悪党、楠木入道正澄
大阪府の東南部を、河内という。その名の通り、たくさんの川がながれている。
つまり「河地」なのだ。
十四世紀、この国は、西から商いがさかんになりはじめていた。
機内では、摂津、河内がさかえた。
大きな荷物は、馬で運ぶより、船が便利だ。
それで、川すじが四方八方におよんでいるこの河内は、出船、入船ににぎわい、
たくさんの市がたつようになった。
この川の一つ、東条川をたどっていく三そうの船があった。
東条川は、千早川と水越川との合流点から下流のあたりをいい、石川にながれこむ。
それぞれの船に五人ずつ、たくましい商人がのりくみ、積み荷を守っている。
商人といっても、それぞれ太刀をさし、弓、なぎなたなどの武器をたずさえていた。
まん中の船に、そでをくくり、すそをはかまの中に入れた、ひたたれ姿の大入道が
箱膳でぐびりぐびりと、さかずきをかたむけている。楠木入道正澄だ。
酒のさかなは、琵琶湖でとれた、ふなのかんろ煮だ。
「多聞よ、よくみておくがいい。」
と、正澄は川岸の村々をあごでしゃくった。
弟の七郎も、父の話にききいっている。
「これからいく玉串の市は、おまえたちが一人まえになるころは、京や鎌倉をしのぐ町になっているにちがいないところだ。」多聞はだまって話を聞きながら、うつっていく川岸の風景をみつめていた。
このあたりも、ずいぶんくすのきが多いな、とおもったときだ。
矢羽の音がして、船底に一本の矢がつきささった。
「何者じゃい!」正澄は、さかずきをおくと、ともの者の手から、弓矢をうばいとるようにして、
岸にむかって矢をつがえ、川崎市のくすのきのこずえをみあげた。
だが、正澄が矢を射るまでもなかった。くのきの枝からとびおりたくせ者は、
たちまち、川ぞいの道をいく武者たちにとりかこまれた。こういうこともあろうかと、
楠木党の者たちに、川ぞいの道をあゆませていたのだ。
「生きてとらえよ!」と、正澄はさけび、船頭に命じて、船を岸につけさせた。
くせ者は、黒の覆面をはぎとられ、数人の武者たちに河原へひきずられてきた。
「ようとらえたぞ。ほうびじゃ。」
正澄は手にした小袋から、銭を一さしとりだして、武者たちに手わたした。
「わしを楠木正澄としってのうえか。」
「・・・・・・・」男はだまって小さくうなずいた。
「だれにたのまれた?」
「・・・・・・・」
「よし、いわねば斬る。」正澄は太刀の柄に手をかけた。
「お、おゆるしください、わたしには妻も子もおります。」
「あほうめが。わしにだって、妻子がおるぞ。」
「もうしわけございませぬ。」
男は、ひたいを河原石にすりつけていった。
「ま、よい。いわんでもわかっている。八尾常光寺の別当、顕幸であろうが。」
「・・・・・・・」
「なるほど、口はわらぬ約束で、この仕事をうけおったものとみえる。先に約束しておこう。
いのちは助けてとらす。」
「ありがとうございます。」男はまた河原石にひたいをすりつけた。
「ならば、かわりに、わしにももうけさせろ。」
「はあ?」
「かんたんなことよ。八尾の船は、いま、なにをつかんで、かせいでおるのじゃ。」
男はなんだ、そんなことかと、ほっとして答えた。
「吉備から米を運んでおります。」
「受け取りは東大寺か?」
「そのようで。」
「このごろ、つみだすものはなんじゃ?」
「伊勢からの辰砂のようで・・・。」
「それは京か?」
「はい、そのようで・・・。」
「川すじに、なにかかわったことはないか。」
「これはうわさでございますが、なんでも、東大寺さまが、兵庫や神崎の泊まりに
関所をもうける準備をしているとか。」
「おろか者めが!」
正澄の声が大きかったので、男はみたび、河原石にひたいをすりつけた。
「おまえのことではない。あるじの八尾顕幸のことよ。八尾もわしも、おなじこの河内の
川すじや、玉串の市で、商いをする仲間じゃ。東大寺や、公家、近ごろは幕府の
役人たちも、わしらを、悪党とよんでるそうじゃが、なれば、わしらは悪党どうし
心を一つにしてゆかぬば、この川すじや、せっかくひらいた散所を、また、公家や、幕府に
うばわれてしまう。仲間われしては、公家や幕府の思うつぼではないか。」
と、楠木入道正澄は顔をあらかめて語る。
とにかく、殺されてもしかたがないところを、助けられた八尾の家人は、正澄に
米つきばったのように、なんども頭をさげると、川下へ走り去った。
「首をはねられるとおもいましたが・・・。」
と、先代から楠木家につかえる恩地左近が苦笑していった。
「殺してもなにもならん。太刀の刃こぼれになるだけじゃ。生かしておけば、ひょっとすると、
なにかの役にたつかもしれん。」といって正澄はわが子をかえりみた。
「多聞はどうおもう?」
「わたしも血をみるのはきらいです。」
「いやいや、そういうことをいっているのではない。怒りはなんの得も無いとおしえたつもりぞよ。」
といって、正澄は、そのまま船にはもどらず、岸につないであった馬にまたがった。
紺のひたたれに、かざり太刀、従者に手綱をひかせた馬上の正澄のすがたは、
どうみても、幕府につかえる名のある大名のようであった。