹は混濁した意識の中で考え続けた。ただ殺すのではなく、じわじわといたぶり殺すなど趣味がいいとはいえない。祐樹に対してかなりの恨みを持っている人物ということだろう。

 いったい誰なんだ――。

 祐樹には誰かから恨みを買った記憶はなかった。しかし、そんなこととは何の関係もなく男たちの暴力は続いた。




「なぜ、ユウキが捕まらなくてはならないのですか!」

 アルマは激昂していた。その様子に、その場にいた全ての者が驚いていた。

「少し落ち着きなさい」

 アルマを宥めたのはエドガーだった。その隣にはエドワードの配下の者がいる。

「お父様、落ち着いてなどいられません! いったい何の罪があってユウキは投獄されたのですか。あの方はこの国のために働いています。その方に対して、なぜこのような仕打ちを?」

 エドガーは困ったような顔をしてエドワードの部下を見た。その男はアルマに近寄ると、手紙を手渡した。

「ユウキ殿の出した書簡です」

「ユウキが?」

 アルマがそれを開いて読むと、そこにはランス王国の経済状態や軍の装備・編成といった情報が事細かに記されていた。

「これは?」

「ユウキ殿から隣国のプロシアに送られようとしていたものです。辛くも届く前に取り押さえることができましたが」

 その男の言わんとしていることを理解してアルマは愕然とした。つまり、祐樹は内通者(スパイ)として捕えられたということだ。しかし、祐樹がそんなことをするわけがないとアルマは理解していた。なぜなら祐樹はプロシアの人間などではなく、もっと別の――違う世界の人間なのだから。

 だが、そんなことを言ったとしても誰も信じてはくれないだろう。

「ユウキがそんなことをするわけがありません! だいたい、この字はユウキの書く字とは違っています。誰かが、ユウキを陥れているに違いありません」

 アルマの言葉にエドワードの部下はゆっくりと頷いた。

「もちろん、その可能性もあります。ですから、今、我々は全力を挙げて真相を調べているところです。ですが、ユウキ殿には真相が明らかになるまでは、牢に入っていてもらわなくてはならない。アルマ様も、そのことはお分かりでしょう?」

 男の言い分はもっともだった。祐樹の容疑が晴れていない以上、牢に入れて逃亡を阻止する必要があるのだ。

「分かりました。ですが、調査には私の兵士にも入ってもらいます」

 それがアルマのできる最大限の抵抗だった。

 本当は今すぐにでも牢の鍵を奪って祐樹を助けに行きたいところだったが、それでは祐樹の立場を悪くすることになるだろうし、アルマ自身の立場も危うくなる。さらに、祐樹が必死で築き上げてきたランス王国の教育計画は基礎から壊れることになるだろう。祐樹を助けるためには、その潔白を示さなくてはならないのだ。

「それはもちろん構いませんよ」

 男は恭しく礼をする。それがどこか胡散臭く感じられて、アルマは不安になった。

「ユウキは丁重に扱われているのでしょうね」

 男は驚いたような表情を浮かべたあと、すぐに笑顔になった。

「ええ、もちろんですとも」




 頭がぼうっとした。

 手足はひどく傷つけられているはずだったが、意識が朦朧として痛みはあまり感じない。

 このまま自分はここで果てるのだろうか――祐樹は恐れよりも、悔しい気持ちでいっぱいになった。

「おい、さっき、伝令が来たぜ。おまえにとどめをさせってな」

 栗毛の男が虫けらでも見るかのように祐樹を見下している。

 やはり、誰かの策略なのだ。祐樹は唇を噛んだ。

「ま、て」

「待たねえよ。さっさとくたばれ」

 金髪の男が手近にあった石を掴んで振りかぶった。それで頭を殴打されたらひとたまりもない。

 まだ、死にたくない。

 祐樹は強く願った。

「エドワードのことを信じているのか?」

 金髪の男が振りかぶった腕を止める。その表情には薄い暗闇の中でも明確に分かるほどの動揺が表れていた。

 図星――祐樹は心の中で呟いた。

「オレをなぶり殺すように言われたんだろう。その見返りは刑を軽くしてもらうことか。まさか、本当にそれを信じてるのか?」

 祐樹はさらに畳みかけた。二人の男は互いに顔を見合わせて、気色悪いものでも扱うかのように祐樹を石畳の上に放った。

「なんで知ってるんだよ…」

 栗毛の男が怯えたように呟く。祐樹にとっては一か八かの賭けだったが、勝算が全くなかったわけではない。兵士を動かして祐樹を捕らえた時点で、国のかなり上位の者の仕業であることは察していた。囚人までも操っているとなると、かなり広範囲に権力を持つ者でないとそんなことはできない。大臣か将軍級、あるいは王家の者ということになる。そこから先はただの勘だ。

「そんなの簡単に分かる。もう一度、訊くけど、オレを殺して、本当に自分たちが助かると思ってるのか?」

 男たちの動揺が、その落ち着きのない様子から容易に見て取れる。

「どういう意味だよ。あの王子様は、俺達に約束した。おまえをいたぶり殺せば、解放してやるってな。それも金までくれるって」

 祐樹は声を出して笑った。殴られ続けた腹と切れた頬がひどく痛んだが、男たちに自分たちの置かれている状況を知らしめるには演技も必要だった。

「解放? エドワードが自分にとって不利な情報を知ってる者をみすみす逃すわけがない。ああ、確かに、この牢からは解放されるかもしれない。解放された後は、死体になってゴミ捨て場行きだろうけど」

 暗闇の中でも、男たちの顔が真っ青になっているのが見て取れるようだった。祐樹の嘲笑に対して怒ることもせず佇んでいるのがその証拠だ。

 祐樹は二人を騙しているような気分になったが、そうではない。祐樹の言っていることは全て本当のことであり、まず間違いなくエドワードは二人を虫けらのように殺すだろう。

「オレなら、あんたたちを助けることができる」

 最後の一押し――二人の男が何を言われたのか理解できないという表情で祐樹を見た。

「どういうことだ?」

 栗毛の男が藁にもすがる思いで祐樹に訊いた。だが、祐樹はすぐには答えない。

「どうする? オレを殺しても、殺さなくても、どちらにしろあんたたちは殺される。だけどオレに協力してくれれば、助かるかもしれない」

 今や立場は完全に逆転していた。先ほどまで祐樹をなぶり、その命をもてあそんでいた男たちは、祐樹に心臓を鷲掴みにされたように硬直している。

「分かったよ。どうすればいい」

 金髪の男が観念したように座り込んだ。栗毛の男もそれに倣う。

「外に、連絡は取れるか?」

「ああ、取れるぜ。食事係にエドワードの息がかかってないやつがいるからな」

「よし、それでいこう」

 祐樹は自分が信頼する二人の友人――ロイとエルザのことを想った。

 アルマは王家の一員である以上、エドワードに対立して表だって動くことはできないだろう。ならば、身軽に動けるロイとエルザに密かに助けてもらう方が都合がよかった。

 祐樹はかすかな明かりを頼りに紙に文章をつづった。現状と対策を記したロイ宛の手紙だ。念のため同じ内容をエルザにもしたためた。

「この手紙が宛先に渡るようにして欲しい」

 金髪の男は驚いたような表情を浮かべて、二枚の手紙を受け取った。

「どうした」

 祐樹が訊くと、金髪の男は感心したように手紙と祐樹とを交互に見比べた。

「何て書いてあるんだ?」

 文字が読めないのか――祐樹はこの国に来て幾度も見てきた暗部を再認識させられて苦笑した。

「エドワードのくそやろう」

 祐樹がそう答えると、二人の男は顔を見合わせて笑った。遠くにいた看守役の兵士が何事かとこちらを見たが、すぐに興味を失ったようにそっぽを向いた。

「そりゃいい」

 ひとしきり笑った後、栗毛の男が祐樹をまじまじと見てこう尋ねた。

「あんた、何したんだ?」

 どうして牢に入れられ、さらには殺されそうになっているのかという意味の問いだったが、そんなことは祐樹が聞きたいくらいだった。

「分からない。オレはただ、この国をよくしようとしてただけだ」

「この国を?」

 祐樹は頷いて、これまでアルマとともに国の教育計画に取り組んできたことを説明した。

 男たちは最初はその話を半信半疑に聞いていたが、最後まで聞き終わって納得したようにお互いの顔を見て頷き合った。

「そりゃ、こうなるかもしれないな」

「どういうことだ?」

 祐樹は怪訝そうに訊いた。今の話から推測できることがあるとは思えなかった。

「エドワードのやつ、俺達に言ったんだよ。自分は直に王になる。だから、俺達を解放するのも簡単だってな」

 祐樹は言葉を失った。

 エドワードの王位継承権は決して低くはなかったが、その上位には強力な人間がいるからそのままでは王になることはできない。それが王になると言うのだから、そこには何らかの企みがある。そして、その企みは容易に想像がついた。

「王になるにはオレが邪魔だったってことか」

 祐樹はそう呟くと、手紙をもう一枚したためた。アルマにエドワードの企みを知らせ、気をつけるように伝えるものだ。

「これも頼む。ええと……」

 祐樹は金髪の男に手紙を渡しながらあることに気づいた。

「なんだよ」

「名前を聞いてなかったな、と思ったんだ」

 金髪の男は珍しいものでも見るかのように祐樹を見た。

「エルグだ。こっちはタキオ」

「オレは祐樹。よろしく」

 祐樹と男たちは握手をした。

「その、身体は大丈夫か? 俺達がやっといて、なんだけど」

 祐樹は頷いた。身体は痛んだが、希望が見えてきたことで気力が湧いてきたのだ。

 しかしその翌朝、食事係に手紙を渡した後、ついぞロイやエルザの助けが来ることはなく、数日がただ無為に過ぎ去った。

 その間、絶望的な気分を紛らわすために、祐樹は男たちに読み書きと簡単な算術を教えていた。

 祐樹の予想通り、エルグとタキオの教養レベルはひどいもので、簡単な二桁の足し算ができない。引き算になるとほとんどお手上げ状態で、かけ算やわり算ともなるとその存在すら知らない有様だった。

 だから多少の苦労はあったが、祐樹ももう慣れたもので、どうすれば分かってもらえるのかという肝を理解していたから、二人はすぐに初歩の算術はできるようになった。

「まあ、こんなのできたところで、俺達はもう、どうしようもないけどな」

 二人は一つ新しいことを習得するたびに、一瞬だけ嬉しそうな表情を見せるが、すぐに自嘲的な笑みを浮かべるのが常だった。

 祐樹にはそれが切なかった。

 確かに彼らは罪人であり、仮にこの牢から解放されたとしても、習得した知識を生かす仕事に就くのは難しいだろう。しかし、彼らも被害者なのだ。満足な教育も与えられず、ずるずると国の底辺に落ちていく多くの人々と同じく。

 本当に自分にはこの国でやり残したことはないのだろうか。

 そもそも、本当に自分は元の世界に戻りたいと願っているのだろうか。

 この国と同じように閉塞感に満ち、陰鬱な元の世界に。

 そう自問自答したが、祐樹は「違う」と思った。

 この国と元の世界は明確に違う何かがある。元の世界に欠けていて、この世界にあるもの――明確に言葉に表すことはできなかったが、祐樹はそれに気づきつつあった。

 それの正体が判然とするまでは、まだこの国にいるべきなのかもしれない――そう思ったが、猶予はなかった。目前に迫る新月の日を逃せば、五十年は元の世界に戻ることができない。

 しかし、祐樹の葛藤とは無関係に時は無情に過ぎた。

 なるべく考えないようにしていたが、ロイたちの助けが来ないまま、気づけば新月の日になっていた。

 祐樹と男たちの元に夕食が差し入れられたことで、夜になったことを知り、祐樹は半ば諦めた。ここの食事はいつも夜遅くに支給されるのだ。

 大人しく食事を受け取ろうとすると、なぜか食事係は盆から手を離そうとしなかった。

「な……」

 祐樹は食事係の顔を見て跳び上がりたいほどに喜んだ。

「よう」

「ロイ!」

 いつも通りの軽口だったが、表情は真剣そのものだ。ロイは静かにするように手で合図すると、隠し持っていた鍵で牢の錠を開けた。

「こいつらもか?」

 祐樹の後に続いて出ようとしたエルグとタキオを見咎めてロイは訝しそうに訊いたが、祐樹は頷いて二人を手招きした。

「詳しい話は後だ」

「何をしている!」

 兵士の大声が牢獄に響きわたり、祐樹たちは一斉にそちらを見た。

「しまった」

 ロイが舌打ちをして兵士に駆け寄ろうとしたとき、その横を二人の男――エルグとタキオが駆け抜けていった。

「何を…」

 ロイは思わず足を止めて二人の行動を見た。

 二人はそのまま身構える兵士に向かって走っていき、手に持った石で殴りかかった。兵士も槍で応戦したが、二対一であることに加えて、エルグとタキオが相当喧嘩慣れしていたためにあっと言う間にのされてしまった。

「助かった、ありがとう!」

 ロイに先導されながら走り、祐樹は礼を言った。

「気にするな。借りはいつか返す!」

 二人は親指を立てて応じると、祐樹たちとは別の方向に走って消えていった。

 祐樹はそれからしばらくロイに着いて走っていったが、城内の様子がおかしいことに気づいた。兵士や使用人など、誰にも出会わないのだ。

「ロイ、待ってくれ。どういうことなんだ」

 俊足のロイに着いていくのが辛くなったところで、祐樹は立ち止まって訊いた。

「エドワード様…いや、エドワードの反乱だ」

「そんな…」

 想像はしていたが、思っていたよりずっと早い。少なくとも祐樹が死ぬのを待つだろうと思っていたが甘かった。

「エドワードの部下が、街で皆を煽ってる。そのせいで城壁の周りは暴徒に囲まれてる。城の兵はほとんどその鎮圧に狩り出されてるんだ。あいつ、アクセル様のいないときを狙いやがった」

 そういうことか――祐樹は感心した。強力な指導力を持つアクセルの不在を好機と見てエドワードは国家転覆を実行に移したのだ。ランス王国の現状に不満を持つ民衆の反乱を煽るやり方といい、なかなかの計画力と行動力だといえる。

「アルマ様は?」

 アクセルがいないとなると、アクセルに次ぐ王位継承権を持つアルマのことが心配だ。

「分からない。だけど、反乱が起きる前にこれを預かった」

 ロイが祐樹に手渡したのは丁寧に蝋で封印された手紙だった。開いてみると見慣れた綺麗な文字が書かれている。それは間違いなくアルマの文字だった。




 ユウキさまへ


 エドワード兄様の件、ご連絡いただきありがとうございました。この手紙をお読みいただいているということは、無事ロイさまの手で助け出され、牢より逃れることができたものと思います。この国のために尽力していただいたユウキさまに対する非礼、誠に申し訳なく思い、王家を代表してお詫びいたします。

 しかし誠に勝手ながら、この件は王家の中でけじめを付けたいと思っております。エドワード兄様は然るべき罰を受けることになるでしょう。万一、何かよからぬことが起きたとしても、この国も、私も大丈夫ですので、ユウキさまはどうか心配なさらず元の世界にお戻りください。

 ユウキさまがお戻りになった後も、ユウキさまに教えていただいた数々のことを胸にしまい、ユウキさまの作り上げた計画は私と国の者で必ずや成し遂げ、この国を繁栄に導きたいと考えております。

 最後に、ユウキさまと過ごしたこの数ヶ月は、私の人生において最も充実し、変化した時でした。深い感謝を捧げます。どうか、元の世界に戻られても多くの人々の道標となってください。あなたは決して、流されて生きているだけの人ではありません。

                 アルマ




 祐樹は手紙を読み終わるとそれを服の中に丁寧にしまい、ロイを見た。

「行こう」

「どこへ? アルマ様のところか?」

「いや…、塔だ」

「塔?」

 祐樹は頷いて、元の世界に戻る方法を手短に説明した。塔から飛び降りることで元の世界に戻れること、飛び降りるタイミングは三つの月が新月となる今夜であるということ、それを逃せば次に帰れる機会が五十年後になるということ。

「そう、か。じゃあ、お別れなんだな」

 ロイは祐樹の説明を聞き終わると寂しそうな笑顔を浮かべた。そんなロイを見るのは初めてだったから、祐樹は何か声をかけようとしたが、うまい言葉が思い浮かばなかった。人に何かを教えるときはいくらでも言葉が出てくるというのに。

「行こう。今夜じゃなきゃいけないんだろ。今はもう真夜中だ。夜明けまでそんなに時間があるわけじゃない」

 ロイが走り始め、祐樹もそれに従って再び走った。

 城の外に出ると、冷気が顔の傷口にしみた。周囲を見渡すと、いつもより街の方が明るい気がした。

「みんなが暴れてるんだ。この国の景気が悪くなったのは、国王のせいだってな」

 祐樹は、城壁が暴徒と化した民衆によって取り囲まれている様子を想像した。誰も傷つかずに収まればいいが、それは難しいだろう。兵士も自国の民にそう簡単に手出しはしないだろうが、エドワードの手下が暴動を煽っているとなるとそれも時間の問題だ。

「ユウキ、行くぞ」

 立ち止まっていた祐樹の手をロイが引いた。

 後ろ髪を引かれる思いだった。けれど、こうなってしまっては自分には何もできない――祐樹はそうやって自分を説得することで何とか未練を振り払って塔へと駆けた。

 塔の入り口に着くと、ロイは祐樹を振り返った。

「俺はここまでだ」

「ああ、ありがとう。最初から最後まで、助けられっぱなしだったな」

 祐樹はロイに礼を言って塔の扉に手をかけ、もう一人の友人のことを思いだした。ここへ来るまで自分のことに必死で忘れていた。

「エルザは無事なのか?」

 祐樹が訊くと、ロイは気まずそうに顔を背けた。まるで訊かれたくなかったことを訊かれたかのように。

 その反応を見て、祐樹は胸騒ぎがした。

「エルザは……」

 そのとき、ドンという銃声が夜闇に響きわたった。




 破裂しそうなくらいアルマの心臓は早鐘を打ち、ドレスの胸元にも汗が滲んでいる。後ろに従えている兵士二人もアルマと同じくらい息を乱している。アルマたちは暴動発生の知らせを受けて、アルマの自室から王の間まで駆けてきたのだ。

「行きましょう。たぶん、ここにいます」

 呼吸を整えると、アルマたちは巨大な扉を開けた。王の間の明かりが薄暗い廊下に漏れ、アルマは思わず目を閉じた。

「おや、誰かと思えば、アルマじゃないか」

 アルマが目を開けると同時に、愉快そうな声が王の間に響いた。

「エドワード兄様」

 案の定、王の間にいたのはエドワードだった。エドワードは片手で銃を構え、王座を狙っていた。そこにはエドガーが座っており、その表情は厳格さは保っているものの余裕はなかった。

「近づくなよ。近づけばエドガー王を殺す。この距離で外すほど、俺は下手くそじゃないぞ」

 くっくと笑って、エドワードは撃鉄を下ろした。

「やめてください!」

「黙れ」

 大きな銃声が響き渡り、アルマは思わず目を閉じた。

 恐る恐る目を開けると、エドワードの銃口は天井近くにある窓を向いており、発射された弾丸はガラスを割って闇夜に消えていた。

 エドワードは憎々しげに表情を歪めてアルマを睨んだ。そこまで明白な憎悪と敵意を向けられたのは初めてだったからアルマはわずかにたじろいだが、すぐに気を取り直した。理不尽な脅しに怯えていては、対峙することもままならない。

「おまえが言うのか、アルマ。俺との結婚を断ったおまえが? おまえさえ素直にしていれば、こんなことをしなくても済んだかもしれないんだぞ」

「そんな……」

 祐樹の手紙に書かれていた通りだとアルマは知った。エドワードはアクセルを殺し、かつアルマと結婚することで王位を奪うつもりだったのだ。しかし、アルマがもはや自分の言いなりの人形ではなくなったのを悟ったエドワードは、別の手段に訴えて王位を奪おうとしている。すなわち、暴力と反乱とによって。

「今更、結婚しようと言ったって無駄だぞ。事はすでに始まってしまった。アクセルは遠征の地で敵に暗殺され、暗君エドガーは革命の英雄エドワードによって滅ぼされる。それが筋書きだ」

 酔っているかのようにエドワードは語った。

「だが、そうだな、もしおまえが望むなら、俺の後宮に入れてやらんこともないぞ」

 アルマは端正な眉をしかめ、高らかに笑うエドワードを睨んだ。以前のアルマであれば仮面のような笑顔でそれを受け流していたかもしれない。だが王女たる自分に対する侮辱を心穏やかに聞き流すほど、アルマはもう子どもではなかった。

「私が慕っていたエドワード兄様はもういないのですね。これ以上の反乱は、許すことはできません」

 ひょっとしたら説得できるかもしれない――そんな淡い希望を打ち砕かれ、アルマはきっぱりと言い放った。

「許さない? それでどうする。おまえに何ができるというのだ、アルマ」

「こちらには鉄の甲冑を着た兵士が二人います。銃で鉄の甲冑を貫くことができない以上、エドワード兄様は……何がおかしいんですか」

 堪えきれないといった様子で笑うエドワードに対して、アルマは不気味なものを感じた。この男はいったい何を考えているのだろうか。

「分かっていないな。俺は王を人質に取っているんだぞ」

 アルマは銃で狙われているエドガーを見た。エドガーはゆっくりと頷き、どっしりと落ち着いた声でこう言った。

「構うことはない、アルマ。この男を捕まえろ。私が死んだとしても、アクセルがいる、おまえがいる。だが、この男にだけは、この国を渡してはいけない」

「お父様……」

 それが一国の王として下した決意なのだとしたら、アルマがそれに従わないわけにはいかなかった。

 エドワードに視線を戻すと、銃を下ろしアルマを見ていた。だが、その表情からして諦めたというわけではなさそうだった。むしろ、余裕のある笑みを浮かべてすらいる。

「観念してください、エドワード兄様」

 エドワードの笑みははったりだとアルマは思った。そして、銃を下ろしている今なら誰も傷つけずにエドワードを取り押さえることができると考え、アルマは兵士二人に命令を下した。

「捕えなさい!」

 アルマの声が王の間に響きわたる。だが、それに続いて起こるはずだった戦いの音は微塵も聞こえなかった。

 代わりにエドワードの哄笑が再び王の間を支配する。

「捕まえろ」

 エドワードの発した命令に応じて、二人の兵士がアルマを両側から掴んだ。

 その瞬間、アルマはすべてを悟った。

 この兵士たちはエドワードの息のかかった者たちだったのだ。アルマはまんまとエドワードの策にはまってこの場におびき出され、捕らえられた。先ほどまでの会話は、エドワードの演じた茶番に過ぎなかったのだ。

「まぬけだな、アルマ」

 アルマは唇をかみしめ俯いた。もはや打つ手は何もない。

「だんまりか。まあ、いい。さきにおまえから始末しておくか」

 エドワードが銃口をアルマに向ける。アルマは観念して目を閉じた。

「やめろ! 殺すなら私を殺せ、エドワード!」

 エドガーが悲痛な声で叫ぶ。だが、エドワードは冷たい目でエドガーを一瞥して吐き捨てるように言う。

「黙れ、エドガー。おまえは、そこで娘が殺されるのを大人しく見ていろ」

 アルマは今度こそ観念して目を閉じた。

 脳裏に浮かんだのは、異世界から来た教師の姿だった。彼はちゃんと元の世界に戻れただろうか。暴動に巻き込まれていなければいいのだが。

 自分の生命が危ういときに他人の心配をするなんてどうかしていると思って、アルマは微笑んだ。

「何を笑っている」

 エドワードには分からない。それが心のこもっていない仮面の微笑なのか、何か大切な者を想って優しい気持ちになった本当の微笑みなのか。

「この国は、あなたの思い通りにはなりません」

「それが最期の言葉か」

 エドワードはアルマの頭に狙いを定め、引き金に指をかけた。

「エドワ―――ド!」

 エドガーの叫びがこだまする。

 そして次の瞬間――轟音が――響きわたった。


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